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魔王が語る真実

なにがいけなかったんだろう。
どこで間違ったんだろう。
いいや、私自身はなにもしていない。道を踏み外すようなことも、誰かに怨まれるようなことも、神様にそっぽを向かれるようなことも、なにも。
そう、ただ。言うなれば、運が悪かった。
ただ、それだけの話。それだけの、こと。


「──と、我が愛しの妃は己に言い聞かせておるのじゃろうな。まったく本にいじらしいことよ。誰かを責めることもしなければ頼ることもしない。閨事の最中のように『れい、抱きしめて……?』と甘えてくれれば我輩だってこんな隔靴掻痒とせずに済ん……、嬢ちゃん。あんずの嬢ちゃんや。そんな心底軽蔑した目で見ないでおくれ。我輩めげちゃう。めげちゃうから止して。……よしよし。いつもの愛い顔に戻ったのう♪ 戻ったついでに今の発言は本人の耳に入ったらこっぴどく叱られてしまうから他言無用で頼むぞい♪ ──わりとガチで。

で、ええと。……ああ、そうじゃったそうじゃった。話が逸れてしまったの。嬢ちゃんは親友であるあの子のことが知りたいんじゃったな? じゃがあの子は自分で自分のことを話したがらないから、仔細を知る我輩のところにこうして足を運んだと。
我輩が話すのはいっこうに構わんが……のちのち『聞かなければよかった』などと後悔する羽目になるやもしれんぞ? 興味本位で他者の内幕に首を突っ込んでも藪蛇にしかならん。万が一にも嬢ちゃんが巻き込まれるような事態になれば、呵責に苛まれるのは我が妃なのじゃから。それは我輩も望まぬところではある。
……この注意を受けてもなお、聞く気勢を削がぬ嬢ちゃんに念を押しておくと……。接する機会が多いならば忘れてはいないじゃろうが、あの子も今は『こちら側』の存在じゃ。ゆえに我らが苦手とする日向のもとで起居するおぬしに、明らかにできる内情は一端までと限られている。語れることも決して多くない。知ったって損こそすれど得はせん。それでも、聞きたいのかえ?

──ふむ。嬢ちゃんの意志は固いようじゃの。この様子ではなんと言おうと糠に釘じゃわい。……『自分には到底理解が及ばないことでも、あの子がそういった世界に身を置いているという境涯は知っていたい』か。ともに戦うことはできずとも、心に寄り添い、彼女が羽を休められる場所になりたい。そう、嬢ちゃんは言ってくれるのじゃな。いや、烏滸がましいなどと思っておらんよ。むしろ理解できんことを頭ごなしに否定したりせず、理解しようと努力を惜しまぬその心意気や良し。さすがは全生徒が認めた学院の寵児じゃて。
とはいえ剣呑な言葉を並べ、無用の心配を抱かせた非は詫びよう。すまんかった。仮にこちらの界隈が騒擾で湧くこととなっても、嬢ちゃんに皺寄せがくることは無いから安心しておくれ。……ああ、いや余計に顔を曇らせてしまった気がするのう。大丈夫、仮にと申したろ? 吸血鬼は基本奔放なのが多い種じゃから、憂慮を抱いても杞憂に過ぎなかったという過去しかない。おぬしが我輩らの身を案じる必要はないのじゃよ。
にしても優しいのう、嬢ちゃんは。そんな優しい嬢ちゃんが、信頼できる友が、『居場所になりたい』とこうして影で論じてくれておるのじゃ。なかなか安寧を味わえぬあの子も、おぬしのそばなら束の間の安逸な時をゆるりと過ごせるかもの……♪


さて、では話そうか。
なに、そう身構えることはない。なんならこれから述べることは、退屈を持て余した年寄りの世迷い言とでも思って、気楽に聞き流すのが良かろ。
……もっとも、あの子を大事に想ってくれているあんずの嬢ちゃんにはちと難しいかもしれんが。


────愛し子は。綾音は、もとはおぬしと同じ日向のもとで暮らす、平々凡々な少女だった。なにかと面倒事に巻き込まれるのは今も昔も変わらんが。前向きで、好奇心旺盛で、情感が豊かでよく笑って……。
本当に、トラブルに随従される以外は、ほかの人間となにひとつ変わらなかったのじゃ。ただ大きく異なった点が……日々樹くんの言葉を借りるなれば、『天から授かったギフト』が、云わば絶望だけを閉じ込めたパンドラの箱のような劇物だった。なぜならあの子の行く末は、人生の旅路は。産まれし時から既に定まっていて、それは極めて短いものだと示唆されていたから。
ここまで言えば、感の鋭いおぬしなら気付くじゃろう?

そう、綾音は。中学生の時に人間としての生を終え、我輩の眷族として、生まれ変わった。トラックに轢かれて血の海に沈んでいたあの子の肉の片鱗を喰らい、虫の息であったあの子に我輩の血を飲ませ、未来永劫離れられぬ盟約を交わした。
姿形こそ変わらんが、今の綾音は完全に吸血鬼としてのサガが芽生えておる。

罪を憎んで人を憎まず、だったかや? 己の人生をまるっとひっくり返す機縁となったあの事故の運転手も、妃を……綾音を夜闇の世界へ強引に引きずり込んだ我輩のことも、綾音は怨みはしなかった。
もっともあの子の場合、幼少期から不運な事象に見舞われることが多くて若干諦めてしまっている面もあり、今さら誰かに責をかずけたり世の不条理を憎むという思考にはどう曲がりくねっても至らなんだ。既にその境地を超えてしまっているからの。だから『罪を憎んで』という一語も少々的を外しておるかのう……。
綾音は屠所の羊のように当たり散らす気力すら失ってしまっている。だから起きた出来事を無感情に、機械的に受け止めて物事を落着させる。他人事のように、あるいは絶対的な存在の影が背景にあって物語の序盤に死ぬ登場人物のように、たったひと言で終着させる。『運が悪かったんだなあ』と。そう処理しなければあの子は疲弊していく己が心を守り切れぬからだった。
しかし神はどこまでも無慈悲でのぅ。あの子の心を壊さんとばかりに次々と惨い試練を与えよる。



事実は小説よりも奇なり、という言葉があるじゃろ? 『運が悪かった』などと非具象的な事由もまかり通ってしまう時がある。それだけ世には摩訶不思議な事象がそこかしこに転がっておるのじゃ。

そしてあの子はこう言っておった。『狐に化かされた』と。果たしてそれは真実か。もしくは車の衝突とともに走馬灯でも流れたのか。あの子は頭を強かに打ったことは認めるが、狐を夢幻のたぐいに一蹴されることは認めなかった。