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ダンパ 斎樹巡

「ラ・クロワの後夜祭では、毎年社交ダンスのデモンストレーションを行っているんだ。時間が許すのであれば、指揮官くんもぜひ応援として足を運んでほしい」
 君が来てくれれば、乗り気でない柊や巡も嫌でも緊褌するだろうからな。と。なんだか出しとして使われたような気がしなくもないが、ともあれ頼城くんからそう誘われた私は後夜祭当日、仕事の合間を縫ってラ・クロワ学苑に訪れた。
 教員に案内されたのはダンスルーム。……ではなく。ボールルーム風にセットアップされた体育館。中は既に見物客で満員御礼だったが、私は幸い頼城くんが手配してくれていたらしい関係者席に導かれて滞りなく着席することができた。「行けるか分からないよ?」としつこく念を押していたにも関わらず、彼は必ず来ると信じて空席を作っておいてくれたようだ。その心配りに仕事を頑張った甲斐があったな、と嬉しさを滲ませながらも、パンフレットを仕舞い複数のペアが踊っているダンスフロアに視線を注ぐ。お目当ての人物は、そう目を皿にせずともすぐに見つけることができた。
 しっとりとした音楽に合わせてステップを踏む三人。当然のことながらいつも目にする様子とはかけ離れた振る舞いに、知れずしれず感嘆の息が口から零れた。斎樹くんも霧谷くんも、とても消極的だったとは思えないスマートな身のこなしだ。淀みない足取りできちんとパートナーの女の子をエスコートしては、周りと衝突しないように気を配りながら己の舞台をつとめている。
 その最たる存在が頼城くんで、彼は立役者ばりの華麗なターンで多くの観客を魅了していた。彼が動くたび教員が、関係者が、ファンクラブの女の子達が恍惚とした溜め息を零す。もはや会場にいる誰もが頼城紫暮の虜になっていると言っても過言ではないだろう。とんでもないアウェー感だが、しかしラ・クロワの男子生徒たちはこの空気に馴染んでいるのか、必要に萎縮したり張り合おうとする者は誰一人としていなかった。
 デモンストレーションと一口に言っても、生徒的には競技的な催しではなく、あくまでお披露目会やお遊戯会のような認識が強いのかもしれない。社交ダンスに関しては門外漢なので大したことは語れないけれど、素人の目から見ても個人個人がのびのびとダンスを楽しんでいるように見えた。現にみんな、いい表情だ。
(――あ。)
 遊具のコーヒーカップのように、あるいはメリーゴーランドのように変わる光景に注目していると、ふいに斎樹くんと目があった。ような気がした。もっとも私がいるのは最後列で、前には結構人が詰まっているから、「絶対そうだ!」と強気の姿勢で言い切ることはできないんだけれど。でもそれ以降ちらちら覗うような視線を受け取ったから、ちゃんと観ているよ、という意味も込めて試しに胸の前で小さく手を振ってみた。すると彼の鹿爪らしい面持ちが少しだけ柔らかくなったようだ。なんとなく雰囲気が丸くなった感じがして、よかった、思い違いじゃなかったんだと胸を撫で下ろした。
「!」
 ところが生憎と、心穏やかな時間も長くは続かなかった。
 曲も終盤に差し掛かったとき、ポケットの中で震える携帯に気付く。おそらく、いや確実にALIVEからだろうと直感が訴えて、周りの迷惑になるまえにひっそりと席を立った。体育館の近くでは一般人に聞かれてしまう可能性もある。よって、駆け足で非現実感に包まれる会場を後にした。
 隣接している病院を横目に、取り急ぎ私が向かった先は。
 ◇
「――はい。はい、ではその日取りで。よろしくお願いします、神ヶ原さん」
 了解の返事を得て、通話を切る。膝に置かれたスケジュール帳は、斯くにも蚤取り眼でなければ解読できないほどの文字の羅列で渋滞していた。のちほど改めてタブレットにも記録するが、黒く染まった紙を前にするとみるみるやる気が削がれていくのは一体全体どういう現象だろうか。別に仕事そのものを苦に感じたことはないけれど、ないはずだけれど、今しがた日程が決まった苦手な重役とのワーキングランチに気が進まないのは確かだった。むしろやる気が削がれる原因がそれ以外に思い浮かばなくて、うぅん、と唸る。間違ってもALIVEの看板に泥を塗りたくはないから精一杯猫はかぶるけど。それなりの貢献はできるよう力を尽くすけど。
 ……ぶっちゃけ憂鬱極まりない。
「はー……」
 表情が消えた私をよそに、ラ・クロワのダンスパーティの演目は変わってしまったようだった。
 体育館からうっすらと漏れていた音楽は、しっとりとした曲調から明澄な音色へと変化する。もしかしてオーディオから生演奏に切り替わったのだろうか。若干音がこもっているけれど、先程よりはより明確に耳に入るようになっていた。胸を打つバイオリンの演奏に、項垂れていた頭を上げる。
(なんて……曲だったか)たしかに聞き覚えがある。あるのだけれど、肝心な曲名が思い出せなかった。これはもっと近くで聞いてみないと分からないなと早々に諦め、颯爽とベンチから立ち上がる。実際に体育館に戻って斎樹くんに訊ねてみればモヤモヤはじきに解決する――そう思って、体育館方面に踵を返そうとした、そのとき。
「指揮官さん」
「ひっ!?」
 背後に潜んでいた影法師に気付かず、あたかも幽霊と遭遇したようなリアクションをかましてしまった。突然のことに飛び出しそうになる心臓を必死に押さえ、おそるおそる振り返る。素早く走らせた視線の先には、依然としてパーティ仕様なままの斎樹くんがいた。彼は酷く怯えた様子のこちらに驚いたのか、やや戸惑いを隠せない表情で「……すまない。驚かせるつもりはなかった」と謝辞を述べた。我に返った私は慌てて首を振り、こちらこそごめんね、と謝罪する。