「彼女は今どうしている?」 「……最近は体調を崩されることが多く、床に臥せる日が殆どになりました」 申の近況報告に、男は長い睫毛に縁取られた双眸を何かを噛み締めるように静かに閉じた。 離れた幼馴染みの芳しくない状態に胸を痛めているのだろう。穏やかな雰囲気から一変、主人の悲痛な面持ちに申は覚醒具の下で息を飲んだ。 「会いたいな。」 小さく男は呟いた。しかしその願いは叶えられそうにない。 分かっているからこそ苦しいんだ。 無言を徹する獣基の姿に男は苦笑を零し、項垂れたようにも見える頭を優しく撫でた。 「お前が支えてやってくれ。私の代わりに」 「……代わりなど、ありません。あの方にとっての幼馴染みは、我が君しか」 「分かっている。だから傍にはいられない私の代わりに」 お前が守ってやってくれ。 どうか、どうか、淋しがり屋のあの子を、ひとりぼっちにはしないでくれ。 そう告げて微笑ったその人は、胸に蟠る寂寥感を堪えて申の頭を撫で続けた。 幼馴染みの前になると、どうも素直に接してやれない。と、以前困ったように笑いながら話していた主人の言葉を思い出して、難儀なものだと眉を寄せたこともある。 幼い子供でもないのに、可笑しな話だろう? 然れど彼は反省はしても態度を改める気は無いようだった。いまさら接し方を変えたところで逆に心配されるに決まっている。 肩を竦めた主人に「そうですね」と笑って相槌を打ったのは記憶に新しいことだ。 「不器用で粗削りな人なのよ。でもずる賢い。厄介でしょう?」 いつだったか。 彼女もこの主人の事をそう言っていた。なるほど確かに的を射ている、両者共。 「……いま神楽のことを考えていただろう?」 「……いえ。おふたりはよくお互いのことを理解していらっしゃるな、と思いまして」 「物心がついた時にはもう傍に居たからな。お互いの癖や趣味、好みなどは熟知している」 嗚呼、この人は本当に姫が大好きなのだな。 踏ん反り返る主を見て苦い笑みを浮かべた。 そんなに好きなら素直になればいいのに、と率直に正論を述べてしまったところでそんな簡単な問題じゃない!と厳しい叱咤が飛んでくるのは目に見えているので敢えて言わないが。 「ほれ、早く神楽の許に戻れ。彼女の体調は依然として優れないのだろう?」 「承知しました。…………我が君、重々理解されているとはお思いですが、」 「ひとりになるな、だろ。分かっている」 それよりも次会う時、もし神楽が怪我なんて負っていたら許さないからな。 ビシッ!と力強く指を指して屋内へ入っていった主人の背中を苦笑で見送り、屋根の上に翔け上がる。強い南寄りの風が頬を撫ぜた。こんな風の強い日は、彼女が花菱草という花を摘みに出掛けた日を思い出す。 (花言葉は希望、だったか) 今では栞となって形に残った花。彼女はいったい何を想起してあの花を求めたのか。申には未だ皆目見当も付かなかった。 他人に触発されたという訳でもない。資料か文献を見て気に入ったのか。なぜか本人にそう直接問うことも憚られた。 ただひとつ、どうしようもなく気になるのは とてつもなく、愛しそうに哀しそうに、その栞を眺めていた姿。 「守ってやってくれ、」 ────言われずとも。 主人との約束を違えるつもりはない。 ほの暗く灯る、胸の奥に閉じ込めた想いに蓋を閉めながら、申は固く閉ざされた襖の前に音も立てず降り立った。 中から聞こえるのは微かな寝息。 声をかければ目を覚ましてしまうだろう浅い眠りに、申は物音を立てないよう慎重に障子を開いた。 気配と息を殺し、横になっている少女の傍らに膝をつく。血の気が失せた白い頬にそっと手を這わせ、触れても起きないことを確認して覚醒具を自分の顔から取り外した。 (──姫君、) どうかまた、あの日のように微笑って。 近頃浮かぶことの少なくなった笑顔を求め、申は鳴く。 どうか、生きることを諦めないで、と。 |