01


戸籍は無いから、形だけの式を挙げた。
幼少期から憧れていたようなバージンロードを歩いてチャペルで誓いを、なんてものはなかったし、ウェディングドレスも着たわけじゃない。
でも、とてつもなく幸せだった。胸が希望でいっぱいだった。
かけがえのない仲間に囲まれて、これから先の行く末を見守っていくとまで言ってもらえて。
手を伸ばせばすぐ届く距離には、何よりも大切なあなたがいて。

「名前、」

ウェディングドレスではない。
されど似たような白いドレスを身に纏い、彼女は差し伸べられた手に己のそれを重ねた。
互いの左手薬指には、光に反射して輝きを放つシルバーリング。
ふたりを繋ぐ、赤い赤い運命のイト。


キン、とまるで肌を刺すような冷たさに花礫はふと目を覚ました。
身動ぎして頭を上げれば目に入る透明な窓枠。四角い世界から覗く外は空から引きを切らず落ちてくる灰白色に覆われていて、『だからこんな寒いのか』と納得がいくほどの悪天候、つまりは猛吹雪だった。

羊が起こしに来る起床時間にはまだ及ばない。存分に二度寝を堪能できると花礫が再び枕に顔を埋めると、動いた拍子に足先が何かに当たった。自分の低体温とは違い熱を持った滑らかな肌。
堪らず温もりを寄越せ、分けろとばかりに冷えた脚を絡み付ければ、眠る彼女の口からは微かに呻き声が洩れ眉間には少し皺が寄った。

「……アホ面」

自分が原因だというのに酷い言い草である。布団の僅かな隙間から入り込む冷気から逃れるように背中を丸めた名前の仕種に頬を弛めた花礫は寝返りの際ベッドから落ちそうになっていた毛布を手繰り寄せ、彼女の剥き出しにされた肩にそっと掛けてやった。
そのとき視界を掠めた赤い所有印。昨夜の名前の痴態を思い出して、彼はこみ上げる征服感をいっさい隠すこともなく口角を吊り上げた。ふいに毛布の中に身体を忍ばせてキャミソールの紐を二の腕までずらし、まったく抵抗しないのを好いことに名前の柔肌に唇を寄せる。

唾液にまみれた舌が彼女の肩から首を濡らし、時折いたずらに点々と赤い模様を散らしていった。
するとくすぐったい感触からか、はたまた温い舌触りが気に障ったのか。依然として眉間に縦皺を作っていた名前が『安眠を妨害するな』とばかりに顔を背けたため、今まで細い髪の毛に秘められていた項が露わになった。
(バカだな、そんな風に弱いトコ開けっぴろげにしたらもっとやれって催促してるようなモンじゃねーか)
もっとも都合の好い解釈である。
安らかな寝息を立てる名前は未だ気付かない。側で良からぬ企てを謀るケダモノが、今にも自分に魔の手を伸ばそうとしていることなど。

ちゅ、ちゅっと愛しむようにわざと音を鳴らして数多の口付けを降らせていく。
朝が来て、また一日が始まればこんな風にゆっくり戯れることなんて夜まで出来ない、する気も無い。心ゆくまで名前の温もりを満喫する花礫には今さら恥じらいもなく、ただ夢中になって柔らかい肌触を貪っていた。

「……ん、さむ……、──んっ!?」
「ちっ、起きたか」
「起きたか、じゃないよ! なにやって……」
「何って見りゃ分かんだろ。キスマークつけてんの」
「〜〜っばか! ばか!! 平然と言わないで! 昨日あんなに付けたくせ……っんン!」

文句を捲くし立てる五月蝿い口を即座に塞いだ。
咄嗟のことで身を竦めた名前を宥めるように唾液で湿った肩を撫で、決して顔を逸らされることの無いよう冷気に触れて冷たい頬を鷲掴む。
唇は重ねたまま、スルスルと肩から腕を伝って手に辿り着けば意図せずとも絡まる指先。
頭の芯から痺れていくような感覚に名前は必死に意識を保ちながら、けれど恍惚とした確かな刺激にあまつさえ溺れてしまいそうだった。

その様子をひと目見て、もう無駄な足掻きはしないだろうとタイミングを見計らって花礫がもの惜しげに唇を離すと、ふたりの間を繋ぐ銀色の糸が重力に従って名前の口端に垂れる。
それさえ造作もなく舐め取り「ゴチソーサマ」と意地悪く笑った花礫にたちまち名前の顔は茹で蛸のように真っ赤に染まり、息を切らしながら涙で潤んだ視界で睨み上げれば鼻であしらわれた。

「にしても、どんだけキスしても上達しねーな……いつになったら年上のヨユーとかいうヤツ見せてくれんだか」
「余計なお世話です……そもそも息をつく間も与えてくれないのは花礫くんでしょ!」
「ちょいちょい与えてやってるだろ。いつまでもそんなんじゃ俺もそのうち飽きっかもな」
「……そしたら私も喰と浮気するから」
「──は? 誰が許すかバカ女」

ンなことしたらタダで済むと思うなよ。
物騒な顔付きと剣幕で凄む花礫に、『先に売り言葉吹っ掛けたのはそっちなのに』と相変わらずの理不尽さに名前がほんの少し頬を膨らませた。
すかさず添えられていた手のひらによって空気を含んだ頬を潰される。旋毛を曲げてあからさまに不機嫌さを露呈し体を横向きにすれば、何の躊躇いもなく上から大きい体が伸し掛かってきた。

「ちょ、重い」
「クソさみぃんだよ我慢しろ」
「私湯たんぽじゃないよ」
「んじゃ抱き枕」
「あいにく枕でもありません!」

でも、あったかい。
口では本心とは裏腹な言葉を言いつつも、名前は自分でも知らぬ間に腰に回された花礫の腕に手を重ねる。
その無意識の行動に花礫がまさか気付かない筈もなく、口から紡がれる可愛らしい反抗を「ハイハイ」と受け流しながら、なおいっそう抱き締める腕に力を込めた。

「そもそもこのベッド無駄にでけーんだよ。ふたりで寝ても余るっつの」
「朔さんと平門さんがくれたやつだからねぇ……なんだか返すのも申し訳ないし」

花礫も名前も、本来ならばベッドはシングルをふたつにして別々に寝るつもりだった。
お互い任務や仕事内容が異なった場合、部屋に戻ってくる時間もてんでバラバラだ。なるべく一緒にと周りが配慮して同時刻に仕事を上がれるよう気を使ってくれることが多いが、どうしても欠かせない重要な任務となるとそうもいかない。遠征に出掛けることもあるし、床に就く時間とてすれ違いになることもある。
だからもしそうなった場合『お互いの睡眠を邪魔しないように』と考えての決断だったのだが、茶化すようにやれ倦怠期か、やれマリッジブルーかだの煽り立てる朔と平門にこのダブルベッドを半ば無理やり押し付けられた。最初こそ花礫は断った、が。

「そうか……じゃあ名前、このベッドで俺と一緒に寝るか!」

あっけらかんと笑った朔からとんでもない火の手が名前に回ってきた。
「へ?」と開いた口が塞がらない名前そっちのけに「楽しみだなぁ、なぁ名前?」なんて悪い大人が底意地の悪い笑みを湛えてこれ見よがしにと硬直している女の肩に手を回す。仕舞いには傍らで「なんなら俺と一緒に寝るか、名前?」なんて悪い大人その二が朔の企みに便乗、加担してきて。
「テメェら……」
おちょくられてることを察した花礫は次第にわなわなと憤りに肩を震わせ、朔に抱かれた名前の腕を自らに引き寄せてしぶしぶ、あくまでも不本意な姿勢ながらダブルベッドを譲り受けたのだった。

「テメェもテメェだ。なに簡単に朔なんかに捕まってんだよ」
「いや呆気に取られたというか……まさかあんなこと言ってくるとは思わなくて」
「……オイ、何でそこで顔赤くしてやがる」
「え!? いや、別に……」
「ヘタな誤魔化しはいいからさっさと白状しやがれ。ナニ思ったんだ、ん?」

気に食わない、という意思が口には出されずとも花礫の険しい表情から伝わってくる。
これはまずい、墓穴を掘った。
悟ったときには既に手遅れ、逃すまいと腰に回された腕はがっちりホールドしている。
せめて何とか上から抜け出せないかと現状に屈しず脱出を試みるが、いとも容易く脚さえ押さえつけられ徒労に終わった。
観念しておそるおそる、唇を動かす。

「……朔さんの手、大きかったなって……」
「…………」

これだから絶対口を割りたくなかったのに……!!

無表情で黙り込んだ花礫を見て、名前は目も当てられないと両手で顔を覆い隠した。黒い影を帯びた表情なんて何も見ていない。きっとあれは幻覚なんだ、錯覚なんだ。
しかしどんなに自分に言い聞かせようとも、身に募る危機感はジワジワと足を生やして躙り寄る。
「へーえ……」地を這うような低い声が現実から目を背け続ける名前の耳朶を強かに打った。慄然とした凍てつく空気に肩を震わせる。外も猛吹雪ならこちらも負けず劣らず豪雪地帯だ、いやむしろ冷凍庫だ。
やがて間を置かずして手首を寝台に縫い付けられ、視界を遮っていたものが何も無くなった。

目前に迫る仏頂面。
こんな状況で無ければ(不貞腐れてるな、可愛いな)で済ませられる問題だが、下に組み敷かれたこの体勢ではいかんせん躱せるものも躱せない。

「あぁ、そりゃあさぞかしデケェだろうよ……てめーは女で、あいつは男なんだからな……」
「あの……花礫くん……冷静になって、ね?」
「なに言ってんだ充分冷静じゃねえか。むしろお前こそ、そんなに冷や汗掻いてどうしたんだよ。なんか後ろめたいことでも身に覚えあるんじゃねーの……?」
「うっ」

それは暗に例の朔との恒例挨拶のことを指しているのか。頬を引き攣らせぐうの音も告げない名前は口を噤み、せめて自分を射抜く黒曜石に捕らわれまいと忙しなく目線を右往左往に彷徨わせる。
しかし些細な悪あがきも長くは保たず。
手首を頭上にひと纏めにされ空いた片手で顎を固定された名前は、抗う手立てなく細く据わった目と視線を交錯させることとなった。

「分かんねーんなら実力行使で分からせるまでだよなぁ、名前?」
「いやもう充分痛感しました! 身に染みて理解したから大丈夫!!」
「口だけなら何とでも言えんだよこのバカ」
「ぐっ。そのほら、もうすぐ羊が起こしに来るし!」
「知るか、ほっとけ」
「〜〜っっだめぇ!!」

その後、名前の訴えも虚しく花礫が満足するまで至る所をしゃぶり尽くされ。
羊が朝起こしに来た頃には、ベッドの上で泥のように沈む彼女とどことなくスッキリしたような晴れ晴れしい面持ちの彼の姿があったという。

(う、動けない……)
(今日はお仕事休むメェ?)
(そうしとけ。クソメガネには俺から話しとくから)
(っそれだけはヤメテからかわれる!)

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