16


……本当に、珍しいこともあるものだと、立ち止まってついまじまじと窺った。

「……くー……」
「…………ん」

先ほどまでギャアギャアと休日恒例のように騒いでた親子ふたりが、今やすっかり鳴りを潜めて安らかに眠っている姿。背中合わせではあるけども格好は同じ姿勢を取ってて、ましてや梛は大きくなればなるほどに花礫くんそっくりな風姿になっていくものだから、まるで小さい彼と大きい彼がふたり並んでいるようだ。
自分の家族大好きな私からしてこの光景は微笑ましい以外の何物でも無い。無上の幸福だ。

「……ふふ、ヨダレ垂れてる」

梛の唾液で湿った口許を、偶然持っていた洗濯物の中から乾きたてのタオルを取り出して拭ってやる。今日は天気も良かったから久し振りに外で干した物だ。太陽の温もりも残っているから暖かくて、肌を傷付けないようコシコシと擦ってやれば心地良いのか寝ている筈なのに子供の顔は柔らかく綻んだ。
ふと隣に目線を移してこちらに背中を向けている花礫くんの顔を覗き込めばさすがにヨダレは垂れていなかったが、何やら不機嫌そうに眉間にはシワが寄っていた。
私が近付くまではまだ穏やかな顔付きをしていたのに、と思うものの、花礫くんは人の気配に敏感でちょっとした物音でも目覚めるときがあるから侮れない。

さてどうしたものか……うーんと頭を悩ませながら、おそるおそる梛と同じ黒髪を梳くようにして撫でれば次第に険しさは緩和していく。
ホッと胸を撫で下ろして、とりあえず片腕に抱えたまんまの洗濯物を仕舞おうと再び重い腰を上げれば、くいっと袖が引っ張られる感覚がした。

「…………ありゃ」

珍しいこと続きだなあ、と私の途方に暮れたような声が響いた。──あの、花礫くんが、私の服の裾を掴んでいたのだ。
いつもならむしろ私が引っ張ってお願いする側なのに、無意識とは言えど甘えるようなその素振りに私の頬はたちまち緩んだ。可愛いなあ、愛しいなあ。

……ああ、でもせっかくきちんと畳んだ洗濯物がヨレヨレになっちゃう。
掃除だって、配線機器のところとか埃溜まってるだろうからやんなきゃだし。
お風呂の支度も、沸かしてないと花礫くん起きたら五月蝿そう。後は、後は。

……たまには、良っかあ。

葛藤の末に単純な誘惑に負けて積み重なった洗濯物を横に置き、花礫くんの隣に寝そべった。
ベッドじゃなくて床だから少し身体が痛いしふたりとも果てしなく寝相が悪いから若干怖いけど、親子三人で川の字になって昼寝できる至福に比べたらそんなのどうってこと無い。
目前にある花礫くんの寝顔と聞こえてくる梛の安定した寝息に満たされた気持ちで居ながら私も目を閉じたとき、程なくして心和む空間には似つかわしく無い苦しそうな呻き声が耳朶を打った。
驚いて目を開けば、そこには胸元を手で押さえつつ顔を歪める花礫くんが居て。久し振りに見た現象に私は咄嗟に息をこらして、止めろ、と何度も譫言のように呟く彼の身体を自分に抱き寄せた。

「……ッ、……っ名前……?」
「……うん……、落ち着いた?」
「は……なにが、」
「また魘されてたから……」

私の指摘に、花礫くんは言葉を詰まらせたように口を噤んで気まずげに目を逸らした。首元にある彼の横顔を斜め上から見下ろして、苦虫を噛み潰したような表情からそっと心情を推し量る。

──たぶん、あくまでこれは私の憶測にしか過ぎないけれど昔の夢を見たんじゃないか、と見解を立てる。
かつて輪が海に沈めたあの船に、花礫くんが乗せられていた頃の夢を。もしくはひとり生き残ったことの罪の意識、に苛まれていたのだろうか。
『なぜお前だけ、自分だってこれからも生きたかったのに』。見えない怨念のような物は何年経っても花礫くんを解放してくれることは無く、いつまでも彼を雁字搦めに縛り付けたまま。
だから花礫くんも、自分だけが「普通の幸せ」を得ることは許されない、許さないとこれまで自身を必要以上に戒めていた。幸せになることに二の足を踏んで、また失うことに人一倍臆病な人だった。

失うくらいなら最初から無いほうが良い。ひとりのが気楽だ。何も気にせずのらりくらりと暮らして生きていけるから。あたかも幸せなど興味無いといった振る舞いで、だけど本当は誰よりも幸せを求めていた、欲していた。それは決して自分のでは無いけれど、花礫くんにとって大切な人たちの幸せを願っていたんじゃ無いだろうか。
亡くなったツバキさんやヨタカくん、今は壱號艇で活躍しているツバメちゃんを筆頭に、ただ微笑っていてくれればそれだけで良かったのにと。
花礫くん本人は全否定するけれど、本当は誰より心根が真っ直ぐで優しい人だから、自分が側に居ることで周りの人たちが危険に巻き込まれるんじゃないかと、もしもを危惧した上で故意にヨタカくんたちを遠ざけていたんだと思う。

そんな一途な想いさえ隔てる彼の過去の傷は、私がどう足掻いても癒すことなんてできないんだろう。
だから、言葉では表せられない悔しさを紛らわせるように花礫くんを抱き締める腕に力を込めた。彼はそのことに対して何も文句も言わず、黙って私に身を委ねる。

「お前は、なんも言わねえんだな」
「……今の花礫くんは、下手な慰めの言葉よりも人の体温を感じたほうが安心できるかなって」
「……んだよ、それ」

(──ドンピシャだった。この温かさに馴染んで、もうあることが当たり前だと慢心していた俺は見たくも無い夢を見て魘されて、改めて自分がどんだけ恵まれた環境に居るのか突き付けられて、……怖くなった。今この体温を失ったら、俺はきっとトチ狂っちまうんじゃないかとガラにもなく不安になって、けどそばから聞こえてくる名前の心音にささくれ立った心は凪いで、安心して目を閉じる)

「……慣れちゃ駄目だってのは、とっくに分かってんだ」
「うん、」
「失ってから気付いたことは沢山……かなりあった。後悔もしたし、自分の力量不足に腹が立った。ガキじゃねぇなんて突っぱねときながらあの頃の俺はやっぱガキでしか無くて、戦闘中もお前らのお荷物で居ることしかできなかったから」
「……ん」
「……今は、張り合えるだけの力があんのに俺は……時々まだ見失いそうになる」
「……幸せってものがどんなに尊いか、脆いものか。それをよく知ってる花礫くんなら、大丈夫だよ」

なんてったって、私がそばに居る限りは余所見なんてさせませんから。

私が自信満々に力強く断言すれば、静かに耳を傾けてくれていた花礫くんがふっと微笑った気配がした。直ぐに「ぶぁーか、」といつも通りの憎まれ口が返ってきて「何おう」と私も軽口を叩く。
毎度のことながら彼の言動は伴っていない。今だって悪態を吐いたものの花礫くん自身は甘えるように私の首筋に額を押し付けて、腕と足を私の身体に巻き付けるよう密着してきた。
さながら猫みたいだとは口にせず、私はここ最近滅多にできないイチャイチャタイムに上機嫌のまま花礫くんの頭をいっそう抱き込む。

……すると、何やら恨めしそうな眼差しと視線がかち合い、心臓が止まるかと思った。
目線が交錯した子供は硬直した私など意にも介さず、むすっとした表情で私にくっつく花礫くんの脇腹目掛けてのし掛かる。

「、っぐ、! ……梛、テメェなぁ……!」
「ぱぱばっかりズルい! 何でままにぎゅうってされてるの!? そーいうのヌケガケっていうんだよ!」
「ハッ! 悔しかったら力付くでも退かしてみろよおらっ」
「……うわ、子供っぽい挑発」
「……オイ、聞こえてんぞ」
「気のせい気のせい!」

おっと、うっかり漏れた本心が耳敏く花礫くんには聞かれていたようだ。
じとりと怪しげに見つめてくる視線に危ない危ないとすかさず口にチャックしつつ、またもや梛とじゃれ始めた旦那様を見て笑う。やっぱり我が家には暗い雰囲気なんて似合わない、こう常に明るく居ないと落ち着かない。それもこれも、この子が居てくれるからなのだけれど。

「あーハイハイ、梛もおいでー」
「わぁいっ!」
「あ、名前てめっ……」
「順番順番。パパは後ね」
「あとあとー」
「……っとに、」

──だったら、纏めてこうすりゃイイだけだろ。
そう言って、花礫くんは無理やり間に入り込んできた梛ごと私たちを抱き寄せた。今までは私が腕枕をしていたのにたちまち形勢は逆転して、今や花礫くんの腕を枕代わりにするように。
「くるしいよーっ」なんて言っておきながら梛は嬉しそうに私たちの合間できゃっきゃとはしゃいで花礫くんのお腹にしがみ付いてて、花礫くんも、すごく優しい目で梛の頭をくしゃくしゃに撫でていた。

「……やっぱ、死んでも慣れたくねェ」
「それでも慣れちゃったら、今以上の幸せ築けば良いんじゃない?」
「余計怖えーっつの」
「それは……ごもっとも」
「しあわせー?」
「そう、幸せ」
「……? ボクしあわせだよ? だって、ぱぱとままがいるもん!」

梛の思いがけない言葉に花礫くんと揃って顔を見合わせた。きょとん、とした邪気ない視線が下から突き刺さってくるのも御構い無しで、真面目に話していた自分たちが馬鹿らしくなった私たちふたりはついと笑ってしまった。
子供というのは純粋だ、だからいつも大事なことは必ず子供に気付かされる。幸せというものを複雑に捉えるようになってしまった大人とは違って、子供はほんの些細なことでも幸せだと受け止めるから。
「見習わなきゃ、ね。」「かもな。」なんて言葉を花礫くんと交わして、首を傾げた梛を丸め込んで暖かい夕陽に包まれながら私たちは眠りに就いた。
(手と手のシワを合わせてしあわせ、なんてね。)


甘いわだかまりが一つ

「メェ。風邪引くメェ」
「仕方ないメェ。世話が焼けるメェ」

三人が仲睦まじく並んで眠っているところに羊達がぶつくさ言いつつ協力しながらブランケットを掛けてやる光景を目撃したのは、とある艇長のお話。

prevnext