17
「ぱぱそこどいてっ! きょうはボクがままとさきにヤクソクしてたんだよ!」
「あ? 知らねぇーよそんなモン。約束なんざドブにでも捨てとけ」
「ヤクソクやぶったらうそつきのはじまりだってよぎがいってたもん!」
「それ約束じゃねーし、嘘つきでもなくて泥棒の始まりだろ……」
確かにこの貳號艇にとってとある父子ふたりの言い合いはよく見る光景、日常茶飯事だった。
鳥が鳴かぬ日はあってもふたりが名前を挟んで口論、もとい小規模な争奪戦をおっ始めない日は無いに等しく、お馴染みの光景はすっかりここ数年で染み渡り、今や仲裁しようなどと空振りでしか無い試みに踏み出す挑戦者は居ない。
つまりああだこうだと屁理屈を並べる大人と駄々を捏ねる子供を止められる人間はひとりしか存在せず、その唯一が呆れ返ってふたりを窘めるまでは堂々巡りが繰り返されるのだ。
そこで今日も今日とて喧々囂々と戦いの火蓋が切って落とされたとき、周りに居合わせた闘員達は『またか、』とウンザリしたような目付きでふたりを一瞥した。
当然思わぬ火種が飛んで来て巻き込まれるのはまっぴら御免なのでそそくさと用事を済ませてみな一様に解散する。いちおう公共の場でもあるのだから少しは人目を憚れと言いたいところだが相手は年端もいかない子供。
代わりに花礫に物申したところで糠に釘を差すようなものだから──実際注意したら覚えとく、といった曖昧な答えが返ってきたらしい──断念。なので、そういった対処に困ったときは手っ取り早く名前を召喚して収拾着けてもらうのが暗黙の了解と見做されていた。
だから今回もふたりの喧嘩を目撃した闘員はすぐさま例に漏れず、現在は葬送任務に赴いている名前にメールを送った。まだ取っ組み合いをしてる訳では無いから緊急性は無い、と焦らなくていい旨と証拠の画像を添えて送信。
するとちょうど葬送を終えて浄化作業に入っていたらしい名前から返信が来て、それは了解の意とともに迷惑をかけてごめんね、と申し訳なさを文面に滲ませた内容だった。
逆にこちらが匙を投げてしまって申し訳なくなると思いつつ、闘員は仕事の邪魔にならないようにと携帯の電源を落とした。その後、花礫達が帰ってきた名前にどうお灸を据えられたのか、行方は知らない。
────そして翌日、いつも以上にブスッとした表情の花礫と今にも泣き出しそうなくらい悲痛な面持ちで膝を抱える梛の姿があった。
見かけたのはツクモで、報告したのは羊。また我々にとっては取るに足らない諍いでもしていたんじゃないかと平門は最初こそ呆れ気味に肩を竦めたが、親子揃ってそこはかとなく沈んでいる様子をこの目で見るとどうやら見当違いだったようだ。原因は言わずもがな最愛の名前にあるのだろうが、理由は未だ不明のまま。
憩いの間にあるソファーに並んで座る後ろ姿に声を掛ければ花礫は気だるそうに、梛は弾かれたように振り向いた。
「ひっ、ひらとざぁっ……!!」
「どうした、梛。そんなに涙をボロボロこぼして……名前は居ないのか?」
「……居るけど」
「まっ、ままにキライって言われちゃったよぉ……」
「……名前に?」
そんなまさか、と平門は泣きぐずる子供の背中を宥めながら眉を顰める。
探るようにドッカリとソファーを陣取る花礫に視線を移せば、彼は舌を打って居心地悪そうに目線を外した。何やら本当のことらしいが、あの名前が冗談で自分の子供や想い人に心無い言葉を当てつけるとも思えない。
「何があったんだ」とため息を吐いて事の真相を問い質せば、梛は真っ赤な鼻を啜りながら「けんかばかりするボクたちはキライだって、」と単純かつ明快な説明をしてくれる。そのひと言ですべての発端が紐解けた平門は成る程なと苦笑し、大好きな母に嫌われてしまったと名前の言葉を真に受けて落ち込む子供の頭を撫でた。
「ボク、あいそつかされちゃった……?」
「……凄いな、梛はもうそんな難しい言葉まで使いこなしているのか」
「んぐ、……ほんに、かいてた」
「本? なんて絵本に?」
「絵本じゃねーよ。梛がいま夢中になって読んでんのは【ダンナは見た、嫁と姑の熾烈な修羅場劇場!】とかいう漫画」
「四歳児になんてエゲツないもの読ませてるんだお前たち夫婦は」
「俺が読ませてんじゃねえし」と相変わらず知らん振りを決め込む花礫と「あの本は全部フリガナ書いてあるんだよ」とご丁寧にも教えてくれる梛。
残念ながら平門が突っ込みたいのはそこじゃない。
タイトルからして醸し出される泥沼臭。よりにもよって嫁姑などと大の男でも薄恐ろしさを感じる世界をこんな年代から知識として蓄えて悪影響を及ぼさないか平門は甚だ心配になったが、話が逸れてしまうためいったんこの話は置いておこう。
「もしかして昨日か?」先日顔を合わせたときふたりは普通だったことから、そう遠くはない出来事だと憶測して首を捻れば梛が頷く。
報告を受けてから急いで任務を済ませ帰艇した名前はそれはもう鬼のような形相でふたりを糾弾し憤慨していたという。
故にふたりが「きちんと反省するまで許さないから!」とそっぽを向いて、昨夜は花礫と梛を夫婦の寝室に寝かせて名前自身はひとり梛に与えられている子供部屋に引きこもり眠ったとか。だから花礫の機嫌も最悪なのかと合点がいった。
平門はヤレヤレとかぶりを振って、断続的にしゃっくりをこぼす子供を己の腕に抱き上げる。
「これに懲りて少しは喧嘩控えるか?」
「ん……いっぱい、いっぱいはんせーした。ままにごめんなさい、する」
「そうか……梛は良い子だな」
「……」
「花礫も。いつまでもそうやってむくれて居ないで梛を見習ったらどうだ」
「……うっせーよ」
「そんな憎まれ口を叩けるのも今だけだと思うがな。……なあ、名前?」
タイミングを図ったように平門が名を呼ぶと躊躇いがちに顔を覗かせる名前。何やかんや言っても結局ふたりが心配でちょくちょくと仕事の合間抜け出して動向を窺っていたらしい。
その目の下にはハッキリとした黒い影も有って、彼女もひとりではまともに睡眠を取れていなかったのだろう証拠が浮き彫りになっていた。
「まま!」となりふり構わず平門の腕から降りて駆け出した子供が名前の脚にしがみつく。再びぐすぐすと泣き始める梛の痛ましい姿に名前は眉尻を下げながら次から次へと溢れ出す涙を拭い、ごめんね、嫌いなんてウソだよ。と自身に抱き着く息子の頭を撫で慰めた。
花礫は黙して語らずただじぃっとその光景を眺めていただけだが、ふと嘆息を吐いて重い腰をソファーから上げる。そしてふたりに近付いて何をやるのかと思えば、平門と同じく花礫の行動を訝しげに見上げた名前の額目掛けてデコピンをひとつ。
「、った!」
「例えハッタリでも自分のガキ泣かせてんじゃねーよバーカ。梛も嫌いって言われたくらいでピーピー泣くな、男だろ」
「だっ……てえ……」
「俺を超えたいんだったら、辛かろうが歯ァ食い縛ってしゃんとしてな」
「……ん!」
「花礫くんも……ごめん」
「良いから……お前も反省してんだろ。コイツには間違っても二度と言うなよ」
────やはり、一家の大黒柱は腐っても花礫なんだな、ということを平門は改めてしみじみと実感した。名前が重要な中心核かと思いきや、この家族の手綱は常に花礫が仕切っている。
『艇に来た頃はまだあんな幼い子供だったのに、今は立派に梛の父親を努めているんじゃないか』と平門は微笑ましい気持ちになって、自然にふっと笑みを落とした。無論それは観察力の鋭い花礫に見られて「ナニ笑ってんだよ薄気味悪ィ、」と毒づかれたが。
そこで名前がジンジンと痺れの残る額を摩りながら、これまで成り行きを見守っていた平門にお手間取らせてすみません、と軽く頭を下げた。
梛も続けざま彼女から離れて「ありがとうございました」と拙いながらに頭を下げたことから、あんな本を読んでいても教育はしっかりされてるんだなと胸を撫で下ろしつつ平門も微笑み返す。
「梛も歴とした貳號艇の一員だからな、いつまでも曇った表情をされていては皆の士気にも関わるから、艇長として当たり前のことをしたまでだよ」
言ってシルクハットを梛の頭にかぶせた平門は優しく笑い、「ところで、」と湿っぽい空気を一掃しようと話題を強引に転換させる。そのターゲットは多少険しさは和らいだ花礫に向けられ、平門は面白そうに口角を吊り上げながら「花礫はまだ名前に謝っていないよな?」とけしかけた。ハッと気付いた彼女が忌々しそうに顔を歪めた彼を見やる。
「……がーれーきーくーんー?」
「……チッ、おとなしく黙ってりゃあやり過ごせたものを」
「感心しないな、子供の前にも関わらず自分だけ罪逃れをしようなんて。梛、これがセコい大人のやり方というものだ、反面教師として覚えておきなさい」
「あい!」
「あっ、てめ……っ!!」
「花礫くん。ごめんなさい、は?」
すかさず文句を付けようとした花礫に名前が笑顔で詰め寄り封殺する。尤も笑ってはいるが目は真剣だ、名前も時が経つにつれてずいぶん逞しくなったものだと感嘆の息をこぼす。優勢から一気に窮地へ追い込まれた花礫はあからさまに頬を引き攣らせ、悠然と佇む平門に向かってガンつけた。余計なこと言いやがって、とでも言いたげな眼差しだ。
この期に及んでまだ反抗的な青年の態度に少々悪戯心がくすぐられた平門はクスリと微笑い、「仲直りの印としてキスでもしておいたらどうだ」と畳み掛ける。
「これなら名前からも一発でお許しが出るかもしれないぞ?」とも。しかし当然素直に花礫が言う通りにする筈もなく。
「誰がこんなとこでするかっての」
「…………ほう、じゃあここじゃ無ければ構わないんだな? だそうだぞ、名前」
「ふふ、なら後で試しにおねだりしてみましょうかね平門さん?」
「ボクもままにちゅーするー!!」
「ホント? 嬉しいなぁ……パパも一緒にしてくれたらもっと嬉しいんだけどな」
「ぱぱはいくじなしだからできないんだって〜」
「そっか、じゃあ梛だけでも充分だねえ」
「……ふっ、言われ放題だな」
「〜〜っ、おま……えらなぁっ!!」
梛は兎も角、今の挑発された花礫は完全に平門と名前の思う壺だった。見込み通りやれ意気地なしだのあたかも度胸が無いみたいに馬鹿にされてプライドの高い花礫が黙っている筈もなく、舌打ちした彼は思い切って名前の腕を引ったくり血色の好い白くふっくらとした頬にキスを落とす。
あいにく名前が密かに待望していた唇では無かったが、このような人目に着くやもしれない場所、ましてや平門の前で口付けるなどと普段なら絶対にあり得ない行動を果たしただけ及第点といったところだろうか。「ふふふ」と含み笑う名前は確実に確信犯だった。
「っ先、部屋戻る」やがて場の空気に居た堪れなくなったのか、花礫は赤い耳を隠すように身を翻して休憩室から出て行った。おそらくほとぼりが冷めるまではろくに口も利いてくれないだろう。分かりやすい彼の言動にクスクスと名前は笑いながら、梛を抱き上げたあと改めて平門と向かい合って礼をする。
「それじゃ平門さん、私たちも自室戻りますね。本当にありがとうございました」
「いや、そう何度も礼をされることじゃ無いさ。……それより、」
「はい?」
「梛の見ている本、あれは誰が?」
「あぁ……えーと」
「? つきたちだよーっ」
何とも言えない沈黙が降りた。
自分の発言によりどことなく息苦しい空間が作られたことを知る由もない子供はキョトンと目を瞬かせて呆けている。
苦笑する名前、頭を抱えた平門。異様な空気。
ポツリと、呆れた艇長は口を開いた。
「…………俺から厳重注意しておく、次からはもっとマトモなの寄越せとな」
「……お願いします」
「んん?」
「梛は知らなくて良いことだよ」
「嫁姑の世界も、今の言葉の意味もな」
「だっておもしろいよ?」
「あんな物に面白さを覚えちゃダメっ」
言い訳だらけの恋愛ゲーム
でも、だって、だから。
そんなありきたりな言い訳を並べるのも良いけれど、喧嘩は程々に。
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