桜の木の怪
陰陽師の屋敷には、桜の木が立っている。
風に揺蕩う薄紅の袂に槍を突き立て座っていた夜叉は、通りかかった陰陽師へ声を投げた。
「なあ、陰陽師」
くるりと振り返った陰陽師は、夜叉の考えに気付いていない。
夜叉は、口角を高く吊り上げて、愉悦を溶かした声色のまま語り出した。
「桜、綺麗だろ? どうして桜が綺麗なのか、テメェも知らねえだろ」
夜叉は言葉を切り、桜を見上げる。
桜の木が地面へ投影する陰と陽の境界線が、夜叉と陰陽師を隔てているようだ。
薄紅の森の中、夜叉はいつぞやに書妖がからからと語っていた言葉をなぞる。
「『桜の樹の下には屍体が埋まっている』からなんだとよ」
目を伏せれば、用意に思い浮かぶ。
地の深い深い所で、ぐずぐずに腐った屍体を大事に抱き込んだ桜の根が。
屍体の血肉を啜り、花弁を美しく染め上げる桜の枝が。
その全てが脳裏に浮かぶ度、夜叉が浮かべる愉悦の笑みが深まっていく。
それとは対照的に、陰陽師の表情は困ったような微苦笑だ。
「もう、からかわないで下さいよ。ここ、一応陰陽師のお屋敷なんですから、そんなものがあったら困りますって」
「ハッ、そうかよ」
夜叉が、地面へ突き立てたままの槍を手持ち無沙汰に捻る。
その手に伝わった血肉の感触など、陰陽師は知らなくて良いことだ。
梶井基次郎『桜の樹の下には』より。
陰陽師には見えていない、気付いていない『何か』に気付いていた夜叉さんのお話。