1. マリーゴールドの果て
政略結婚。人はそういうだろう。
これは砂隠れの里との同盟のための結婚だ、と六代目火影はたけカカシにそう告げられた奈良シカマルは、里の中でも群を抜いて頭の切れる男だった。
結婚相手としてあがったのは、砂隠れの里の上忍テマリ。砂隠れの里の風影我愛羅の姉であり、くの一としても一目置かれるほどの手練れだ。
出会いは自身の中忍試験だった。忍としては受けておかなければならない試験ではあったが、当時やる気のない性格であったシカマルは勿論出世欲もなく、しぶしぶ中忍試験を受けていたほどだった。そんなシカマルが何だかんだ最終試験まで進んだ訳だが、その時の対戦相手がテマリであった。
その時は、自身の得意とする術と状況に応じた戦略で有利に立ったにも関らず、テマリが自分には敵わない相手だと判断し、自ら棄権したのだった(結果、その判断が中忍にはふさわしいとされ、シカマルは中忍に昇格できたのだが)。それが彼女との出会いだった。
月日が経ち、中忍試験の運営委員に就いたシカマルは、砂の役員でもあるテマリを里の入口から会議室までの案内役として会議がある度に送り迎えをしていた(面倒くさがりの彼としては、さぞかし嫌な役回りだったのであろうが)。それを機に、確かに仲良くはなった。任務や中忍試験の内容等の会話以外に、お互いの日常のこと等他愛もない会話をする程度には。
その後の任務でも幾度か彼女には世話になった部分はある。シカマル自身はそうではなかったのかもしれないが、傍(はた)からしたら確かに特別仲良くは見えたのかもしれない。
それらのことを踏まえたうえでのカカシの結論がこれか。と、シカマルは眉を顰めた。
「なんで俺なんすか」
「お前以外に砂の人間と交流が深い人が他にいないんだよ。仲良いだろ、テマリとは」
何を根拠に。と思わず喉まで出てきた言葉を飲み込み、代わりに深い溜息を吐(つ)いた。
「あれ、違うの」
もう一度、深い溜息を吐くシカマル。
「……六代目。」
「ん?」
「……知ってますね、その眼は」
「なんのことかな?」
これほど勘の鋭い男が、気付いていないはずはない。知ってるうえで話をしているんだ。
「俺が、いのと、付き合っていることを。」
事を確かめるかのように、単語を途切れ途切れにして言った。えっそうだったのー?!なんてこの期に及んでシラを切るつもりでいるから余計に腹立たしい。シカマルは小さく舌打ちした。
そう。奈良シカマルは、山中いのと三年前から付き合っている。
幼馴染である いのは、気が付けばいつも自分の隣にいてくれて、自分の全てをわかってくれる、唯一無二の存在であった。
いのは幼い頃からサスケが好きだった。しかしそれはサクラへのライバル心から生まれた想いであり、月日が経つにつれサクラへのライバル心は薄れ、それと共にサスケへの想いも知らぬ間に無くなっていた。
「あんたが好き。いつ好きになったかわからないの。でも、好きなの。」
そう いのから言われた時は、ごく自然に耳に入ってきた。昨日の晩にこんなの食べたのよ、とかそういう類の日常会話のように。それに返す言葉も、また自然だった。うちの晩飯はこうだったぜ、くらいのような。
「ああ、俺もお前が好きなんだろうな。」
めんどくせーけど、付き合うか。と続けると、めんどくさいって何よ!とこれまたいつものように小突かれた記憶はある。
恋人同士になったからといって特別何か大きな変化があったわけでもない。今まで通り、お互いの家を行き来したり、街をぶらぶら歩いたり、甘栗甘に付き合ってやったり、そこでだらだら話したり。全てが今まで通りだった。たまにキスして、手を繋いだり、触れていたりすること以外は。
しかし、それですら今までの延長線上にあるようなもののように ごく自然な成り行きでしていたから、特別な大きな変化として扱われなかったのがこの二人らしいと言ったらそうなのだけれど。
もともと幼馴染だったし、下忍時代からスリーマンセルを組んでいたというのもあって、普段からチョウジと三人で一緒に行動していたし、そのうちのどちらか二人きりで歩いてたとしても噂が立ったりはしなかった。
そのせいもあってか、二人にとって一番近い存在であったチョウジですら、二人が付き合っているということに気付いたのが半年経った頃であった。
チョウジは、二人が相思相愛だということを当の本人達が気付く前から気付いていたのに、肝心の付き合いだしたタイミングは、あまりに二人が自然過ぎていたため気付かなかったようだった。
いのとは、これまた自然な成り行きで、このまま結婚するんだろうな、なんて漠然と考えていたシカマル。
時が来たら、面倒くさいが自分からプロポーズして(そういうところにはやたらと厳しそうなロマンチストな彼女でもあるし)、人並みに式を挙げて披露宴して(ここもちゃんとやらないと彼女は怒るだろう)、子供も産まれて、相も変わらず いのにガミガミと怒られながらも幸せな日常を送ってゆくのだと、ただただ漠然と考えていた。
それなのに。
「……あんたが気付いてないわけない」
「んー……まあ、そうね」
「じゃあなんで…!」
座ったまま椅子を回し、シカマルに背を向けるカカシ。ここは木の葉隠れの里を一望できる場所でもある。
「……親父さんに、何も言われてなかったのか」
「親父に……?」
シカマルの父シカクは第四次忍界大戦時に命を落とした。ろくな遺言も聞かぬまま。
「…そうだよな、あの頃は、きっとそんな話をしている暇もなかったし、お前もそんな歳ではなかった」
「なんだよ、親父が何言ってたんだよ」
キィ、と椅子が小さな声をあげる。シカマルの方を向きなおしたカカシは真っ直ぐとシカマルの目を見つめてこう言った。
―――お前は、いのとは、どうしたって一緒になることはできないんだ。―――
思考回路が停止するとはこういうことを言うのか。肝心な時に頭が働かない。
―――おれが、いのと、けっこんできない……?
言葉を失っているシカマルに、カカシは続けた。
「お前達の家系に代々伝わる猪鹿蝶フォーメンション、あるよな?」
え、あ、はい、と半ば上の空になっていたシカマルは慌てて返事をした。
「お前達はそんなふうに思っていないかもしれないけどな、あの連携戦術はうちの里の中でも歴史のある大切な戦法のうちのひとつでもあるんだ」
「そ、そうなんすか」
かつて父は、代々伝わる秘伝だから後世にも伝えていかなくてはいけないんだぞ、とよく言っていたものだ。そこでシカマルはハッとする。頭の回転が速い彼がここで気付かないわけない。
「……そうだ」
「そ……そんな…うそ、だろ……」
「嘘じゃない。お前のおふくろさんに聞いてみろ。いのの母上も、そろそろ いのも年頃になるし、婿養子を取ることくらい、考えているだろ」
「……っ!」
視線を落とし、血が滲んできそうなくらい強く唇を噛んだ。震える握り拳はこの猛暑のせいか、汗で滲んでいた。その拳の中で爪が食い込む。がらがらがら、と頭の中で何かが音を立てて崩れていく。足は痺れているように感覚を失っていた。
失礼しますもまともに言わずにシカマルは火影室を飛び出した。そこからどうやって帰ってきたのか覚えていない。蝉時雨がわんわんと耳に響いて煩かったことくらいか、もはやそれもうろ覚えだ。今はただ、自室の机に突っ伏しているのが精一杯だった。
奈良シカマル。
奈良家の一人息子。奈良一族に伝わる秘術、影を操る忍術を得意とする。家屋は和風そのもの。広大な庭では鹿も数頭飼っている。
長男であり、一人息子でもあるシカマルは、奈良家の跡取りとしてここまで大切に育てられてきた。
山中いの。
山中家の一人娘。山中一族に伝わる秘術、心転身の術を得意とする。家業は花屋で、よく手伝いもしているため、花言葉や植物に詳しい。
こちらも長女であり、一人娘でもある いの。山中家の跡取りとしてここまで大切に育てられてきた。
そう。次期当主である自分達は、一族の血を絶やさないために、お互いがお互いにそれぞれ相手を見つけ、その人と結婚しなければならなかったのだ。
猪鹿蝶フォーメーションは、奈良家、山中家、秋道家の三家併せて代々伝わる、特殊な連携戦術であった。一族の血を絶やさないのも、猪鹿蝶フォーメンションも、全て後世に繋げていかなくてはならないのだった。
しかしシカマルと いのが結婚してしまったら?子供が産まれてしまったら?
バランスよく保たれていた正三角形が、崩れてしまう。猪鹿蝶も、そこで終わってしまう。全てが終わってしまうのだ。
シカマルは、もう自分は大人になったつもりでいた。しかし何もわかっていなかった。その紛れもない事実を突きつけられるまでは。自分はひどく子供で、幼くて、無知であったのだと、このとき初めて知った。
なぜ気付かなかったんだ。俺達は。今まで、たったの一度も。少し考えてみればわかるようなことじゃないか。
絶望だけが、彼を襲う。やっぱり蝉時雨は、煩かった。
長い長い夏が、始まったばかりのことだった。
*****
いのはなんて言うだろうか。
できれば いのには話したくないことだ。しかし話は順調に進んでしまっている。このまま黙っておくのは難しいし、それこそ いのへの裏切り行為になってしまう。
いのとの待ち合わせ場所にしていた喫茶店。昼時というのもあってかランチを求める幅広い年層で賑わう店内だったが、シカマルの耳にはもはや届いていない。
待ち合わせの時間より一時間も早く着いてしまったシカマルはブレンドを頼んでしばらく考え込んでいたが、カップの中身の進みは悪く、せっかくのブレンドもぬるくなる一方だ。
「お待たせ!」
「よ、よう」
何となく、いののことを直視できなかった。別に自分は何も悪くないのに。
向かいの席に座り、メニューを広げる いの。どれにしようかなーなんて言い、メインよりもセットのデザートに目を輝かせている。
「あんた、この暑さだってのにホット?ていうかお昼ご飯は?一緒に頼んじゃいましょうよ」
「あ、ああ」
開いて見せてくれたメニューを見てみるが、どれも同じようなセットに見える。サンドウィッチの中身が多少違う程度で、それに飲み物とデザートが付くくらいで。はっきり言ってそこまでの食欲はない。頼んだ珈琲だって喉も通らないというのに。
「あ…ごめん、やっぱ俺、いいわ」
「あら、そう?じゃ、わたしこれー」
注文を伺いに来たウエイターに、Cセットひとつで飲み物はアイスレモンティーを食前で持ってきてください、と言った。ウエイターがかしこまりましたと言い去っていく。それと同時くらいのタイミングで、いのはシカマルの方を向き直した。
「大丈夫?具合でも悪いの?」
「あ、いや…朝飯食い過ぎたかなってくらいで、別に具合が悪いわけじゃねぇよ」
「そう?ならいいけど」
苦し紛れの言い訳だったかなと内心苦笑し、歯切れの悪い相槌をうつ。
「…で?話って何よ?」
「え、あ…ああ、そうだったな…」
「なによ、ぐずぐずして」
「そんなんじゃ、ねぇけど…なんつーか、その…」
気まずそうに、でも慎重に言葉を選びながら話を切り出そうとするシカマル。
「なによぉ〜、あっ、もしかしてあんた、プロポーズぅ?」
楽しそうに、にやにやとしながらシカマルの顔を覗き込む。でもただの喫茶店でっていうのがロマンチックに欠けるっていうか〜あ、でもその方があんたらしいか〜、なんて勝手に盛り上がっている いのに慌ててシカマルは返す。
「ちっ、ちげーよ!」
「なによ、そんなに全否定しなくたっていいのに!」
唇を尖らせて眉間に皺を寄せる。先程のウエイターがアイスレモンティーを運んできた。ふん、と鼻を鳴らしながらさっそくそれを飲む。いのは紅茶に砂糖やシロップを入れない主義だ。
「いや、そうじゃねえけど…」
「って…えっ?!まさか別れ話?!」
みるみるうちに顔を青くする いの。よくもまあここまでころころと表情が変わるもんだと普段から感心はしていたが、今はそれどころではない。それよりも残酷なことを今から言おうとしてる自分を呪いたくなった。
「いや、別れ話…っていう訳じゃねえんだけどさ…むしろ別れたくねえし、でもそういうことになるのか何て言うのか…」
「もう、はっきり言いなさいよ!」
――――テマリと結婚しろと、六代目から命令された。――――
カラン、とレモンティーの氷の音が鳴る。グラスには汗を滲ませていて。ブレンドの方はとっくに冷めきっていた。酸味が増し、余計に飲む気がなくなってしまう。
表情が消えた いのは、言葉を失っているかのようだった。
「……砂隠れとの同盟のためだとよ」
「な…によ、それ……」
やっと絞り出したような声。賑やかな店内ではかき消されてしまうほどの。
蒼い大きな瞳にまっすぐ見つめられる。今にも零れ落ちそうなくらいの涙が、その瞳を揺らしている。
「こっちが聞きてえよ…」
「……あんたはそれでいいの…?」
「いいわけねえだろ。俺には いのが居るとも言った」
「じゃあ何で……何で断らなかったのよ!!」
「どうしたって断れねえ事情があったんだよ!」
あまり大声を出さないシカマルが珍しく声を荒げたものだから、いのは肩をびくつかせ、目を丸くした。
ウエイターが頃合いを見計らっていたのかと思わせるようなタイミングで いのが頼んだランチを運んできたが、勿論いのは手もつけられずにいた。
視線を落とし、深い溜息を吐くシカマル。そして静かに話しだした。
木の葉隠れの里と、砂隠れの里の友好同盟のためだということ。
その結婚の話に、なぜ自分の名前が挙がったのかということ。
そして、自分達の置かれた状況、家柄と、絶やしてはいけない連携戦術のこと。
静かに、淡々と、まるでマニュアル文書をただ読み上げていくように、シカマルは いのに話した。いのは相槌ともいえないような返事を時折挟みながら、その話を呆然と聞いているだけだった。
「…そんな……そんなの…あんまりよ…!」
最後まで話しきったシカマルは、とうとう目の奥が熱くなり、込み上げてきたものを堪えるかのようにぎゅっと目を瞑った。
上が決めたことに逆らうことは難しい。それこそ里を抜け出して駆け落ちでもしない限り。
「……!」
駆け落ちというその言葉が脳裏に浮かんだ いのは身を乗り出すようにしてシカマルに言う。
「そうよ、シカマル。里を抜け出しましょ…!」
「里を…?」
「そう、里を抜けるの。駆け落ちよ。誰にも見つからないところに逃げて、結婚して、ずっと一緒に二人で暮らすの!それなら…」
「いの」
いのの言葉を制するシカマルの声は、あまりにひどく冷淡だった。
「俺だって、いのとは別れたくない。お前のことが好きだ。これからだって、ずっと。」
滲む涙を極限まで堪えながら続けるシカマル。絶望を目の当たりにした いのの瞳からはとうの前から涙が零れ落ちている。
「だけどこれはもう、どうしようもないことなんだ…」
「嫌…!いやぁっ……!!」
いのは両手で顔を覆い、それ以上何も言わずただ泣きじゃくっていた。それを見つめるシカマルの目も、闇を見ているようだった。
せっかく頼んだランチは食べられることなく、小さなテーブルの上で置いてきぼりとなってしまった。
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2016.09.22
Gleis36