2. 深紅のゼラニウム
喫茶店で いのに結婚の話をしてから暫くの月日が経った。あれから何度か顔を合わしたものの、ろくな会話もできずにいた。実家の花屋を手伝っている いのを見かけた時は笑顔を見せていたものの、やはりどこか寂しげで、心の底から笑っているところはもう暫く見ていない。
テマリとの結婚式の話は着々と進んでいた。火影のカカシと風影の我愛羅が会談を何回も重ねていて、友好同盟の話もまとまりそうだった。
国を跨いでの婚儀であったため準備はそれなりに大変なんだろうとシカマルは面倒に思っていたが、それぞれの国の役員たちが勝手に進めていってくれたので、こちらが何かをすることもなく準備が整ったのだ。
当のテマリはというと、結婚に関しては満更でもないようで、同盟の話抜きにしても内心喜んでいるようだったのが、シカマルには意外に思えた。
何となく、ただ淡々と。過ぎてゆく日々の中で、いののことだけが気がかりになっていたシカマル。テマリに呼ばれても上の空であることが多く、怪訝な顔をされることが度々あった。
そしてとうとう、いのとはっきり別れたことになっていないまま、式当日の朝を迎えてしまった。
式は淡々と予定通り行われた。
神前式で、知人友人は呼ばない親族と木の葉隠れと砂隠れの両里の重役が参列する式となった(テマリは砂隠れの里の友人を何人も呼びたがっていたそうだが、友好同盟のための重要な結婚式を、通常の浮ついた結婚式と同じにしてはならないということで、その意向は敢無く却下された)。披露宴も勿論その面々で。
唯一、友人達を呼べる場となったのが、小洒落たレストランで行った会員制の披露パーティーだった(こちらはシカマルの意向で、小規模に納まったが)。
しかしどのシーンにも、いのの姿を見かけることはなかった。当たり前か、と静かに目を伏せて、つまらなさそうにグラスに注がれたシャンパンを一口飲む。
「シカマルさ〜ん!」
シカマルの周りに、テマリの後輩らしき女達が三人現れた。三人ともサテン生地のネイビーだのボルドーだののパーティードレスを着ていて、髪の毛は派手に盛られていた。キャッキャッと近寄ってくる彼女達を横目にシカマルは溜息を吐く。
「テマリさんとは、いつからお付き合いしてたんですかあ〜?」
口に含んだシャンパンを思わず噴き出しそうになったのを堪える。
「はあ?どこからそうなるんだよ。これは同盟のための結婚なんだぜ?付き合ってるとか、有り得ないから」
きっぱりそう言うシカマルに、三人はきょとんとした顔をした。三人の顔つきがさっきからシンクロしていて実に滑稽である。
「えっ、でもテマリさんとは仲良かったじゃないですか〜!」
「そうですよ〜!」
「…どうして仲が良いのと付き合ってるがイコールで繋がるんだっての……」
シカマルは呆れてそれ以上の言葉が出てこなかった。
「テマリさん、里でもいっつもシカマルさんの話してたんですから〜!」
「いつも?」
「そりゃあ、もう!」
「こらっ、お前達!!何をくだらんことを吹き込んでる!」
「あっ、テマリさんったら照れちゃってかっわい〜!」
「こ、こら!」
別のテーブルを回っていたテマリが高砂に戻ってきて、顔を真っ赤にして三人娘に怒っている。
意外だった。テマリが自分の知らないところで自分の話をしていたなんて。この話を聞いて、この結婚の話が出た時にテマリの反応が満更でもなかった理由に何となく合点がいく。
「よかったですね♪テマリさん!」
「ほんと、おめでとうございますっ」
「あ、ああ、ありがとう」
「写真撮りましょ!」
三人娘はデジカメ片手にはしゃいでいる。テマリも嬉しそうに写真を撮る姿勢に入ろうとしていた。
「あっ、シカマルさんも〜!」
「俺はいいよ。同期んとこ行ってくるわ」
「もう、シカマルさんったら照れちゃって〜!ね〜!」
「ね〜!」
「………」
勝手にはしゃいでろ。こっちはそんな気分じゃねーんだ。シカマルは誰にも聞こえないくらいの小さな舌打ちをした。
チョウジやナルト達がいる席にやってきたシカマル。ナルトとキバに茶化されたが、いつものように適当に返すこともできずに、顔色だけが曇っていく。
そんな様子を見ていたチョウジには、シカマルの心境が少し理解できていた。いのと付き合っていることを知っている唯一の存在でもあったから。
そしてもう一人、チョウジと同じように心配そうにシカマルを見つめる目があった。
サクラだ。サクラは いのの親友であるから、きっと いのから事情を聞いているのだろう。憐みのような、心配もしているような、神妙な顔つきであった。
「いのちゃん…来てないね」
「え…ええ、風邪ひいちゃったとか言ってたわ」
「いのも薄情だな〜!幼馴染の めでてー結婚式に来ないなんてよ!」
「そんな…いのちゃんだって来たくて来れなかったのかもしれないのに……風邪、大丈夫かな…」
いのの身を案じているヒナタ。何も知らないからその名前を出せるのだ。ヒナタやキバには何も罪はない。しかし、今のシカマルには苛々の原因ともなる話題であった。
「あっ、ほら、キバ!このお肉、美味しいよ!」
「そうよ!せっかく美味しいレストランで有名なこのお店に来てるんだから!料理を楽しみましょ!」
チョウジとサクラのフォローがあったことに、今は本当に救われた思いだった。
朝から式だの披露宴だので、さらに午後過ぎは披露パーティーときたもんだから、シカマルはすっかり疲弊しきっていた。
今はただ、いののことが気になって仕方がなかったのと、早くこのやかましいパーティーが終わらないかと思うばかりだった。
結婚指輪だけは、どうしてもつけたくなかった。本気で愛していない人との結婚であるのもそうだが、指輪をしているところを いのに見せるのは苦痛でならないから。
でも身につけていないとテマリからも周りの連中からも、変な勘繰りをされてしまう。それではまずいと思ったシカマルは、指輪を紐に通し、ネックレスのようにして身につけていた。任務をこなすのに指元に光るものがあると集中できない、などと適当に理由づけて(もともとシカマルが面倒くさがりな性格だということはテマリも知っていたため、その理由には不審に思うことなく納得したのだ)。
「本当に結婚したんだな、私達。」
帰宅し一段落した頃、自分の左手に光る結婚指輪を見つめながらテマリは言う。
「あ、ああ」
「なんだ、あまり嬉しそうじゃないな?」
「そんなんじゃ…ねーけど」
「ないけど?」
「あ、いや。お前は嬉しいのかよ?」
「なっ…ま、まあ…そうだな、こういう形とはいえ、結婚とは嬉しいものなのかもな」
やけに素直だな。こいつらしくもない。そうシカマルは思った。幾分テマリの頬が赤らんでいるようにも見える。確かにテマリ自身、満更でもなさそうだ。
シカマル自身は、別にテマリのことが嫌いではなかった。かといって好きかと聞かれたら、そうではないのは確かだ。自分が いののことをまだ好きなのは変わらない。
そんなふうに想っている人がいるというのに、こうして好きでもない相手と結婚してしまうと、木の葉と砂との友好同盟のための結婚だとしても、いのに悪いと思ってしまうのは勿論、こうして頬を赤らめてくれているテマリにも悪い気がしてしまう。
悪いのはテマリじゃない。この同盟のせい、政略結婚のせいだ。だからこいつに当たるのはお門違いってもんで。シカマルはそんなことを頭の中で呟いた。
目の前にいるのが いのだったら。自分はどんな顔をするのだろう。
やっぱりこんなふうに無表情で いのの問いに受け答えをするのだろうか。はたまた笑顔にでもなっていたのか。
叶いもしない想像をするだけ馬鹿らしかったが、ふとした時に いのの笑顔が脳裏を過(よ)ぎる。
どうすれば いののことを忘れられるのかと、少しは考えた。でもそんなことはやっぱり到底無理なことであって。そしてそんなことを考えてしまった自分に嫌気もさしたりして。
しかし、これからずっとこうしてテマリと一緒にいなくてはいけないのだから、テマリのことも女として見なくてはいけない日が必ずやってくることもあるだろう。そうしたら いのは?その頃にはこの気持ちもなくなっている?そんなことあり得ないし、考えたくもない。
泥が渦巻くような鈍い感覚が頭の中を拡がる。頭が痛い。今朝から続いた祝辞の疲れもあってか、今はもうただただ寝たいだけだった。
「わり。俺、疲れたわ。今日はもう寝る」
「そ、そうか。大丈夫か?」
「ああ。風呂は朝入る。じゃ」
「あ、ああ……」
テマリは心配そうにシカマルを見つめ、幾分残念そうな溜息をひとつ吐く。せっかくの結婚初夜なのに。そうテマリは思っていた。満更でもないのは確かなようだ。
シカマルは重い足取りで寝室へと移動した。寝室と決めていた八畳の和室。押入れには布団が収納されており、和室自体には物という物がほぼ置かれていない。床の間に鹿の絵が描かれた掛け軸と生け花。それくらいだった。
この寝室と客間にある鹿の掛け軸は、奈良家に代々伝わるものだ。こうなってしまったのも、奈良家の跡取りとして生まれてしまった自分を恨みたいのと、奈良家そのものを恨みたい気分であったシカマルは、掛け軸を引き剥がしてやりたい衝動に駆られた。
いつの間にか季節は冬を迎えていたのか、と思わせる冷えた風が和室を抜ける。すっかり陽が短くなり、とうに落ちてしまった夕陽が夜の始まりを告げているが、寝るにはまだ早い時間だ。
それでも起きているよりはましだ、と布団を敷いて寝る準備をする。眠いわけではなかったが、横になって目を瞑って忘れたかった。今までのこと、これからのことを。次に目が醒めた時、全てが長い長い夢であったらいいのに、と。
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2016.09.23
Gleis36