「あっさよーなら、なまえさん!」
「はーい。気をつけて帰るんだよ、竈門くん」
私の坦当室は昇降口の横にある。窓も大きめのがついているので帰る生徒たちの後ろ姿が丁度見えるのだ。窓際でぼーっとその様子を見ていると手を振ってきてくれる生徒たちが何人かいて朗らかな気持ちになる。この時間が割りと好きだったり。
私が生徒たちの前に立って教え導く事はない。簡単に言えば私は事務員なのだ。
事務仕事ももちろんするが、忙しい教科坦当の先生たちの代わりに生徒に配るプリントを印刷したり、花壇に水をあげたりもする。
そのときによく手伝ってくれるかのが先ほども手を振って挨拶してくれた竈門炭治郎くん。家族思いで素直で優しい、嘘をつくときに罪悪感からか、とんでもない顔になる子。いやぁ、今時あんないい子がいるなんてね。
ただ1つ気になるのが、他の先生も生徒も私をみょうじさんと呼ぶ。彼だけが私をなまえさんと呼ぶのだ。
「これは注意した方がいいのかなぁ」
「何がだ」
「っうっわ!!…と、冨岡先生?」
「すまない。そこまで驚くとは思っていなかった。そろそろ帰り支度をしろ」
「あ、もうそんな時間だったんですね」
「それと、生徒が何かやらかしたのか?」
「い、いえ…」
ど、どうしようかなぁ。冨岡先生に話していいものか。ただの呼び方の1つで竈門くんが冨岡先生に怒られるって言うのも可哀想だし。冨岡先生に怒られる。ここポイント。割りと怖いし、竈門くんは冨岡先生の事を慕っているようにも見えるし。
「何か悩んでいるように見えたが…」
「恋煩いか?」
「宇髄先生いつの間に来たんですか?いつもはド派手に登場してるのに」
「いや、お前が説教されてんのかと思ったから」
「見捨てようとしてたんですか!私はただ…」
ああ、ダメだ。 二人に叱られてしょんぼりしてる竈門くんを想像すると相談なんて出来ない。
「私はただ、最近の自分の生徒に対する馴れ馴れしい態度はどうかなぁと思ってたんです」
「炭治郎か?」
「炭治郎か!」
「なんでですか?!」
なんですか、この2人!普段から鋭いなと思う事は多々ありましたが、こんなピンポイントに当ててくるって…!
「そりゃ、普段のあいつの様子みてりゃわかるだろ」
「どちらかと言うとあいつの方が親しすぎる」
「知ってたんですね」
「まあ、あいつにしては派手にやってるからな」
そんなことなまえさんは知らないぞ?でも、よく考えればそうか。私と竈門くんのやりとりは大抵昇降口のところで、毎日の様に行われているのだから。
「どうでしょうか、やっぱり名前で呼ぶのはよしてもらった方がいいですかね」
「そうだな。けじめを「あいつに聞けばいいじゃねーか」…」
「竈門くんに?」
って、言われてもね。竈門くん、突然くるからいつ、なんて聞こうか…。教室行って呼び出すのも違うし、廊下で話すような事でもないでしょ?下校の時にでも聞こうかな。
うんうん考えているとドアからコンコンと乾いたノックの音がする。ここのドアは木製だから割りと音が響くので、多少肩を揺らしてしまう。返事をすると次に聞こえてきたのは頭に思い浮かべていた人物のハッキリとした声。
「失礼します!」
「竈門くんどうしたの?」
「え?なまえさんが呼んでるって宇髄先生が言ってたので…」
ちょっと、宇髄先生?私はまだ心構えが出来ていないのですが?
「そうだ。こないだ花壇の植え替え手伝ってくれたよね。これ、お礼になるかわからないけど」
そう、花壇の植え替えを一人でやっている時に竈門くんが来て手伝ってくれたのだ。あれは助かった。いつかお礼を渡そうと思ってたから丁度いい。
私の机の中に入っている秘蔵の1週間分のお菓子セットを1つ渡す。因みにお菓子セットはまだ2つ残っている。
「えっ!そんな、お礼なんて大丈夫です!あの花壇をなまえさん1人でって大変だなって思ったので」
「その優しさに助けて貰ったのでお返しです。私からの感謝の気持ち受け取ってね」
少し、納得がいかないような顔をしながらもお礼を言ってくれる竈門くんに、ところで、と話を切り出す。この際聞いてしまおう。
「みんな、私の事はみょうじさんって言うのに竈門くんは名前で呼んでるよね」
「はい!…ダメでしたか?」
「っん…いや、何でかなって思ったから」
「なまえさんはなまえさんって感じがしたので」
凄い。曖昧な返事だけど、竈門くんらしいなぁ。彼を見ていると彼は顔を、視線を少しずらしながら、言葉を続けようと口を開いている。
「おれ、いつも、窓際から俺たちを見送ってるなまえさんの優しい表情が好きなんです」
「え…」
「いや、俺はなまえさんの事が大好きです」
「あえっ、と、竈門くん?」
待ってよ。これ、流されていい雰囲気か?待て、待てよ。ダメだよね。だって、相手は未成年だし。私は学校の人だし。
そこで宇髄先生が問いかけてきた言葉を思い出す。恋煩いか?と。
あの人、竈門くんの気持ちを知っていながら今日、ここに来るように仕向けたんだ。ちょっと、教壇に立つ人間がそんなんでいいの?!そう、自分の中にいる宇髄先生に問いかけると「ド派手に俺は自由だからな」と答えが帰ってきた。あの人ぉ。
慌てている私を余所に、竈門くんは私の手を握った。
「だから、卒業したときにもう一度、今日と同じ事を言います」
「ねぇ、竈門くん」
「なまえさん、ごめんなさい。でも、その時に俺の気持ちを受け取ってくれますか?」
「………は、はい」
ああ、あんなまっすぐな目で見られたら返事するしかないじゃん。