とりあえずメルバルに向かいます、とシュリは言った。マコトが「彼女に合わせてメルバルに行きたい」と言うのに驚いて、サヤカはつい頷いてしまった。思えば、彼がサヤカになにか要望を言ってきたことはほとんどない。そもそもを言えば、キアドに寄ってみたかったのは確かマコトのほうなのだからサヤカは一向にかまわないのだが。
中途半端な時間なこともあり、街道は人がいなかった。まだなんだか話すことに抵抗があるらしいマコトに代わってか、シュリが口を開く。マコトはそれを止めることなく、ゆっくりと聞いていた。
「サヤカさんはええと……わたしたちの話を、どこまで知っていますか?」
「いえ、ほぼまったく……シュリさんの存在すら、私は」
「ああ、ええと……それは仕方ないです。というかマコトさん、本当に話していないんですね」
「……まあ、自分から話すような内容でもないですし」
「聞かれなかったんですか?」
「…………」
何も答えなかったマコトに、シュリが無言で額をはじいた。サヤカを間にはさんで横並びに歩いているが、わざわざ駆け寄って手を伸ばしてまでやった。サヤカより少し身長が低い彼女は、マコトと並ぶと差が目立つ。
痛いなあ、と額を掻くマコトに対し、ぷいと元の位置に戻るシュリ。サヤカから見て、シュリはすごくマコトとの距離が近い。ナフェリアのようにだれとでもすぐ打ち解ける、そういった類の距離感ではなく──時間だけが生み出せるような、そんな距離だ。
「サヤカさん、キルバッハ地方の領主ロクスが、爵位を剥奪された件はご存知ですか?」
「……しゃくい?」
「ダダチで聞いたっていうあの事件。王様に土地をとられちゃったやつ」
「ああ、それなら! ちょっと町で聞いた、くらいなんですけど」
シュリがそれを聞いて、一瞬迷ったように目を泳がせる。マコトに目配せするような間があり、少し笑った。
「あの事件で、亡くなった方はご存知でしょうか」
「あ、はい。領主様に抵抗して、亡くなったって……」
「あれが、わたしです」
サヤカがぴたりと足を止める。訳も分からず首を傾げるサヤカが、迷った末に細く揺れた声を絞り出した。
「……ええと、シュリさんは、幽霊ってことですか……?」
「ふふ、違いますよ」
目を白黒とさせて、自分の持つ知識を適当に集めて言ったサヤカの言葉を、シュリが面白そうにくすくすと笑いながら否定する。幽霊が存在する、というのはあちらこちらで聞く話だから、もしもシュリが死んだ娘当の本人なら──などと思ったが、まさかそんなことはなかったらしい。マコトは相変わらず黙っていた。
「領主ロクスさまは、ご両親が亡くなった後に、使用人の娘に手を出すようになっていました。もとより多少横暴な方ではありましたが……。数日に一度、ひとりの女子が呼び出されていました。次の日は休暇をもらっていましたし、それなりに情報共有もなされます。明明白白でしたが、だれも何も言えませんでした」
「なにせ領主ですし」
「……シュリ、さんも?」
サヤカが、顔を歪めて聞いた。ひどいことをしていた、としか聞いていなかったから内情は知らなかったのか、複雑そうな表情をしている。人間というのは醜いもので、他人事であるうちはまだいい癖に身近になると一気に同情が増すのだ。とはいえ、目の前の少女が領主に無体をはたらかれたと聞いて平気な顔をしていられるサヤカではない。
シュリはひらひらと手を振った。
「わたしはまだ成人していませんでしたから。冬がはじまったらすぐさま手を出すおつもりだったようですが、わたしがその前にロクスさまを止めてしまいました」
「…………そういえば、王様に告げ口したって」
「ええ」
死んだ娘に関しての、ナフェリアの説明の前半を思い出したサヤカが驚いた顔でシュリを見つめる。たしか、王様に告げ口した当の娘が、ころされたと。
「告げ口して、逃げ出して、しんだふりをしたんです。マコトさんに手伝っていただきました」
そのことばに、サヤカは驚いた顔のままマコトを振り返った。気まずそうに目を伏せ、サヤカと目を合わせようとしないマコト。足を止めたまま、何も言わないマコトをシュリもじっと見つめていた。
やがてマコトが、観念したようにため息をついてから、言った。
「……僕は、そこの館で騎士見習いをしていたんだ。だから、シュリさんとも面識がある」
「……たくさん助けていただいたんです。マコトさんには」
「人売りに売り払われそうになっていたシュリさんと他何人かを、先代の当主様が助けて雇った。それとほぼ同じ時期に、僕も父の紹介で騎士見習いとして館に入ったんだ」
いきなり大量に与えられる情報についていけず、ぽかんと間抜けに口を開けたまま話を聞くサヤカに、シュリが続ける。冬の晴れらしい、からりとした冷たい風が吹き抜けていった。雲一つない空がむしろ恨めしかった。
「……マコトさんは、あのあとどうなさったんですか。わたしが死んだことになったのは、クラエスで聞きました。あなたは」
「僕は、あの事件を最後に騎士見習いの称号を剥奪されました。主を護衛していたものとして、それなりの罰を与えなければいけなかったようです。兵士にも同情されました。────今は城下にある家に向かっています」
シュリはその言葉に、ふっくらとした唇を悔しそうにゆがめる。それでもわかっていたかのように微笑んでいた。マコトも同じようにシュリに笑顔を向けた後、サヤカにも同じ視線を向ける。
シュリという柔らかそうで、可憐な少女の苛烈な発言と、それからとある貴族の暴虐、ずっと気になっていた翳りの原因である、マコトの過去。怒涛の情報量を整理しきれず、サヤカはぴたりと静止したまま動けなかった。どこかの木の上で、鳥が鳴いていた。