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 食堂の女将に、暖かなお茶を貰った。黒色のワンピースを寝巻として着ていたからか、髪を結ぶわけにもいかず持て余して手首に巻いていたバンダナを褒められる。発色の良い赤色が、まだ賑わいを残した食堂でひとりシュリに寄り添っていた。二人掛けのテーブルの真ん中で揺れる炎が蝋を溶かして、一筋の雫となって垂れていくさまをただ見つめていた。
 サヤカちゃんを置いてきてしまったな、と思った。ミコトもマコトも、そしてほとんど出会ったばかりのサヤカも、シュリをとても心配してくれているのはわかる。ただ、それが息苦しい──そういうと薄情で我儘なように聞こえてしまうけれど、そうだったのだ。少しで良かった。サヤカはきっとすぐにシュリを見つけて、前の席に座って明朗に笑うのだろう。それまでの間少しだけひとりになりたかった。
 ──そう思っていたくせに、ひとりになると随分肌寒い。サヤカたちが教えてくれたシュカという人は、果たして本当に自分の弟なのだろうか。十二だったか十三だったかの夏に、城外にお使いに出たときに弟と共に攫われた記憶が、ありありと蘇る。宮廷魔導士である両親にはもう会えないのだ、自分はこれからこの人たちに売られるのだと理解したとき、シュリが真っ先に取ったのはシュカを逃がすという行動だった。ほかの人も、自分も、どうだって良い。そんな子供らしい思考で、運よくシュカはシュリに逃がされた。それが良かったのか悪かったのか、子供を只一人どこぞの森に置き去りにするような真似をして、危険の度合いは全く変わらないのではないか。何度もシュリは後悔したり、自分は正しいことをしたのだと思ったりを繰り返して生きてきたのだった。
 自分も逃げ出して、たどり着いたその先でマコトと出会い──そしてさらにその未来で、ミコトと出会った。もともとの性格も手伝ってだろうが、世界に絶望するほど性格がねじ曲がらなかったのは彼らがいてこそだろう。ただ、たまにひとりになりたくなるのは理解してほしい。猫舌のくせにまだ熱いお茶を飲み、シュリはその温度に優しく舌を噛む。どこから乾杯の声が響いていた。
 忘れられてやしないだろうか。姉として、憎まれてやしないだろうか。仲睦まじい姉弟だったとは思っているが、結果的に森に独りぼっちに置き去りにしただけの姉を、彼はまだ姉だと思ってくれているのだろうか。どうやら生きているらしいということだけ分かればそれでも、それだけでも良いのではないか?
 シュリはゆったりとかぶりを振った。シュカを見つけたならば、わたしは彼を城まで連れて帰らなければいけない。この手で、終わらせなければいけないことが────
「前、いいかい。お嬢さん」
 その声に、シュリははっと思考の海から顔を出した。まだ空いている席はあるものの、シュリの目の前の、皿と湯呑を持った女性はどうやらこの席に座りたいらしい。黒髪を高い位置で纏め、ミコトとは違う意匠の黒手袋をした彼女は、シュリが「どうぞ」と言うとありがとうと笑った。
 ごろごろと肉の入ったシチューに木の匙が刺さっていた。湯呑にはシュリと同じように暖かなお茶が入っているようで、どちらからも湯気が立つ。半時間ほどまえに夕餉は済ませたが、美味しそうなシチューを前にすると食欲がわくものだなとシュリは思った。
 女性は、短く祈りの言葉を呟いたのちに、シチューを食べ始めた。
「……なにかわたしにご用でしたか?」
「ああ、いや」
 シュリが問うと、彼女は一旦口の中のものを飲み込んでから、と言いたげに言葉を詰まらせる。何度か咀嚼したのちに喉が動いて、口の端を舌で拭っていた。
「知り合いに頼まれて、人探しをしていてね」
「人探し、ですか」
 ああ、と頷いて、また彼女はシチューを一口食べる。人探しと言われると、なんだか親近感が湧いてしまうのは仕方ないことだろう。シュリも一口お茶を飲んだ。
「あんたがその、探している人に似ててねえ。つい声をかけちまったんだ。ところで、赤色は好きかい?」
「……わたしがですか? 赤色は好きですけど……」
 さっきまで感じていた親近感はどこへやら、シュリは一気に警戒心をあらわにした。探されている心当たりはある。領主ロクスへの反逆の件だ。もしもシュリが生きていると鍵つけられれば大罪人として捕縛されてしまうだろう。怪訝そうな顔をしたシュリに、女性は苦笑いした。
「そう警戒されると、あの子らを思い出すよ。怪しまれちゃ仕事にならないし、身分をきちんと明かすよ。あたしはナフェリア・ツヅキ。とある少年に頼まれてるんだ、姉を探してほしいってね。心当たりはないかい?」
 ゆったりと目を見開いたシュリに、ナフェリアと名乗った彼女は小さく首を捻った。心当たりなら、ありすぎるほどにあるけれど、まさか。
 シュリが何かを言う前に聞こえてきたのは、ほかでもないサヤカの声だった。
「シュリちゃん、居た────……あれ、ナツ?」
「おや、サヤカじゃないか。数日ぶりだね」
「ナツもこっち来てたんだね! 子供たちは?」
「無事にアルトンまで送り届けたよ。人探しをしていてさ、とりあえず大都市に行ってみようと思ってね。そっちは?」
「メルバルに行ってたんだけど、シュカに用事が出来て戻ってきたの。というかナツ、シュリと知り合いだったの?」
「シュリ……じゃあ、やっぱりこの子なんだね。シュカが探してた人は。あの子に頼まれたんだよ、生き別れの姉を探してくれってさ。まさか適当に声をかけて、ひとりめで大当たりなんて運がいい」
 頭上でぽんぽんと交わされる会話についていけず、シュリはぽかんと間抜けに口を開けたままふたりを交互に見つめた。今日この宿まで来るときに、攫われた子供たちを助けるときに、シュカと出会ったということは聞いた。その時に一緒にいた女性のことも、名前までは聞かなかったが聞いていた。
 ナフェリアは、シュカに頼まれたとそう言っていた。姉を探しているとも。
 忘れられていなかったというそのことも、シュカがシュカであるということもすべて裏付けるようなその出来事に、シュリは驚きすぎて言葉の一つも出なかった。