次の晩のことだった。
昼過ぎまではなんだかんだ言って楽しげにしていたシュリが、だんだんと表情を険しくしていく。あと一日、後一晩……。夕餉の時もなんだかぼうっとした様子で鍋を囲んでいた。場を和ませようとナフェリアとミコトが軽口をたたき、マコトがそれに応じているがシュリは曖昧に笑うだけで精一杯のようだった。
食べ終わった後に、焚火をサヤカがぱちりと指を鳴らして片付けた。森の中はまだ少し雪が残っているが、この後に改めて降ってくる様子もない。月明かりの下で、サヤカたちは各々適当な場所に腰を下ろしていた。
木に寄りかかって眠る体制を整えたサヤカの横に、マコトが何気なく腰を下ろした。向かいの木にはミコトとシュリが寄りかかっており、ナフェリアはどっちに行くか迷った末にサヤカのもう片側の隣へと腰を下ろす。既にサヤカは眠気が襲ってきていた。シュリのことは気になるけれど、明日──明日になれば、すべてが解決する。ミコトに寄りかかって目を閉じているシュリを最後に視界に留め、サヤカは眠りに落ちた。
「……寝れないのか?」
「…………えっ」
明日になれば、シュカに会える。あと一晩眠れば、会える。そう思ってただひたすらに目を閉じて、半時間ほど経っただろうか。すでに眠っているはずのミコトから声をかけられて、シュリは素直に驚いた。森の静けさを壊さない程度に、囁くような声がシュリに問いかける。
「……眠れないの。わたしが起きてるの、よくわかったね」
「そりゃまあ、……気配で?」
ミコトの肩に寄りかかるようにして目を伏せていたシュリは、てっきりミコトが寝ているものだと思っていた。気配で分かるなんてすごいね、と返す。
「……寝れそうか? 兄貴叩き起こして、子守歌でも歌ってもらう?」
「……ミコトは歌ってくれないの?」
「俺は下手だからな。兄貴は上手いんだよ。……よし、叩き起こすか」
「聞こえてるよ、ミコト」
「げっ、兄貴」
向かい側の木までは、歩いて十歩ほどの距離がある。ただ、良く晴れた冬の森なんかでは鳴く虫も、歌う鳥もいないがために、囁き声でもよく通るらしい。目を閉じているはずのマコトが答えたのに、シュリはもちろん、ミコトも驚いているようだった。
「僕を叩き起こすのはいいけど、この距離だとサヤカまで起きるよ」
「サヤカちゃん、寝不足になりやすいっていってたもんね……」
「その点は俺が上手くやるよ。兄貴だけ殴る」
「そしたら次の晩覚悟しておいてね。寝込みをぶん殴り返すから」
これが兄弟間の距離感なのかそれとも寝ぼけてでもいるのか、マコトの口から物騒な言葉が紡がれるのに、シュリはおもわずくすりと笑う。ミコトは手を振って降参の意を示していた。
シュリは、ミコトに寄りかかったままマコトに聞いた。
「あとどれくらい?」
「えーと……あと半日くらいかな。起きてすぐ出発すれば、昼過ぎには着くよ」
「そっか」
小さく頷いて、再び目を伏せる。長い睫毛が緑色に蓋をするのを見て、ミコトが心配そうな声色で問う。
「……寝れそうか?」
「ううん。でも、これ以上みんなを起こすわけにはいかないでしょう?」
「起こされてないけどな。起きてたし」
「……マコトさん起こしちゃったし」
「僕も寝てないよ。ナツ、君もでしょ」
「……ありゃま、ばれてたのかい」
「まあ、気配で?」
マコトが、ここぞとばかりにミコトの真似をして見せる。ミコトが呆れてかため息をついた。シュリが怪訝そうに眉を潜める。
「……みんな、起きてたの?」
「まあ、なんとなくね。そりゃシュリとは比べものになんないだろうが、あたしたちも早くシュカとあんたを会わせたいんだよ」
「サヤカは寝てるみたいだけど、あいつもめちゃめちゃ気にしてたしなあ。夕飯の時一杯しか食べてなかったぞ、サヤカ」
マコトは伏せていた目を開いて、ひとつ伸びをしていた。ナフェリアも欠伸こそしているがシュリのほうを見つめていた。隣にあるミコトのぬくもりは、ずっとシュリに寄り添っている。
すべてが偶然とはいえ、どうしてこんなにあたたかい人たちに恵まれているんだろう。様々な罪の意識に苛まれてきたシュリは思わず、目の前の光景が信じられないといったようにミコトの腕を掴む。ミコトはわざわざ手袋を外して、シュリのその手を取った。
ナフェリアが軽い口調で提案する。
「どうせみんな寝れないなら、もう出発するかい? 夜の森はまあ多少危険だけど、あたしもマコトも、あとミコトもかねえ。それなりに腕が立つし大丈夫さ」
「いいなそれ、俺は賛成」
「えっ、でも……サヤカちゃん寝てるし、わたしも頑張って寝るから、そんな……」
「寝れねえっつってたじゃねーか。……兄貴は? サヤカと一緒に朝になってからあとでついてくる形でもいいと思うけど」
「うーん、それでもいいけど……」
「まあとりあえず、決まりだねえ。支度しようか」
言いながら、ナフェリアが立ち上がる。荷物を背負いなおすと、ふらふらと歩いてサヤカのところまで行った。
「おっと。……悪いね、手が滑った」
しゃがんで思い切りサヤカの肩を揺らすナフェリアに、マコトが苦笑いを零す。シュリは未だ申し訳なさそうにしていたが、流石にその行動には驚きの声を上げる。
「……なつ?」
「すまないね、手が滑った」
「……なにか、……あったの?」
宵闇があたりを包んでいるのにもかかわらず起こされたというこの状況に、サヤカもなにかしら感じるものがあったらしい。大きな欠伸をしながらナフェリアに問いかけた。横でマコトが立ち上がりながら、サヤカの手を引く。
「みんな寝れないから、まだ夜だけどシュカの家に向けて出発しようってことになったんだ。どうする? 僕らだけ朝になってから行くって形でもいいけど……」
「……行く」
「うん、了解。僕が荷物持つから行こう」
ぐいと手を引かれ、サヤカがゆっくりと立ち上がる。首を掻いてから、サヤカはシュリのほうをちらりと見た。にっこりと笑うとひとつ伸びをする。
「……なんでそこまで」
「シュリの喜ぶ顔がはやく見てえんだよ、みんな。申し訳ないとかそういうの考えてないで行くぞ、ほら!」
「サヤカちゃん、」
「うん、行こう」
サヤカはマコトから荷物を取り返すと、ゆっくりと背負った。眠そうにとろんとしたひとみはそのままのくせに、サヤカはなんの躊躇いもなく夜半の強行軍についてくるつもりらしかった。