09

 ふたりは、やがてたどり着いた大木の日陰に座り込んだ。サヤカは背負っていた鞄を地面に降ろすと、片手でがさごそと探った。包帯はたしかこのあたりにしまっていたはずだ、と鞄の中身を荒らす。
 小さなポケットにはいっていた包帯らしきものを取り出したが、簡易的な裁縫用具の中に入っていた布で、笑ってごまかしながらそっと鞄に戻した。マコトがそれを見て少し笑っている。
「ありました!」
 サヤカがこんどこそ包帯を取り出すと、向かい合うように座っていたマコトがすっと手を伸ばして、サヤカの手から包帯を奪った。
「えっ」
「僕が手当てします。片手だけじゃやりづらいでしょう」
「……ありがとう。じゃあ、お願いします」
「いいえ、同行人と助け合うのはあたりまえです。……固定する前に冷やしたほうがいいかな……」
「なんだか、お医者様みたいですね。勉強してたんですか?」
「まさか。擦り傷打撲、捻挫なんかは剣の訓練をしていればよく起こる怪我ですし……否応なしに、体に染みついてるというか」
 言いつつ、マコトは自分の鞄から何やら布巾を取り出した。それから、吹雪の影響でか大木の下にも降り積もっている雪の、だれも触れていない部分をそっとそれで包む。なんだかとても申し訳なさそうな顔をしていた。それから、
「やっぱり、しばらく冷やしたほうがいいと思います。すごく雑な処置で申し訳ないんですけど……」とそれを差し出してきた。サヤカは笑って受け取って、患部にそれをそっとあてた。腫れて熱を持っている分、冷たさが余計に肌を刺した。
「いいんですか、この布」
「余っていたものですし、気になさらないでください」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 マコトがその言葉に少し笑って見せた。昨日のうすぼんやりとした洞窟でもそう思ったのだから当然といえば当然なのだが、あらためて陽の下で向かい合うと、彼の顔が整っていることがよくわかる。その端正な顔で微笑まれれば、年頃の娘であるサヤカは相応に胸が高鳴った。サヤカははにかんだように笑い返した。
 マコトが、気が付いたように視線を落として、首飾りのようになっている方位磁石を取り出した。サヤカがそういえば方位磁石について話そうとしていたな──などと他人事に考えていると、マコトが鎖をちゃりといわせながら方位磁石を目の前に掲げた。人好きのする笑みで問いかける。
「さっき何か言いかけてましたよね? これがどうかしましたか、サヤカさん」
「あ、えっと……」
 まさか今聞かれるとは思っておらず、サヤカは一瞬狼狽えた。小さく首を傾げたマコトに、慌てて口を開く。
「その……きれいな方位磁石だな、と思って」
「これ、祖父に譲ってもらったものなんです」
「私の父が持っていた古い本棚と同じ模様が入っていたので、気になって」
「これは昔の国章ですね。祖父よりも前の世代のものだと思います」
「……マコトさん、物知りですね」
「父がよく教えてくれたので……とくに、リチアドのことは」
 昔を懐かしむように、マコトが言った。肩より二、三センチ短いところまで伸びているさらさらとした黒髪が、つめたい風になびいていた。ゆるいとはいえいつも三つ編みのため癖がついているというのもあるが、もともと癖毛なサヤカは、その髪質が少しうらやましい。
 マコトが指先で方位磁石を弄ぶ。マコトは、首元を半分隠すようなポロネックの上に、襟の高い黒いシャツを着ている。黒色に、銀の鎖が映えていた。
 サヤカはじくじくと痛む左手首から気を紛らわすように聞いた。
「そこに嵌まってる石はなんですか」
「これは、夜光石ですね。魔導石の一種です」
 夜に光るやつ、とマコトが付け足した。魔導石は簡単に言えば魔力の結晶で、それに込められた力を使うことのできる石だ。たとえば火の魔導石を使えば、火の魔法が使えないサヤカでも火が起こせる。ただ、火だったらそれこそマッチや火打石があれば事足りるが、水の魔道石などは割るとかけらが水になったりなどと緊急時に便利なものもあった。魔道石は割ってその力を放出させるものが多いゆえに希少だが、夜光石だけはそれに当てはまらない。そこにあるだけで夜に青白く光るのだ。貴族などはともかく、庶民にはいちばん身近な魔道石だといってもいいだろう。半透明のそれは、マコトの方位磁石にいくつか嵌め込まれていた。
「これがあると、夜に地図を見るとき便利なんですよ」
「たしかに……」
 いいなあ、とサヤカが言った。夜便利だということで、方位磁石に夜光石が嵌まっているのは珍しいことではない。ただ、サヤカの手元にあるのははるか昔に買ってもらった安物の方位磁石だから夜光石はついていない。意匠はサヤカ好みのものだし、父親に買ってもらったものだから思い出もたくさん詰まっている。だから、この方位磁石を手放すつもりはないのだけれど。
「サヤカさんはなにか、夜光石のものは持ってないんですか?」
「とくには──いえ、あります」
 ふとサヤカは思い出して、自分の胸元を手探った。襟巻の下から、金色の細い鎖を取り出す。金属のそれにはサヤカの体温が移っていて、凍ってしまいそうな冷たさはない。
「これ、母親がくれたんです。肌身離さず持っているようにって」
「綺麗ですね。……これは、夜光石なんでしょうか? とても透明ですが」
 均衡のくずれたひし形のような、細いシルエットの宝石が鎖についていた。まるで落ちていく雫を無理やり固めたような、そんな形だ。指の先から第二関節くらいの長さのそれは、普通は半透明である夜光石とちがい完全なる透明で、いたって普通の宝石のようだった。太陽に向けて掲げれば、何色もの光を反射させてサヤカの頬を照らしだす。
「……僕、そんな宝石見たことないです」
「珍しいんでしょうか。ちゃんと夜に光る、夜光石なんですけど」
「多分。それなりに高価な宝石が並ぶのも、こう……見たことはあるんです。でも、そんな宝石はなかった」
「じゃあ、盗られないようにしなくちゃいけませんね」
 サヤカはそう言って再び、服の下に首飾りをしまい込んだ。そうですね、と答えたマコトはなんだか暗い顔だった。