冬の精の吹雪から解放され、最上階へと出たサヤカは肩で息をした。少し向こうに見える人影がおそらくシュカで、さらにその向こう側にある夜光石に飾られたものこそが四季の塔の鐘なのだろう。サヤカにすぐ追い付いてきたマコトが、サヤカに付き合ってか足を止めていた。
シュカが、サヤカたちの気配に気が付いてか振り向く。あたりは、吹雪に視界を遮られてひどく暗かった。
「シュカ、」
「早く起こさないと」
「え?」
鐘を照らす夜光石以外に、風の吹き晒す最上階を照らすものはない。何事かを必死な顔で呟いたシュカの声をもっとはっきりと聞きたくて、サヤカは一歩前へ踏み出した。暗がりの中、補修されていない瓦礫に足が引っかかり、思い切り前に転倒する。
「サヤカ!」
「っ、大丈夫」
マコトの声にか、シュカの意識が一瞬サヤカへと向いた。マコトの手を借りることなく素早く立ち上がったサヤカは、兎にも角にもとシュカのほうへと歩み寄った。夜目の効かないマコトも幾度かにわたり転びそうになる。シュカはあそこまですんなり辿り着けたのだろうか。
不自然にぼうっと立ち尽くすシュカのもとへ何とか辿り着く。シュカは険しい顔を隠さないままに、手の中にあるマントを見つめていた。マントの中には空間しかないくせに、確かにその存在を主張している。
「……これが、精霊?」
「ええ、……はやく起こさないといけないんです」
「どうして?」
「ユーキさんの言っていた通り、精霊は眠りによって魔力を回復して、四季を司ります。その力が尽きたのが冬の精、そしてその力が溢れているのが……」
ぎゅうと、シュカが片方の拳を握りしめた。
「眠りすぎるのも、眠らなすぎるのも、精霊にとっては毒です。はやくメイクラシア様に来てもらわないと」
「なんだか凄く詳しいけど……勉強した、とか?」
「……なんでだろう、分かるんです。早くしなくちゃって思って」
マコトの問いかけに答えた後に、焦った様子でシュカが唇を噛んだ。わかる、とはなんだろうか。眠っているはずの精霊と意思疎通ができているのか、とサヤカは考える。守り人に選ばれただけあって敏感なのだろうか、なんだかシュカまで辛そうだった。
まだ、下の階からの吹雪の音は止まない。メイクラシアが来るのはもう少し後になりそうだ。ここまで足元が暗くてはどうにも進みづらいだろう、とサヤカは折って持っていた蝋燭を取り出した。そしてメイクラシアから奪うようにして持っていた燭台に嵌める。
「シュカ、蝋燭に火ってつけられる?」
「……あそこの燭台にならなんとかなるかと」
さっと意図を汲んだらしいシュカが、ぱちんと指を鳴らして階段の横にあった燭台に火をつけた。強風に不安定に揺れる炎を蝋燭にもらおうと足を踏み出したサヤカを、マコトがそっと押しとどめる。サヤカより冷たく冷えた指で、燭台を掠め取った。
「僕が行くよ」
「えっ、私が行くよ? 私のほうが夜目効くし、」
「いいから」
言いながら、止める暇もなくマコトは向こう側へ歩いて行ってしまった。外に吹き晒す吹雪なのか、下の階から漏れ出す吹雪なのかもはや不明だが、高さと雪で寒さが著しかった。ずっと隣にいたぬくもりが消えただけで、なんだかとても寒くなったような気がしてしまう。
シュカはマコトの向かった階段のほうをちらりちらりと見ていた。それはマコトを見ているわけでなく、きっとメイクラシアの到着を待っている。はやく起こさないと、と何度も繰り返していたあたり、切羽詰まっているのは事実だ。
マコトの持つ蝋燭に火がついて、ゆっくりと隣の燭台へと光が移された。神秘的に炎で彩られる最上階の真ん中で、サヤカはふと思い立つ。
「……私じゃだめかな。シュカ」
「……え?」
「私も王女だから、歌さえ分かれば起こせるんじゃないかな」
「……歌、分かるんですか?」
「分からない。シュカ、知ってる?」
「覚えているかわかりません。でも、幼いころから聞いてはいましたから……」
じいと、シュカの青の瞳がサヤカを見据えた。覚悟を問うその瞳に一瞬怯んでしまう。私に王女の代わりなど、ほんとうに務まるのだろうか。そもそも、冬の精が鎮まっていないのに起こしてもいいのだろうか、王女がふたりいても構わないのだろうか──一瞬よぎったそんな不安を、吹雪に乗せて掻き消した。マコトが、外周に沿って設置されているらしい燭台につぎつぎと火をつけて回っていた。
「精霊を起こすのに必要なのは『目覚め歌』──、メイクラシア様が歌っていらっしゃった『子守歌』と対になる歌です。ただ復唱してくださればいいはずです」
「わかった」
空は見えていなかった。朝は来ていなかった。今まで通ったどこよりも見晴らしがいいだろうな、と容易に想像できるそこは、壁も柱もない大きな広場で、端のほうで一歩足を滑らせれば真っ逆さまに落ちてしまいそうな空間だ。そこで歌を歌うのはきっと気持ちがいいのだろう。ぼう、とまたひとつ燭台に火がついて、のこる燭台はもう片手で数えられるほどだった。どんどんとそこは幻想に満ちた空間になっていく。
シュカが、控えめに歌を紡ぎ始めた。ゆるやかにはじまり、だんだんと広がっていくそのおとを、ゆっくりとなぞるように追いかける。聖歌隊のようにうまくはないけれど、楽団のような諧謔もないけれど、ただ、祈るように声を捧げた。こころのどこかが、私の血が、どこかこの儀式を知っている──そんな気がした。
突然に、音が跳ねた。そして、止まった。目すら閉じていたサヤカがその変化にめをひらき、辺りを見回せば、燭台はすべてつけられていた。すべての火が吹雪に揺れながらなおその形を保っている。ただ、足りないのは歌だけなのだと直感で思った。
「……シュカ、」
「待って、待ってください。覚えてるんです、絶対……何回も、聞いたんです。幼いころに、子守歌を──、そう、子守歌ばかり、」
燭台を点け終わったマコトがこちらへ向かって来ていた。尋常じゃない二人の様子に、マコトが足元を気にしながら駆け寄ってくるのが見える。
メイクラシアなら、知っているはずだった。もしかして下の階にいる人の中に、歌える人が居たかもしれない。ただ、呼びに行くにも吹雪の終幕を待たねばならないのだ。本能が、そんな時間はないと告げていた。まるでこの儀式を知っているかのように頭が警鐘を鳴らす。これ以上歌を途切れさせてはいけないとうるく訴える。今すぐ逃げ出してしまいたいような不安と、氷漬けになってしまいそうな寒さがサヤカを襲った。
サヤカはかける言葉を探し、そのあとにそっと黙り込んだ。サヤカはこの曲を一切合切知らない。メイクラシアの歌う子守歌には少し聞き覚えがあったくせに、目覚め歌のほうは何ひとつとして覚えていないのだ。
続きの旋律を何もない記憶に探っていたサヤカに浮かび上がるのは、子守歌の旋律ばかり。どこで聞いたのかも全く覚えていないそればかりが頭を埋めていって、目覚め歌をどこかできいたことがあるかどうかすら、曖昧になっていく。
焦る頭の中にかすかに響く子守歌の主を、サヤカは八つ当たりに恨みかけて、そしてまるで火花が散るように、つながる。
「…………マコト、」
「どうしたの、ふたりとも」
困り顔にふたりを見つめるマコトに、縋るようにして言葉をぶつけた。
「初めて会ったときに私に歌ってくれた『子守歌』、それと対になる『目覚め歌』────マコトなら、歌える?」