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 また階段か、と誰かが呟いた。
 緩やかに続く長い階段の先には、ぎいぎいと不自然に音を立てる扉があった。まるで閂のかかった扉の向こうから、誰かが無理に押しているようなそんな音に、シュリとメイクラシアがあからさまに怯える。
「誰かいるみたいだけど……あれ、なんですか」
 ユーキに対して、指をさして問いかけたサヤカ。ユーキはため息をついてから、「人じゃないんです」と重く呟く。ナツとシュカはまさか、と言った風に顔を顰めた。マコトとミコトが警戒心をあらわに、一行の前に出ていた。
「四季の精は、一年の四分の三を寝て過ごして、そうしてその年に季節を保つ魔力を溜めるんです。だから、今の冬の精は、もうとっくに魔力が尽きているはずの状態で……」
「もしかして、だから途中で春が来たみたいな気候になったのは、それのせいですか」
「そうです。ただでさえもうない魔力を浪費していたのに、数日前から様子がおかしくて……とうとう暴走を始めました。人間でいう火事場の馬鹿力のようなものでしょう」
 口調は淡々としているのに、その内側には厚い情や熱がある。サヤカの知る守り人はナツとシュカ、そしてまだ出会って一時間すら経っていないユーキの三人だが、守り人に選ばれる人々の共通点はそこである気がした。淡々と、冬の精霊の実情を述べるユーキの口調には、確かな親愛が含まれていた。
 サヤカはただ、思ったことをそのままに呟いた。
「……じゃあ、早く止めないといけませんね」
「ええ、よろしくお願いします。メイクラシア様」
 ユーキの声に、メイクラシアが神妙な面持ちでこくりと頷いた。サヤカが渡した襟巻を、細く白い指が握りしめる。
「ユーキどの、最上階には向かえそうですか」
「いえ、とりあえず冬の精を止めないと。奥にある最上階へ向かう階段まで行けるかわかりません」
「風が強いってことですか?」
「むしろ吹雪いています」
 初対面に等しいサヤカの質問にも、ユーキは快く答えてくれた。シュカとよく似ている不愛想さだったが、それを嫌悪するほどサヤカの器は小さくない。
 階段を最初に上がっていったのはユーキだった。後をついていくのはシュカとメイクラシアとナツの三人で、サヤカたちはどことなく気が引けて足踏みをしている。無関係なくせに進んでいいのだろうか。
 そんな様子に気が付いたのか、メイクラシアも振り返る。階段に足を踏み出そうとしない四人を見て続けた。
「わたしはまだ見たことがないのですが、四季の塔の最上階の眺めはとても良いと聞きます。ぜひ、一緒に来てくださりませんか」
「いいんですか。神聖な場所なのでは」
 問いかけたマコトに、メイクラシアが頷いた。
「ここには守り人が三人いて、精霊も、そしてわたしもいます。その誰もあなた方を拒んでいないのだから、いいんですよ」
「そんなこと言ってたら、守り人の候補者を選ぶ時にどうするんだい。神聖なひとしか足を踏み入れてはならない塔でなんて選別会が行われるわけないだろう」
 どこか無理やりな気もしたけれど、メイクラシアの小さな背中に、サヤカは一歩足を踏み出した。彼女が歩き始めれば、周りも自然と後に続いた。ごうごうと扉を叩きつける吹雪の音は、時折途絶えたり、弱まったりを繰り返しているようだった。
「出来ることなら、最上階で鎮めたいんですが」
「連れていけるんですか……?」
「吹雪が弱まっている時なら、なんとかなるかもしれません。メイクラシア様、扉を開けたらすぐに歌い始めていただけますか」
「……わかりました。こんな緊急事態に、新参者で申し訳ありません」
 震えた声でメイクラシアが答えた。その不安は緩やかに伝染して、サヤカ思わずつられてユーキに頭を下げる。事情を知らないユーキは、怪訝そうな顔をしながらもサヤカに礼を返してくれる。
 それにしても、歌うとはなんだろうか。サヤカたちにとって歌うといえば、ただ文字通りに声を旋律にのせるそれと、それからシュリやシュカの使う幻惑魔法──そのたぐいしか知らないのだけれど。
「ナツ、歌うって……」
「ああ、さっきいっただろう。王女は鍵を開けるだけじゃなく、四季の精を鎮めたり起こしたりできるんだ。それの切っ掛けがね、歌なんだよ」
「シュリちゃんの魔法みたいなものってこと?」
「そうだねえ、そんな感じだよ」
 そうとだけ答え、黙り込んだナツ。静けさが場を支配した。
 吹き付ける吹雪の音が弱まったその瞬間に、ユーキがぐいと閂を引いた。思い切りよく開かれた扉に、メイクラシアがゆっくりと歌いながら歩いて入っていく。続いて、彼女を追い越すようにユーキとシュカが飛び込んだ。
 どこか懐かしい旋律だった。思わずぼうっと聞き惚れかけたサヤカの手を、マコトがとって走り出す。ナツが、「行ける人から最上階へ」と言っていた。
 石造りの部屋の中は、もともと何も置かれていないのか片付けたのか物がなかった。部屋の中だというのに雪が散るそこにとどまっているのはユーキたちのようだ。
 精霊を抱えたシュカはすでに大部屋の真ん中へと到達していた。最上階はどうやらこの上らしい。メイクラシアの声が部屋にゆったりと充満していく中を、マコトとサヤカは駆け抜ける。最上階で儀式を行うのが常套らしく、ユーキとナツはどうにかして冬の精を最上階まで連れてこうとしている──というのがどうやら現状らしい。
 シュカに追いすがるようにサヤカとマコトが階段の手前まで移動したとき、シュリとミコトは、歌いながらこちへとやってくるメイクラシアとともに移動しているようだった。シュカを見る限り、どうやら精霊には触れられるようだから、刺激しないようにかユーキはじりじりと冬の精に近づく。ずいぶん高いところに来たようで、体が重かった。大きな広場を横断したくらいの距離だというのに息が切れている。精を抱えたシュカも、メイクラシアたちを待つことにしたようだった。マコトだけが、体力を余していた。
 メイクラシアの歌は、まるで子守歌のようだった。
 これは確かに、精霊でなくても眠気を誘われる。このまま、力が弱まった精霊を上まで連れてきて、そしてメイクラシアが精霊を鎮め、そして起こせば、元通りに季節が回りはじめるのだ。サヤカは、ユーキと精霊のほうをじっと見つめていた。今は弱まっている吹雪の中心で、彼は言葉なく何かを訴えているようだった。
 サヤカがごくりと息を飲んだ一瞬、吹雪の勢いがいきなり増した。
 後ろに倒れそうになったサヤカを、マコトが瞬時に支える。シュカは吹き飛ばされそうになり、瞬時の判断か吹雪の勢いを利用して階段を駆け上がっていた。同時、二か所で同時に火の手があがる。
「みんなが、」
 突如強まった吹雪に、マコトとサヤカは身を小さくして耐える。サヤカが怒涛の展開についていけず心配そうに吹雪の中を見つめていた。
 どうやら、炎で壁のようなものを作り吹雪を遮っているようだった。メイクラシアについていたミコトのものと、ナツは水魔法しか使えないから、おそらく冬の精の近くであがった炎はユーキのものだろう。
「サヤカ!」
 メイクラシアの歌声と吹雪に交じり、ナツの声が飛ぶ。
「先……最上階へ! ……の精が…………まで、────!」
 ひどく耳障りに響く吹雪のおとのせいで、ところどころ聞き取れない。サヤカは、この音の混ざり合った空間の中問い返すか一瞬迷い、ふるふると首を振った。最上階へ、先に行けとそう言ったのだろう。
 意を決してくるりと最上階へ向かう階段へと身をひるがえしたサヤカに、マコトも少し迷ったそぶりのあとに付いて来ていた。