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 シュカは、このままここに残ることになるのだという。一階層下の広間に戻ったサヤカたちは、淡々とした表情でそう告げられた。冬の精はメイクラシアによって鎮められ、事情はシュカがその場にいた全員に告げてくれていた。シュカを気に入ったのか守り人だからなのか、シュカにぴったりとくっついて離れない精霊と共に居住区に残るシュカとは、天動機の前での別れとなった。
 ようやく再会できたというのに、またしばらくの間弟と離れ離れになるシュリは、強がってこそいたが最後にはシュカに泣きついていた。そんな姉をあやしているシュカはどうやら割り切っているようだ。薄情、というにはあまりにもな表情だったけれど。別れ際のぎりぎりに、ナツとも何やら話していた。
 寂し気に、そして未来を見据える笑顔を最後に、シュカとはしばらくの別れとなった。
 四季の塔を出た後には、メイクラシアが近衛兵に連行されていた。怒られる、とは言っていたけれどここまで大掛かりに怒られるとは思っていなかった一行が驚いている間に、ナツもメイクラシアについてどこかへ行ってしまった。置いてけぼりを食らった双子とシュリ、そしてサヤカは思わず笑う。吹雪が視界を遮らなくなれば、四季の塔の下はとても広かった。帽子が探したいな、といいつつサヤカたちは部屋へと引き下がることにする。夜明けはすでに来ていた。肌を刺すような寒さは面影を残しながらも、確かに季節は春になっていた。長い冬は明けたのだ。
 
「サヤカ、こちらへ」
 既に足元にメイクラシアを跪かせていたエレアノーラが、謁見の間に入ってきたサヤカを片手で呼びつけた。逆らえるはずもなく、メイクラシアにならいエレアノーラのもとへ跪いたサヤカは苦虫を噛み潰したような顔だ。呼ばれるこころあたりならばいくつだってある。昨日保留にされた話かと思ったけれど、メイクラシアがいるとなればきっと四季の塔の件だ。何か問題があったのかとはらはらしながら、そしてメイクラシアが怒られると言っていたことを思い出してどきどきと早まる鼓動を必死に落ち着かせながら、サヤカはエレアノーラの二の句を待った。
「四季の塔の件だが」
「……はい」
「感謝する。メイクラシアとともに塔に登ってくれたこと、そして協力して我が国に春を取り戻してくれたこと」
「……えっ」
「どうした、不満か?」
「……いえ、メイさまが……その、怒られる、と言っていたので……」
「……怒られましたわ、お姉さま。もう。それはもう」
「メイ」
「すみません」
 メイの必死の訴えをひとことでぶった切ったエレアノーラは、小さくため息をついてからサヤカに向き直る。
「きっかけはどうあれ、春の精を目覚めさせたのはサヤカ、お前だ。この国の王として感謝しよう」
「勿体ないお言葉です、エリーさま」
「……お母様、でもいいんだぞ?」
「では、お母さま」
 爽やかな笑顔で、サヤカが返す。エレアノーラはすこし面喰った顔をしたあとに、嬉しそうに目を細めた。メイクラシアが分かりやすく表情を明るくして、無邪気に顔をほころばせた。
 エレアノーラは、思い出したように一度咳ばらいをしてから、続ける。
「……本当に四季の塔の件は、感謝している。宝石がふたつなければ塔の扉を明けられないなんていうのは想定外だったんだ。力づくでお前を探し出そうとしたことも謝ろう」
 そこで、エレアノーラはすっと玉座から降りた。側近らしきひとが少し視線を投げかけたが、すぐにぴしりと前を向く。エレアノーラの気配に顔を上げたふたりを意に介さず、てくてくとエレアノーラは歩く。
「サヤカが生まれてすぐ、側近以外の誰にも伝えることなくお前を遠くへやることが決まった。当時の側近とその妻にお前を預ける際に、私がお前へ渡したものこそが次女──メイの宝石だ。長女の宝石があればよいものだと思っていたが、双子だったからこそふたつ必要だったとは……今日になるまで気が付かなくてね」
 サヤカとメイクラシアの目の前まで来て、エレアノーラは何気ない様子で膝をついた。その事実の意味に気が付いたのはメイクラシアと、それから側近くらいのもので、当のサヤカはまるで分からなかったのだけれど。王族が自分の前に膝をついている、その実感が沸く前に、目の前にきらめきが散った。
 ちゃり、と音を鳴らしながら、目の前にあるのは見慣れた金の鎖だった。昨日ナツに無理やり押し付けたそれの先に、この十六年ずっと身を共にしてきた宝石は、ない。
 代わりに、均衡を保った菱形の宝石が釣り下がっていた。
 ひびのような、中から何かがあふれ出すかのような模様を内包した宝石は、サヤカの持っていたものとどこか似ていた。太陽に透かせば境なく色がきらめき、夜になれば人々を導く光となるそれに見惚れたサヤカに、エレアノーラが告げた。
「お前の父上、元国王陛下の形見、先代の『鍵』だ。いまはもうその力をなくしているがな」
 お前が持っていけ、とエレアノーラはそれをずいと差し出した。あまりの急なことに驚いて硬直してしまったサヤカは、なんとか問いを絞り出す。
「そんな重要なものを……どうして、私に」
「十六年間『鍵』を守った褒美、そしてこちらの都合でお前の身の上を弄んだ詫び、そして今回の件の礼だ。遠慮なく持って行け」
 まだ気が動転したまま、サヤカは押されてそれを受け取った。顔を合わせた記憶すらない父親の形見、そして今は効力がないとはいえ国事に使うべき品を手にもっているということがどこか信じられない。自分がもともと持っていた宝石もそういった品だったのだが、価値を知っているかいないかでは所持するということの重さが違う。
「……メイさまはいいんですか。これ」
「かまいません。お姉さまに持っていていただけるのなら、きっとお父さまも幸せです」
「魔導士たちにも話はつけたさ。止めるものなどいなかったけどね」
 悪戯な顔でエレアノーラが笑う。
「それからね、サヤカ。これはこれからも『鍵』となる。私たち家族にとっての」
 思わず眉を潜めたサヤカを、エレアノーラは慈しむように撫でた。