普段なら人々が寝静まっているような夜の中、その日のアルトンの街は喧騒に包まれていた。
教会の周りから広場まで人々が賑わい、あちらこちらの店から引っ張り出された不ぞろいのテーブルの上には料理が並ぶ。街をあげてのお祭りさながらの光景に、マコトは少し遠くからその様子を眺めていた。流石に騒がしいのは教会回りの一角だけだけれど、それでも普段のアルトンと比べれば街は何倍も騒々しい姿と化している。
騒ぎのちゅうしんである主役のふたりは、夜も更けていくと言うのにまだ人々に拘束されているようだった。親族や知り合いに囲まれて大変そうに、同時に幸せそうにしているのは、ミコトとシュリのふたり──今日は、ふたりの結婚式だった。
今日は、シュカとナツが守り人の仕事をしていない秋の終わりを選んで結婚をしたふたりの式だった。兄と友人として当然呼ばれたマコトとサヤカは、数日前からこのアルトンに来ていて、昼間から行われた今日の式は既に終盤だ。もはや結婚式は式というよりかは宴会と化した結婚式ている。あたたかなアルトンの人々は、親族と知人だけで小規模に行うはずだったふたりを街をあげて祝ってくれた。そのまま流れでお祭り騒ぎになり、こんな夜更けまで続いているのだ。
教会の庭の角にあるテーブルで茶を飲みながら、晴れ姿のミコトとシュリを眺める。ふたりとも、今は親族より宮廷と兵団の友人たちと戯れているようだから、特に繋がりのないマコトが間に入ってわざわざ邪魔をすることもない。そんな理由でぼんやりとふたりを眺め続けていたマコトの耳に、どこか愉快そうな声が触れた。
「どうしたんだい、祝いの席だって言うのにこんな隅にひとりで」
「ナツ」
「隣良いかい?」
「どうぞ。別に確認しなくてもいいのに」
夏の守り人、ナツ。彼女はどうやら酒と、それからつまみになりそうなものを二、三品持っているようだった。苦笑しながら椅子を引いたマコトに、多少酔っているのか普段より微かに頬の赤いように見えるナツは軽快に笑いながら、ゆっくりと腰を降ろした。五年前、短い時間ながら旅路を共にしたころより長くなった髪が揺れている。頭の天辺で髪を結ぶのは変わっていない様子だったけれど、服装や仕草が多少女性らしさを増したように感じる。あの頃より少し尖りが消えた喋りに、マコトは懐かしさと新鮮さを同時に覚えた。
彼女と会うのは実に半年ぶりだ。たまに王都に顔を出せば顔を合わせることになるし、用事があれば集まることもある。
こくりと持ってきたらしい酒を嚥下しながらふたりの真中につまみの皿を置いたナツは言った。
「いや、なんの確認もなしに隣に座るのはね。流石に」
「なんでそんなに気遣いが厚いのさ」
「サヤカに悪いだろう? というか、てっきりサヤカと一緒だと思っていたんだけど」
「酒が回って寝ちゃったから、宿の部屋に送り届けてきたんだよ。もう肌寒い季節だし」
「ああ、そうなのかい」
「ナツは? どうしてわざわざ僕のところに来たの?」
「いや、ミコトとシュリだけからかうのもなんだか不公平な気がしてね。ちょいとあんたらを酒の肴にしてやろうかと思ったんだが」
そういってからからと笑う声音は優しい。つまみをひょいと口にしたナツは、「それで」と続ける。
「最近、サヤカとはどうなんだい」
「どこかで、一緒に店やりたいねって話してるよ」
「店? それまた意外だねえ。なんの店だい」
「サヤカが、僕の料理を絶賛してくれてて、僕も料理は好きだから、どこかで小さな料理屋さんでも開けたらいいかなって。第二の夢みたいなものかな」
「ああ、いまはファーシヴァに落ち着いているんだったっけか」
「うん。サヤカは雑貨屋さんの手伝いしてるし、僕は地元の酒場で見習いやってる。あとはたまに警備の手伝いとかかな」
半島にある小さな宿場町ファーシヴァ。海から少し離れたところにある小さな町のことだった。そこまで有名な都市というわけでもないけれど、旅が趣味と豪語しているだけありナツはすぐにぴんと来た様子だった。
ナツの持ってきたつまみに手を伸ばしたマコトは、芋と肉の炒め物の味が辛いことに気が付いて小さく顔を顰めた。料理を始めてから、多少は辛さに耐性がついたものの、まだ苦手意識は失せていない。舌がぴりりと痺れているマコトを見て、ナツが笑う。
「あそこは小さな町だからねえ、飯屋を開くにはちょっと地域性が合ってないんじゃないかい? もう既に二、三件あるだろ、酒場とか」
「実際に店を開くなら、ファヴニールのほうに行けたらいいなと思ってる。サヤカの実家も近いし、あっちはあんまり料理屋ないでしょ」
「ああ、屋台が多いからねえ。まああんたの料理は昔から上手だったし、どこでやっても成功するんじゃないかい? 辛いもん苦手なら酒場は向いてないだろうけどね」
「そうだといいけど。それにやるなら酒場にはしないよ」
マコトが辛さに顔を顰めたつまみを美味しそうに咀嚼しながら、ナツは嬉しそうに笑う。婚礼の喧騒は止むことを知らず、ナツとマコトの間に流れる穏やかな空気を賑やかすようにあちらこちらから声が聞こえていた。
「まあ、そんだけ話が進んでるなら、あんたらの婚礼も存外すぐかもしれないねえ」
「婚礼?」
「シュリたちも結婚したことだし、あんたらもそろそろ身を固める時期じゃないのかい。あの春からもう五年は経っただろう。それとも、店を開いて軌道に乗ってきたらとか……そんな感じなのかい?」
ぱち、と瞬きしたマコトに、ナツも瞬きを繰り返す。
婚礼。だれのことだ、と思ってから、マコトとサヤカのことだろうかと思い至る。三拍置いてナツの言葉の意味を理解したマコトは、眉尻を下げて笑いながら返事をした。
「今のところ予定はないかな」
「はあ? ……ああ、あんたらまさかとは思ってたけど」
一瞬表情を固まらせたナツが、そのまま呆れたように苦笑する。マコトは肩を竦めてみせた。この手の話題はファーシヴァに居るときも幾度となく振られたものだ。適当な返しではぐらかすことも覚えたけれど、敏いうえにかつてのマコトとサヤカを知るナツには叶わない。
「……別に、サヤカとは恋仲じゃないよ」
マコトが諦めてそう呟けば、ナツは大袈裟にため息をついて肩を落としてみせた。
「……一応聞くけど、サヤカに別に相手がいるってわけじゃあないんだね?」
「ないよ。僕だってそこまで無粋じゃない」
「あんたはサヤカが好きなんじゃないのかい。マコト」
「……まあ、今のままでもいいかなって」
ちびちびと茶を飲みながら、あからさまに呆れた声をしたナツにマコトはそう返す。
あまりの呆れにものも云えなくなったのか、ナツが喋らなくなり沈黙がその場に落ちる。ひょいひょいとつまみを消費しながら、何かを考えるように目を半分ほど伏せたナツに、マコトは気まずさから目を逸らしていた。
この会話は、式の前にミコトとシュリとも交わしたものだった。お化けでも見るかのような表情でその事実を受け止めたふたりからは、時間がなかったのもあったのか深く掘り下げられることもなかったけれど。隣のナツはどうだろうな、と冷や汗の垂れる思いがする。
祝いの日に相応しくよく晴れた夜空では星が瞬いている。現実逃避に空を眺め始めたマコトに、事実を飲み込んだらしいナツが軽い調子で提案した。
「久々に会ったんだし、手合わせでもどうだい、マコト」
「酔ってる女性に対して一方的に試合するような真似はしたくないよ、僕」
繊細な話題だからと気を使ってくれたのだろうか。一変した話題に多少驚きつつも、マコトは答えた。生憎と、そんな暴力的な趣味は持ち合わせていない。
「相変わらず生真面目だねえ。手合わせって言ってもそんな真面目なもんじゃなくていいよ。手加減しておくれ、あたし長剣はあんまり使わないし」
「長剣でいいの?」
「手加減してくれって言っただろ、酔い冷ましがてらさ。長剣で構わないよ」
「酔い冷ましに手合わせなんて、ナツらしいね」
「誉め言葉として受け取っておこうじゃないか。兵の訓練場でも借りるかねえ」
そう言って、最後の肉を口に放り込むと、ナツは残っていたらしい酒を一気に煽った。マコトも茶を飲み干してから、ゆっくりと立ち上がる。ナツもそれに倣って食器を持ちながら立ち上がった。昔から酒に強いと言ってただけあって、マコトが飲めばすぐに眠ってしまうような量を一気に飲んでも足元ひとつふらついていない様子だった。