食器を片してから教会の庭を抜け、人がまばらになってきた通りを歩いて兵団の訓練場へと向かう。コツコツと二人分の足音が石畳に響いていた。喧騒から離れれば、普段と同じように街は寝静まっている。
普段から、騎士道に倣って女性に手をあげることはしない主義であるけれど、実力も確かなナツと多少の手合わせをすることは昔から度々あった。短剣を扱う素面のナツと戦うのは少々骨が折れるけれど、長剣で酔い冷ましがてらの手合わせとなればいつもよりかは落ち着いたものとなるだろう。
警備をしていた兵にも顔が知れているのか、兵団の訓練場前に居た兵士にナツがひとこと「訓練場借りるよ」と声をかければ、笑って扉を通された。
「顔広いね」
「まあね。一人旅となれば人脈はあればあるほどいい」
そう言いながら、壁に立てかけてあった木剣を手に取ったナツが、そのままひょいとそれを投げて寄越した。マコトは腰に提げていた剣を適当に立てかけると、受け取った木剣を何度か素振りする。普段扱うものより多少軽いけれど、長さとしては手に馴染んだ。
無人の訓練場には、ぽつぽつとある蝋燭の火と月明かりしか届かない。喧騒を遠くに聞きながら、マコトとナツは訓練場の真中で相対した。
「魔法はなし、勝敗も……まあ適当でいいか。それじゃあまあ、お手柔らかに頼むよ」
「君こそ」
ナツはマコトの返事を聞くと、十歩分は開いていた距離をすぐさま詰めた。軽い調子で振り下ろされた剣を受け流して、マコトはくるりと体を捻ってナツの背後へと回ろうとする。いつも間合いの狭い短剣を使っているだけあって、ナツの順応は早い。マコトが剣で薙ぐ前に再び振り下ろされた木剣を、なんとか刀身で受け止めた。
「……お手柔らかに頼むってば、ナツ」
「酔い冷ましさ、酔い冷まし。やっぱりあんたはいい相手になるね」
「ナツは強いから力加減に困る」
ナツの剣を押し返したのちに、今度こそマコトは左斜め上へと切り上げた。空気が揺れて軽く音が鳴る。ナツはなんでもない様子で左下に剣を振り下ろすと、マコトとナツの木剣がぶつかり合って弾かれた。微妙に開いた距離を詰めるのは、速度を武器に戦うナツである。
横薙ぎにされた剣を一歩引いて避けたマコトに、ナツが楽しげな様子で話しかけてくる。
「で、あんたはサヤカにいつ思いを告げるつもりだい」
「えっ」
突然蒸し返された話題に、マコトはぱっと目を見開いた。その隙を縫って飛んでくる容赦のない剣技をなんとかいなしてから、マコトは眉根を潜めて答えた。
「……予定はない、けど」
「あんたらそろそろ二十二だろ? いい頃合いじゃあないか」
「今その話するの?」
「この程度の話題で剣に支障が出るのかい?」
「……この程度で支障なんて出しません。頃合いって言ってもいろいろあるんだよ」
鍔迫り合いの隙間で、ナツが楽しそうに笑う。酔っているとは思えないような剣の運び方だけれど、確かにこの話題の選び方は多少酔っているようにも思える。ため息をひとつついたマコトは、仕方ないなと笑った。
彼女と剣を交わすのは楽しい。酔い冷ましに付き合うと言ったのだし、少しくらいからかわれようとも気にするまい。性質の悪い酔っ払いを相手にするよりよほど楽で楽しいものだ。
「ファーシヴァで一緒に住んでるんじゃないのかい」
「うん。流石に部屋は違うけど、小さな家を借りてる」
「あたしの記憶が確かなら、ファーシヴァに落ち着いたのは二年くらい前だったような気がするんだけど」
「よく覚えてるね……うん、そのくらいだよ」
「あたしはてっきりその頃にあんたらが漸くまとまったもんだと思ってたんだよ」
「お互いにやりたいこと見つけたから、旅に一区切りついて落ち着いただけ」
「はー、それ本気なのかい……」
木剣のぶつかり合う軽快な音の隙間に交わされる恋の話に、マコトは肩を竦めた。
「そういうナツはどうなの? 最近」
「身を固める話かい? それなりに目処は経ってるよ」
「えっ」
「ああ、意外かい? そうだろうね」
距離を詰めたマコトが振り下ろした剣を横に転がって避けたナツが、流れるようにしゃがんだ状態から繰り出す攻撃をなんとか受け止める。からかわれた分だけからかうつもりだったというのに、あっさりと受け流されてしまった。舌戦でナツに勝てるとは思うまいが、ここまで簡単にいなされるとも思っていなかった。
「相手を聞いてもいい?」
「さあて。守り人の誰かだよ」
「……シュカ?」
「ふふ、どうだろうね」
シュカ、と名前を聞いた瞬間に、ナツの顔が見たことないほどに綻んだ。守り人の仲間として仲がいいのは知っていたけれど、そういった関係だったとは聞いたことがない。ミコト辺りが嬉々として広めそうな情報であるはずなのだけれど。
「ナツが誰かと恋仲だとか、結婚だとか、そういうのは結構意外だよ」
「あたし自身も意外さ。多分誰より意外に思ってる」
「へえ、じゃあシュカからナツのほうに思いを告げたの?」
「さてね。人の恋愛事情に首を突っ込むもんじゃないよ」
「……君が言う?」
「首を突っ込んでるんじゃなくて背を押してるって言うのさ、あたしのは」
「今の僕にはからかってるようにしか聞こえない」
弟の婚礼の日の真夜中に、昔馴染みと手合わせしながら話すにしては或る意味ぴったりな話題かもしれないけれど、とマコトは思った。足元を狙って放たれた剣技を跳ねてよけながら、マコトは次の言葉を待った。
「どうせマコトのことだから、今の関係が壊れるのが嫌だとかなんとか情けない理由で立ち止まってるんだろう?」
「……別に今の関係から変わることもないんじゃないかなって思ってるだけだよ」
「不確定な未来っていうのは人を不安にさせるものだよ?」
「少なくとも僕らは五年間一緒に居たよ。それじゃ駄目なのかな」
「サヤカは待ってるかもしれないよ。というか、あんたら今朝会った時手繋いでなかったかい?」
「……あれは、移動で疲れて寝不足のサヤカがふらふら歩いてたからだよ」
「あたしたちと旅したころから恋仲みたいなもんだったじゃないか。今更なにを臆病になってるんだい」
二十二なんて、お見合いの話とかたくさん来る時期だろうにとナツが目を伏せて言う。やれやれと言いたげな様子に、当時のナツのところにもたくさん見合い話が舞ってきたのだろうなと簡単に予想がついた。
守り人である彼女は、一年の四分の一を確実にひとりで過ごさなければならず、その季節は家族とも友人とも顔を合わせることはできない。家庭を持てば迷惑をかけるだけだから身を固めるつもりはない、と数年前にあったその時は言っていたはずだった。どういう心境の変化があったのだろうか。
飛んだり跳ねたりの多いナツの攻撃に、マコトは手加減を考え段々と防戦一方になってきた。鍔迫り合いの時間が増える中、ナツは飄々とした様子で続ける。
「あんたは実際どうなんだい。サヤカと一緒になりたい?」
「……そりゃあ、好きだけど。別に僕のものって束縛したいわけでもないし、ここまで何もないとむしろ、『相棒』として信頼されてる感じがするから」
「ああ、男性として見られていない?」
「昔から無防備なところはあるなと思ってたけど。流石に一緒に住むのを提案された時は驚いたよ」
「数年旅を共にして、宿の部屋なんかが同じだったら仕方ないだろう」
「まあね。だから、今更男らしくして怖がらせたくないなって。今の儘、ゆったりした関係でも問題ないかなって思うんだ」
純粋に夢の応援をしてくれる旅の相棒。かけがえのない存在ではあるけれど、サヤカとマコトの間に恋仲の約束はない。ずっと共に、ずっと傍に。静かに熱を持つ思いなど、約束の中に必要はないのだと、マコトは切り捨ててきたのだった。
ナツは遠慮なく剣を振り回しながら言う。
「あんた、サヤカに夢見すぎだろう」
「夢?」
「夢。確かにサヤカは浮世離れしたところあるけど、流石に恋愛感情を知らないほどお子様じゃあないと思うよ。見てれば分かるけどねえ、サヤカがあんな風に分かりやすく甘えるのはあんただけだよ?」
「甘えるって……隣で眠ったり、手繋いだりって話? なら僕が男として見られてないだけだと思うんだけど」
「違う違う。あんたが甘えられてるんだよ、あれ。サヤカは女の友人にだってあんな甘え方しやしないさ、あたしにもシュリにもね」
ナツがひゅ、と剣を縦に薙ぐ。それを綺麗に弾いたマコトは、その発言に首を捻った。
言われてみれば、見たことはない気がするけれど、そこまで深く考えて観察したことはないからわからない。サヤカが人に甘えているところをまじまじと見るような真似もしないのだから、当たり前と言われればそうなのだけれど。
「なあ、マコトはサヤカに触れたいだとか、そういったことは考えないのかい?」
真剣さと優しさを含む声音から、今度こそ揶揄いを前面に押し出した声音となったナツは、悪戯に笑いながらそう言った。な、と肩を揺らしたマコトは微かに頬を赤らめる。そう言ったことは普段考えないようにしているせいもあり、直球に尋ねられると慣れない。
「考えてるじゃないか。あんたも男であたしは少し安心したよ」
「僕を何だと思ってるの、ナツ……」
「騎士道に徹しすぎて自分の性別忘れてるんじゃないかと思ってね」
「相棒に対して不埒なこと考えるのは控えてるんだよ」
「あんたがそう思う分だけ、サヤカもそう思ってるって考えたことはないのかい?」
「何の話」
「サヤカもあんたに触れられたいって思ってるんじゃないのかいって話だよ」
「まさか。相棒としてしか見られてないって」
「本当にそう思うのかい? 一回聞いたほうがいいんじゃないのかい」
「……どうして?」
「もし、サヤカがあんたを男として見ていて、恋情を以てあんたに甘えたり時間を共にしていたらどうだい。ずっと何も言い出してこないあんたにそろそろ呆れて離れちまうんじゃないかい? 逆に、本気で相棒だとしか思っていないなら、今のままの関係を続ければいい」
背を押しているというよりかは、からかい煽られているようにさえ感じるナツの言葉に、交わされる剣にも熱が混じる。
「自分に対して恋情を持つ相手に今まで通り?」
「サヤカはそういう人柄だろう? あんたが無理やりことを進めようとしてるわけでもないんだからさ。もし良い返事がもらえなくても今まで通りだよ、きっと」
「伝える利点がない」
「良い返事が貰えるかもよ? サヤカが待ってたとしたら早く伝えないと逃がしちゃうことになるね」
「……ナツ、サヤカから何か聞いた? サヤカが僕のことどう思ってるか知ってるの?」
「さあてね。もし知ってたとしても言わないよ」
「……意地が悪い」
「意地が悪いのはそっちもだろう。どうせあんたのことだ、サヤカが自分以外と結婚するだとか、そんな可能性は考えたこともないんじゃないかい?」
「……ないけど」
「はは、もう、しっかりサヤカは自分のだと思ってるんじゃないか。上等だ、あとはそれを伝えるだけだね」
言いながら半分突進のように剣を構えて向かってくるナツに、マコトは地面を蹴り上げる。気付いて方向転換しようとしたナツより一瞬早く、風を切る音と共にマコトの剣がナツの首元へと添えられる。
──自分以外の隣で笑うサヤカなど見たくはない。想像だってしたくない。なにより、そんな独占欲を抱えたくはなかった。それを突かれて動転して、手加減が全くできなくなった。マコトの鋭い視線とナツの好戦的な目が一瞬交じって、すぐに夜風に溶けていく。
数秒の間ののちに、ナツがとその場に倒れ込むようにして座り込んだ。両手をあげて降参の姿勢をとりながら、乱れた息を整えている。
「容赦ないね、手加減してくれって言ったじゃないか」
「ナツが変な話題振るから。君みたいに強い人に対する手加減って難しいんだよ?」
「悪かったって。あたしの負けだよ、降参」
「勝敗は適当って言ってなかったっけ」
「あれはあたしの負けだろうよ。明日にでも飯のひとつくらい奢ってやってもいい」
「それは嬉しいけどさ」
笑いながらそう言って、ナツの足元にある木剣を拾い上げる。元あった場所に立てかけると、ナツはひらひらと手を振ってお礼を述べた。
自分の剣を鞘に戻しながら、良い酔い冷ましになっただろうかと考える。ナツは元からさして酔っているようには見えなかったけれど、どうなのだろうか。手合わせ中の会話もしっかりとしていた──どころか、なにやら伝えたいことがあったとしか思えないほどはきはきとしていた。もしかして、自分を焚きつけるためにこの手合わせを申し込んだんじゃないかと思い至って、マコトは苦笑いする。
いい加減二の足を踏んでないで先に進めというナツなりの応援だったのかもしれない。背を押していると言っていただけあるな、と思った。
「……酔いは冷めた? ナツ」
「あんたこそ。夢から醒めたかい?」
夜風に長い黒髪を靡かせながら、ナツは意地悪に笑って見せた。