足に響いた鋭い痛みに、少女は目を覚ました。辺りは闇に包まれ、肌寒い風が少女に吹き付ける。どうやら深く眠っていたのか、眼前の人々が持つ篝火の光に目が眩む。思わず顔を顰めて瞬きをした少女のことを、目の前の人間は野太い大声でなにやら怒鳴りつけていた。
どうやら自分は倒れているらしい、と少女はようやく理解した。足を何かしらの武具で殴られ、床に転がされているようだ。背の感触は冷ややかに重たく、どうやら浅い水たまりか小川か──兎にも角にも水が溜まっているようだった。
それにしても冷たい、痛い。どうやら殴られたらしい足からどくどくと血が流れるのが分かった。足が折れてしまってやいないか、歩けなくなってしまわないかと微かな心配が頭を過る。酷いことをするものだと思いながら、少女は軽く状態を起こした。痛みに眩暈がした。
視界の隅をちらちらと散っていく火花の隙間、少女は幾度となく瞬きを繰り返してゆっくりと景色を取り戻した。男はどうやら複数人いるらしく、またその手には余さず武器が握られている。彼らは一様に何かに憤っているのか、幾重にも重なった言葉で少女を怒鳴りつけていた。辛うじて罵倒らしき単語は聞こえても、それらすべてを聞き分ける芸当など少女には出来ない。
少女は更に深く顔を顰めながら、痛みをこらえて小さく言葉を発した。
「なにかしら」
その言葉は、思ったよりも強気に、簡単に滑り出た。男たちの声は大きく、それに対して少女の透明な声は消え去りそうな声量だったはずなのに、その言葉は確かにその場を一瞬支配した。
──聞き覚えのない声が聞こえた気がした。少女の頭に一瞬過った疑問を打ち消すように、男たちの怒声がさらに勢いを増す。武器を地面に叩きつける音、口にするのもおぞましい呪詛の言葉の数々に、少女は少しだけ肩を竦めた。
「……ひとりずつお話ししてくださるかしら。聞き取れないわ」
いったいどれだけの男が少女の声を聴きとれたのか分からないけれど、どうやら彼らの怒りの炎に油を差したらしいことだけがよく分かった。更に声を荒げる男たちに目を細め、少女は小さく息を吸う。眼前に広がる景色と足の痛みはずいぶんと恐ろしかった。けれどきっと大丈夫だ。私には彼らがついている。どれだけ屈強な男だろうと、どれだけ頭の切れる研究者だろうと、わたしの彼らに敵うことは絶対に────
そこまで考えて、少女ははたと目を丸くした。
彼らとは、誰だっただろうか。
記憶に靄がかかっているような感覚に襲われ、少女は足の痛みよりも明確に眩暈を覚える。そもそもどうして、これほど暗い場所で倒れ込み男たちに囲まれるなどと命の危険を感じてしかるべき場面で、あれほど強気な態度が取れたのだろうか。一瞬前まで当たり前に思考していたことが、ひとつのひびから瓦解していくのを感じ、少女は一瞬で顔を青褪めさせた。
己の行動の理由を探し一瞬のうちに巡った思考は、理由よりも別の結末にゆっくりと舵を切る。ここはどこだろうか、そして、自分は誰だろうか。か細く白い指に折れそうな細い足、そこから流れ出る血は、誰のものだろうか。聞き覚えのない声の主は、確かにこの喉から発せられたものだった。
いきなりおとなしくなった少女にも、目の前の男たちは矛を収めなかった。殺されるか、扱いが良くても慰み者にでもされるのだろう。なんにせよ自分が良い結末になど辿り着かないことを思って、少女は微かな体の震えが広がるのを感じていた。逃げようにも華奢な体、そもそも逃げられないように足を殴られたのだろう。
絶望が少女を包み込んだ。髪から垂れる水滴が、足元の水たまりに波紋をつくる。男たちが武器を振り回し始めたのを見て、少女は諦めに呼吸を飲み込みながら目を伏せた。
同時、体がふわりと浮く感触に包まれた。己の真横の空気が棍棒によって切り裂かれ、風圧で少女の前髪が舞う。驚いて、先程閉じたばかりの目をぱっと開けば、目の前にあったのは焦った顔の少年だった。
膝裏と背に手を回され抱き上げられたらしい、ということは、数瞬の間を置いて少女にも理解できた。冷たいばかりだった少女の体にぬくもりが触れ、嫌が応にも力が抜ける。どうやら助けられたらしい、と理解できたのは、少女を抱えた少年が屈強な男たちの間を潜り抜けるようにして走り抜けたあとのことだった。
「あなたは」
「話ならあとで聞くから今は黙ってろ!」
少年の鋭い声に、少女はぱっと口を閉ざした。
決して目の前の彼も小柄ではないはずなのだが、少女が思っていたよりも男たちは巨漢揃いだったらしい。闇夜に目立つ薄い茶髪を揺らしながら、少女をいともたやすく抱えて彼はひたすらに走った。月明かりが顔を出し、揺られる少女に周りの景色をゆっくりと見せる。少女は出来ることもなく、灰色の石造りの壁と家が連なる景色を背景に、少年を追う男たちが彼に引き離されるのをただ見ているばかりだった。
「シュヴァルツ、ついて来れてるか!」
「当然」
「先行って門番黙らせとけ!」
「白の子探しに出払ってる。今なら出られる」
「このまま振り切るぞ」
少年の声にふと隣を見れば、いつのまに居たのやら黒髪の少年──シュヴァルツと呼ばれていた彼が横を走っていた。やけに大荷物のふたりはどこへ行こうとしているのか、少女を抱えたまま息を荒げて進んでいく。
どうやら、窮地は越えたらしい。その安心感に、少女の体はずしりと重くなる。じくじくと痛む足ばかりが意識に捉えられ、再び少女の視界はゆっくりと靄に包まれていく。彼らは誰なのか、本当に助けられたのか──それを確かめる暇もなく、少女は抗う力もなくゆっくりと瞼を落とした。
「……コハク? しっかりしろ、もうすぐ北の町を出られるから──そうしたら、手当てを、」
焦ったような少年の声を子守歌に、少女は再び意識を手放した。