07

 それは、幼い少女だった。豪華な装飾を施された金の腕輪を嵌め、腰まである長い白髪を靡かせ、真っ白な石で出来た台座に座っている。齢十にも満たないと思われるその少女は、足をぶらぶらと揺らしながら退屈そうにつぶやいた。
「収穫祭に行きたいわ」
 そこは、神殿のようだった。台座と同じように白く磨かれた石で作られた荘厳な宗教施設であり、広い入り口を潜れば眼前には大きな龍の石像が象徴のように鎮座している。椅子やいくつかの台があるそこは民が祈りを捧げる場所であり、柱に取り付けられた蝋燭が今もあたりをぼんやりと照らしていた。
 広い神殿の奥、民と彼女を区切るように張られた幕の中に、その少女は座っていた。退屈そうな顔を隠すことなく、その漆黒の瞳を細めては体を軽く揺らしている。よく見れば、腕輪と同じ意匠を施された足輪と首輪が嵌まっており、その美しい在り様から彼女が高貴な身分であることは容易に察せられた。
 採光用にか開かれている天井からは、日光が良く差し込んでいる。祭りでも執り行われているのか、外はやけに喧騒が響き町の人々が浮かれた音楽を奏でていた。幼い少女はもう一度、微かに舌っ足らずな言葉づかいで訴えを繰り返した。
「わたしも、収穫祭に行きたいわ」
「今年は無理だとお伝えしたはずです、巫女様」
 その少女はどうやら、巫女であるようだった。
 台座の隣には、少女を守るように黒髪の女性が立っていた。女性は、剣を地面に突き立てるようにして柄を両手で支え、少女を如何なるものからも護衛する立場としての振る舞いをしていた。その反対には銀髪の男性がおり、彼は剣ではなく本を持っている。ふたりは、少女の傍を守る役目を賜っているようだ。
「もうわたしも十になったのだけれど」
「老院からも許可は降りておりません。今日は来訪者も多いのですから、そこでお待ちください」
「毎年みながさわいでいるのを聞いているだけなのよ、わたし。ここは退屈だわ」
「巫女様」
 黒髪の女性の視線が、諫めるように少女を射抜いた。それまで退屈そうにしていた少女はそれに肩を竦めると、長い髪をゆっくりと前に持ってきて手先で弄る。女性はその暇つぶしにいい顔はしなかったけれど、それを擁護したのは反対側に居る男性だった。
「まあまあ、十なんて何事にも退屈する年頃だろう。僕等もそうだったじゃないか」
「そうだけれど……ウィリアムは巫女様に甘すぎるわ」
「きみが厳しい分、僕が甘やかしているんじゃあないか。いまは客人も居ないし、寛がせてやってくれ」
 ウィリアムと呼ばれた男性は、その空色の瞳を細めて笑った。女性はまだ納得のいかない表情で男性のほうを見ていたが、やがて諦めたように小さくため息を吐く。その間も、巫女の少女は退屈そうに足を曲げ伸ばししていた。
「退屈の紛らわし方は少し考えたほうが良いかもしれないね。本を取ってきてあげるから待ってなさい」
「こら、ウィル! お客様や老院の方々もいらっしゃると言うのに本など──」
「人がいない間はいいだろう。この年の子供を退屈させたままじゃあいずれ寝てしまっても可笑しくないさ。そうなるよりは本でも読ませて教養をつけさせたほうが良い。信心深いのも大切だが、柔軟さや折り合いも教育には必要だよ」
 それから、ウィリアムは巫女の少女の顔を覗き込むようにして続ける。
「きみは賢いから、人が来たら読むのを辞められるね?」
「ええ、もちろん」
「よし、いい子だ。巫女殿とはいえまだ幼子、厳しく躾けるだけが僕らの仕事ではないよ、マーヴィ」
「……仕方ないわね」
 その女性の名は、マーヴィというらしかった。彼女もウィリアムと同じように空色の瞳を携えながら、仕方ないと態度でも示すように前に向き直る。剣のきらめきが反射して、白い床に輝きを分け与えていた。
 本を持ってきてもらえる、と喜んだらしい巫女の少女は、台座の上ですっと背筋をただした。耳につけられた金属の飾りが揺れ、かしゃりと音を立てる。先ほどまでの退屈な様子はどこへやら、燐とした視線を前に向けていた。
 どうやらこの町は、山間の深いところにある閉鎖的な場所のようで、そんな中でも本日が収穫祭らしかった。神殿と同じ材質の白い石で出来た家々が立ち並び、集落と言うには多く都市と呼ぶには狭すぎるその町の、その全てを見渡せる丘に建てられているのが巫女の君臨する神殿であり、巫女の少女が居る場所だ。
 人々の言祝ぎの声は止むことを知らず、年に一度のお祭り騒ぎとばかりに町に陽気さをあふれさせている。全ての仕事は今日は安息日、屋台が出そろい豪華な食事が並び、例年ならば夜更けまでその祭りは続く。そして、少女はどうやらそんな町並みの中を出歩きたいと訴えているらしかった。
 いくら凛と前を見ていても、所詮は巫女も幼子だ。駄目押しとばかりに、マーヴィに質問を投げかけた。
「……ねえ、毎年だめだと言われているけれど、いつかわたしも収穫祭に行ける?」
「私には分かりかねます。老院の許可さえ下りればいくらでもお連れ致しますが」
「連れて行ってくれてもいいじゃない、意地悪」
「まあまあ、そう言わないで。ほら、本を持ってきたよ」
「あらウィリアム、おかえりなさい」
 そう言って、巫女の少女はウィリアムから分厚い本をゆっくりと受け取った。それからその本を膝にのせてゆっくりと開くと、先ほどまでの会話のすべてを忘れたように、文字に目を奪われ集中し始める。渡されたのはどうやら理学の本らしく、少女は勉学のなかでも特にこの分野が気に入りだった。巫女として幼いころから修学してきたぶんだけあり、少女は研究書であるそれも簡単に読み進めていく。それは、退屈そうな十の少女と巫女としての知能の乖離がよく目立つほどだった。
 そんな巫女を眺めていたウィリアムは、マーヴィからの視線に軽く肩を竦めた。
「きみは少し理想を突き詰めすぎる節があるだろう。僕ときみで良い塩梅だよ」
「そうは言っても、あなたはもう少し信仰や風習を覚え尊重したほうが良いと思うわ」
「この土地の風習は幼いころから学び尽くしているさ。その上で、そうして巫女が眠ったり、退屈にかまけてどこかへ走っていってしまうよりは良いだろうと思ったんだ。僕は常に最善を選んでいるんだよ」
「研究者というものはいつもそうなのね。人心よりも利得に論理」
「きみは騎士らしいね。礼節や義、歴史を重んじる」
「勉学のし過ぎで頭でっかちになるよりはいいと思うけれど」
「そうかもしれないね。互いに信ずるものに振り切るところがあるし、やはり僕等は白の子の側役としてはいい塩梅じゃあないか」
 軽い応酬の末ににこやかに微笑むウィリアムに、マーヴィは唇を固く結ぶことになった。研究者と呼ばれるだけあって口論になれば暖簾に腕押し、穏和で気の長い彼に勝てるはずもない。そもそも、彼の言っていることは常に至極全うで正論ばかりだ。ただ時折相容れない価値観を露にされぶつかり合うことがあるだけで、ふたりの仲は良好だった。
 それ以上の論争では口の回る彼に勝てない、と思ったマーヴィが前を向いたところで、ウィリアムが自身もぱらりと本を開きながら続けた。
「まあ、きみも僕も自由にやらせてもらっているわけだし。互いの形で水龍様に尽くすということでいいじゃあないか」
「……それもそうね。巫女様を立派に育てて水龍様のもとへ送り出すことが使命なんだもの」
「これ以上話を続けて、巫女様の集中を切らしてもことだし、今日はここらで勘弁してはくれないか?」
「どの口が言っているのよ……」
 巫女の少女は、これだけの応酬が頭の上で続いていても気づいてさえいないようだった。肩でも叩かねばきっと反応しないであろう彼女は、与えられた本の頁を夢中で捲っている。そんな彼女を一瞥してからわざとらしく小首を傾げたウィリアムの銀髪がさらりと靡いた。マーヴィが呆れた様子で片手を振れば、ウィリアムの小さな笑い声が神殿の中に反響した。
 会話が途切れれば、遠く響く町の喧騒ばかりがやけに大きく聞こえてくる。客人が来ると言っても町の要人ばかりだし、神殿にはそもそも多数の警護がついている。少女の警備と言えどその剣技を振るうことは滅多にないマーヴィは、ぼんやりと、人や鳥の声や風の音に紛れて聞こえる囃子太鼓に耳を澄ませていた。ウィリアムは、そんなマーヴィと巫女の少女を一瞥すると、ぽつりと呟く。
「……もう時間がないから、出来れば引っ込んで研究だけしていたいんだけどね」
「引っ込んで研究だけしていたいって言ったかしら、今」
「きみは普段は大抵のことを流すのに、僕と話している時だけ言葉尻に突っかかるね」
「放っておいて頂戴。引っ込んでないでちゃんと巫女様の教育役を務めてくれるかしら」
「承知しているよ、側役殿」
「それならいいのだけれどね、側役殿!」
 少し語気が強くなったマーヴィの声を、ウィリアムは人差し指を立てて唇にあてて諫めた。はっと口を噤み、まるで何もなかったかのように凛と前を向いたマーヴィに、ウィリアムは再び小さく笑い声を零すのだった。それは穏やかな、太陽の傾く午後のことだった。
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