終焉に咲いた硝子

 まただ。また私は部屋から締め出されてしまった。繰り返される明らかな拒絶に、苛立ちが皮膚の下を這い回っていた。

『――帰りなよナマエ。君なんかと話すつもりはない』
『僕は改めて宇宙の広大さを知ったよ。まさか君ほど不快な人間がこの世に存在するとはね』
『何度言えば君の頭でも理解できるンだろうね? もう一度だけ言ってやろう。許可なく部屋に立ち入るのはやめてくれないか』

 前のループで私が『鍵』について口にした際――思い返せば、ラキオはそれについて何か知っているような反応をしていたような気がする。そのときは私自身、自分のことでいっぱいいっぱいだったけれど、もしかすると私は自ら重大な機会を潰してしまったのかもしれない。
 ラキオの雑用をこなしたその晩に私がグノーシアに襲われてから、またループを繰り返してはラキオのもとを訪ねるが、あれ以降一度も部屋に入れてもらえたことはなかった。

「あーもう!!」

 元々ラキオは人を苛立たせる才能に長けていた。しかしここ数回のループでは、それに輪をかけて酷かった。会話を重ねる度に、積み上げてきたわずかな情さえ音を立てて崩れていく。流石にあの造形美をもってしても、看過できるものではなかった。
 ぐしゃぐしゃになった感情の行き場がなくて、思わずその場で足を踏み鳴らす。こんなの、まるで癇癪だ。すると背後からかすかに、それでも確かに足音が聞こえたので、感情を顔に映したままそちらを振り返ると、私の表情を見てか、目の前の人物は驚いたように肩を揺らした。

「ナマエ、どうかした? 随分カリカリしているようだけど……」

 よく聞き慣れた声に、光を溶かしたような髪が揺れた。思色の瞳が私を見て小さく揺らぐ。目の前の少女を見た瞬間、胸の奥で燻っていた苛立ちがわずかに薄れた。

「セツ〜!」
「え!?」

 視界がぼんやりと滲んだかと思うと、行き場のない感情を発散するかのように、気がつけば私はセツに抱きついてしまっていた。驚いた声を上げながらも、彼女は見た目からは想像もつかない体幹の強さで私を受け止める。すんと鼻を鳴らせば、鋭さを含んだ香りなのに、どこかあどけなさが抜けきらない。「どうかした?」「ラキオに何かされた?」「まさか沙明か!?」と矢継ぎ早に言葉を重ねるセツに、私は答える代わりに彼女をぎゅうと抱きしめた。彼女は一度手を宙に彷徨わせると、こわごわ私の背に手を回してくれた。

 食堂に誰もいないことを確認すると、セツがダージリンティーを淹れてくれた。ステラには劣るけど、と出してくれた私の分の紅茶には、角砂糖とミルクが添えてあった。
 セツは私がカップに口をつけるのを見守ると、自分のものには口をつけずに早速本題へと入ってくれた。「一体何があったんだ?」と。それに躊躇うことは決してなく、私はどうして自分がこんなにも腹を立てているのか、ゆっくりと口にした。

「なるほどね……ラキオの特記事項が埋まらないんだ」

 ラキオの情報を得ようにも、あちらが私に関わる気がないのならばどうしようもない。ああ、あの態度。思い出すだけでイライラする。机の下で貧乏ゆすりする私に、セツは眉を寄せて笑うと、ようやく紅茶を口に含んだ。

「焦る気持ちはわかるけど、焦っても良いことはない。ラキオが難しそうなら他の乗員のデータを集めたり……まあ、データを集めたところでどうなるのかわからないけどね」

 彼女の言葉を受けて、『鍵』を手の中に出す。今まで集めたデータや特記事項を参照すると、確かにセツの言う通り、まだまだ乗員のデータは穴だらけだ。もちろんラキオだけにこだわっているわけじゃないし、そんなことをしている場合ではない。――あれ?

「……あっ!」
「ん?」

 セツの「データを集めたところでどうなるのかわからない」という発言が一瞬だけ胸の奥で引っかかり、私がラキオを訪ねていた本来の目的が思い出された。

「ラキオが『鍵』について何か知ってそうだったんだ。もしかしたら、だけど」
「! ラキオが……」

 目の前の彼女はハッとして大きく目を見開くと、少ししてから口元に手を添えて考える素振りをした。何故ループをしていないラキオが、『鍵』について知っているのか。知っているはずがない、と自分の中で決めつけていたが、彼の頭脳や知識量を考えればその答えは簡単だった。
 ラキオからどうにか『鍵』について聞き出さないと。そう思ってセツに目を遣ると、彼女も私に視線を預けて、何も言わずに頷いた。

「知らなかった。ありがとう、私の方でも探ってみるよ」
「またお互いわかったら共有しよう」

 少し前のループで、セツは私とループする順番が違うと教えてくれた。だから、『鍵』についての情報をもつセツと会うのはどのくらい遠い未来になるのかはわからない。もしかすると、私が先に情報を得ているかもしれない。
 ひとまず話にひと区切りついたので、空間転移の時間までお互いできるだけ情報を集めようとお開きになった。セツと話せたおかげで、先程まであの芸術品のせいで張り詰めていた感情が、ゆるやかにほどけていった。私一人でこの宇宙と戦っているわけじゃない。その事実が、冷えていた胸の内に熱を灯した。

「ナマエ、あと一つお願いがあるんだけど……」

 食堂を後にしようと扉に手をかけたとき、彼女は恐る恐るといった声で私を引き止めた。セツがお願いなんて珍しい。その声に振り返ると、彼女は申し訳なさそうに眉をひそめて、はあ、と小さく溜息をついた。

「……沙明について特記事項が埋まったら共有してくれないか?」

 セツは沙明のことが相当苦手らしい。

 ⊕⊕⊕

 花々の隙間を縫うようにして、ひとりの少女がこちらへ歩いてくる。陽光を溶かしたような茶色の髪はふわふわと風に揺れ、そのたびに柔らかな香りまで漂ってきそうだった。 「可憐」という言葉がこれほど似合う少女を、私は他に知らない。彼女が花畑の中を歩くたび、咲き乱れる花々さえ背景に溶けてしまうようだった。

「ククルシカ」

 彼女の名前を口に出すと、こちらに気がついたのか、ふわりと唇を綻ばせた。長い睫毛がやわく伏せられ、硝子細工のような瞳が細められる。まるで、初めて会ったあの日のようだった。

「本当に綺麗だね、あなた」

 彼女の柔らかな髪を撫でると、彼女は潤んだ瞳を細めた。指先をすり抜ける髪は絹糸のように滑らかで、陽光を受けるたび淡い金色を滲ませた。彼女はされるがままに撫でられながら、また小さく笑みを零して――

『グノーシア汚染につきまして、緊急の対策会議が行われます。乗員の方は、メインコンソール室に集合してください』

 LeViのアナウンスと同時に、花畑のホログラムが解けていった。先程までの花の香りや景色が嘘だったみたいに、辺り一面の花畑は見慣れた無機質な展望ラウンジへと変化した。

 メインコンソール室へと向かって、スカートをふわふわと揺らしながら真っ直ぐ駆けるククルシカの後を追いかけると、重厚なドアが鋭い駆動音と共に左右へ滑り開く。この船に逃げ込んでいない乗員がいるループもあったが、今回は私を含めて十五人、全員が揃っているようだった。もちろん、彼もだ。

「なンだい。いきなり来たかと思えば僕の顔をそんなに見て」
「ううん……」

 偶然にもラキオの隣についてしまった私は、いつも通り、何度見たって評価を変えることのないその端麗な顔立ちに目を奪われた。さて、そろそろ私のことを嫌っていないラキオに会えるだろうか。既に進んでいく会議の中でぼんやり考えていると、彼が私の定まっていない視線を捕まえて溜息をついた。

「会議に集中しなよ。無駄にコールドスリープさせられたくないだろう? まあ、別に君がコールドスリープしようが僕には関係ないけどね」
「! わかった。頑張る」

 いつも通りの嫌味を含んだ言葉。けれど確かに、ここ最近のループのラキオに比べて優しさが見えた、そんな気がした。握りこぶしを作っては意気込む私を興味なさげに見ると、彼はまた会議に意識を向けた。とりあえず私とラキオ、もし彼がグノーシアだとしても、今日ばかりは生き残らなければ。
 ――すると、会議開始から間もなく、ククルシカが注目を集めるようにピンと手を挙げた。それから彼女と同じくD.Q.O.で留守番をしていたレムナンを指さした。留守番以外の乗員に目配せしたかと思えば、小さな手を重ねて耳元に当て、長い睫毛を伏せた。その様子を見て、乗員たちが腑に落ちたように息を漏らす。私ももちろん、同様だった。

「キュ! いいと思うの。お二人は絶対にグノーシアさんじゃないので、他の皆がコールドスリープしたら、もう大丈夫なのです」

 ククルシカの提案に真っ先に賛成したのはオトメだ。どうして今まで誰も思いつかなかったのだろう。人間を守るにも、それはうってつけの提案だった。それから皆が口々に賛同するが、もちろん反対意見は出なかった。反対してしまった時点で、その人がグノーシアであると確定してしまうからだ。
 私の隣の汎はどうだろう。視線だけをそのまま移すと、ラキオはククルシカの提案にただ口端を上げた。

「次の寄港地まで、船を維持するだけだしね。レムナンやククルシカが無能でも、LeViが何とかしてくれるンじゃない?」

 効率、そして合理性に重きを置く彼が納得するには十分な提案だった。今まで一度もなかった展開に驚きつつも、私ももちろん彼女に賛成する。唯一、このループではラキオに情報を聞き出せたかもしれないことだけが心残りではあった。

 全員の同意が得られたところで、私たちはコールドスリープ室へと移動した。今までのループとは違って、誰一人嫌がる顔を見せず、服を脱いでは装置の中へと入っていった。もちろんラキオも今回は長文を吐き捨てることなく、眠りについた。

「――こんな展開もあり得るんだね。これまでで一番、穏やかな解決かもしれない」

 乗員たちがコールドスリープしていくのを見届けていると、セツが私の横に並んで微笑んだ。どうやら、セツもこのようなループを迎えるのは今回が初めてらしかった。彼女も例外なく、コールドスリープを受け入れるらしい。それも当然だ。私と彼女は、いつだってコールドスリープを起点にまたループへと引き戻されるのだから。
 彼女の言う通り、今回のループは満場一致の結果である、平和的解決を迎えた。もっとも、私からしても望ましいループに違いなかった。しかし私はどこかでラキオのことを残念に思っていたのだ。彼女の言葉に反応を示さない私を不審がってか、セツが不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。

「どうかした?」

 セツの声に、私ははっとして小さく笑った。

「……ううん。焦りすぎは良くないもんね」
「ふふ。そうだね」

 確かに、ラキオについて聞き出せなかったことは心残りだった。彼が『鍵』について何を知っていたのか、結局何一つわからないままだ。それでも――誰も疑われず、誰も傷つけられずに終わるループなんて、今までほとんど存在しなかった。こんな穏やかな終わり方ばかりではないことを、私は嫌というほど知っている。それでも今回くらいは、この静かな結末に身を委ねてもいい気がした。
 セツは肌着姿になると、薄く微笑んでから装置の中へと入っていった。

「それじゃ、今回はゆっくり休もう。また次のループでね」
「うん。おやすみなさい」

 彼女がコールドスリープするのを見送ると、ククルシカとレムナンが見守る中――私もまた、眠りについた。

 ⊕⊕⊕

「――きてください! 早く!」

 誰かの声が聞こえる。新しいループの始点だろうか。しかし、肌に触れる空気は冷たかった。ここは、一体?
 考えるまでもなく、ガチャンと重い音がすると、腕がぐいと引っ張られ、生暖かい空気に触れた。ここは、コールドスリープ室? 今までループの始点がコールドスリープ室、しかも装置の中であることはなかった。すると、暗がりの中に顔を青くした彼――レムナンがいた。私の腕を掴んだまま、視線をこれでもかと泳がせる。そこで初めて、私はまだループしていないのだと気がついた。

「レムナン? なんで私を起こして――」
「そんなことより早く! 早く、隠れてください! でないと、ナマエさんも……!」
「……え?」

 隠れる? どうして? 震えた掠れ声で力いっぱい叫ぶレムナンはあまりにも切羽詰まった表情をしていて、今船内に起こっているらしい出来事が只事でないと思わせた。無意識のうちに身体が震え、それでも状況を確認しようと周囲を見渡すと、他の装置は空になっていた。それも――

「もう、ナマエさんしか、いないんですッ! 他の皆は、皆は……船外に、放り出されて……」

 床に大きな血溜まりを作って。一つじゃない。いくつもの赤色が床一面を滲ませていた。よく見ると、壁のいたるところが大きく凹んであり、鼻の奥に錆びた鉄のような匂いがこびりついた。
 すると、ひらひらと何かが舞い降りて、間もなくそれは鮮血の池へと落ちていった。正反対の色に染まっていくそれが、ラキオの羽根であることに気がつくまで時間は要さなかった。皆がどうなったのか、想像するのは容易かった。喉のあたりで何かが詰まって、肌が栗立つ感覚がした。その場にしゃがみ込んで動かない私の肩を、レムナンが力の限り揺らす。

「今すぐ、ここから出てください! アレが、来る前に……!」

「アレ」。それが何を指すのかとても思いつかなくて、しかし、推測するのは簡単だった。コールドスリープした皆を船外に放り出すことが可能なのは、目の前のレムナンと、そして同じく留守番の――
 信じたくなかった。しかし確かに、いつかのループでセツは言った。

『今回は、極端なアクシデントは無かったね。ほら、生物汚染やククルシカ騒動みたいな』

 もしかして、これがセツの言っていた。
 可憐で今にも消えゆきそうな、儚い少女が、皆を殺した。それを口にした瞬間、事実として確定してしまいそうだった。それでも、震える声で絞り出した。

「……もしかして、ククルシカ?」
「ククルシカ? そんな名前じゃない! それにアレは、元々人間じゃ――」

 ところどころ裏返る声を震わせる彼は、何か言いかけて、しかしその言葉を最後まで聞くことはできなかった。コールドスリープ室の扉が、ぎぎ、と鈍い音を鳴らして、ゆっくりと開いた。硝子のような瞳が、私たちを捉えた。綺麗で儚いなんてとんでもない。それはまさしく、グノーシアともバグとも違う「何か」だった。なのに、あの花畑で見たままの、無垢そのものみたいな笑みを浮かべるから、その不釣り合いさに思わず立ち尽くした。レムナンの声なんて届かなかった。
 ククルシカが、一歩、また一歩と着実にこちらに足を向けた。もちろん私は逃げられるわけもなく、その場に佇んだ。彼女はただ、純粋な少女のように長い睫毛を伏せると――

 世界がゆっくり軋んだ。私は窓の奥、宇宙を彷徨う彼を見た。

top