運命が私を殺しにきている
少女の父は折に触れて、一枚の写真を眺めていた。
映っているのは、若い女性。少女と同じ色の髪以外は、鏡で映したように父親によく似ていた。二人の赤ん坊を腕に抱いたその人は、毎週父親と訪れる教会のステンドグラスに描かれた聖母のようだった。幼いながらにそう思ってしまうほど、女性は美しく、優しそうだった。
「…この子は、お前の姉さんだよ」
ある時、写真の女性について尋ねると、父親はそう教えてくれた。…姉。物心ついた頃から父親と二人で暮らしてきた幼子にとって、もう一人家族がいるというのは奇妙な感覚だった。
「名前は、カヌレ」
名前を聞いても、当然ながらピンとはこない。だけど、なんとなく“知っている”と思った。理由はわからない。
「でも、実はパパ、カヌレのことを全然知らないんだ。…一緒に暮らしたことがないからね」
そう言って父は、写真の中の笑みをそっとなぞる。その眼差しがあまりにも悲しそうで、“一緒に暮らしたことがない”とは一体どういうことなのか、少女は尋ねられなかった。
そんなやり取りをしたのを最後に、父はあまり姉の話をしなくなった。…が、写真を眺めることだけはやめなかった。そんな父を見るうちに、次第に少女も“姉”について尋ねなくなった。幼心に聞いてはいけないと、悟っていたのかもしれない。
もっと“カヌレ”の話を聞いておけばよかったと後悔したのは、たった一人の家族である父が、海で帰らぬ人になってからだった。
*
――夜の墓地を、幼子が歩いている。歳は片手で足りる程だろう。海の香をたっぷりと含んだ風にあおられて、ピンク色の髪が乱れる。視界を遮ろうとするそれを片手で払いのけると、空や海すら霞む青の眼差しが露わになった。今はあまりに幼いが、あと15年もすれば目も覚めるような佳人に成長するだろう。
だが、満月に照らされた十字架の間を、ランタンを揺らして歩く表情は固い。
ようやく、懸命に動かしていた足が止まった。睨むように見つめているのは、一つの十字架。数週間前に加えられたばかりのものだ。彼女の、父親の墓である。父の墓の前にくると、幼子はその場に座り込む。傍らに無造作に置かれたランタンが、がしゃりと無機質な音を立てた。
幼子の父は、娘によく似た美しい男だった。いや、この場合は娘が父親に似たといった方が正しいか。違うのは髪の色だけ。父の髪は、幼児を見下ろす月と同じ白銀。家の外では黒髪の鬘を被っていたけれど、幼子と父の相違点はそれだけ。その他はよく似通っていた。誰が見ても一目で父子だとわかるほどに。
そんな父は、地元の貿易会社に勤めていた。それゆえに、年に何度か仕事の都合で幼子を置いて、仲間と共に船に乗って遠くの海へ出ていく。その間、幼子は年老いた村長夫婦の家で世話になるのが常だった。今回もそう。父親は、半年前にこの島を離れた。2ヶ月ほどで帰ってくるはずだった。だが、2ヶ月後もたらされたのは、父の乗った船が嵐に巻き込まれて沈没し、生存者は一人もいない、という知らせだけ。幼子は天涯孤独の身となったのである。
唯一の肉親を亡くした幼子は、そのまま村長夫婦の家で暮らしていた。このまま彼らの養女となって生きていくのだと、島の誰もが思っていた。だが、そうはならなかった。
ほんの3日程前、幼子の身内――生き別れた母親とその子供達、すなわち幼子にとっては兄弟にあたるらしい――が、こののどかな島を訪れた。そうして幼子の知らぬ間に、彼女は母親の元で暮らすことが決められた。今夜はこの島で過ごす最後の夜で、だからこそこうして父親に会いに来たわけである。
幼子の、声にならぬ声が父親を呼んだ。答える者のいない寂しさが募る。幼子は、昼間のうちに花畑で摘んできた花を添えた。そのまま体の内から込み上げてくる感情を放出するように、後ろへ仰け反って地面に転がった。服や髪に泥がつくのにも気づかずに、幼子とは思えぬほどの敵意と殺意に満ちた目で、冷え冷えと笑う月を睨みつけている。
「弟じゃん!」
突然、幼子が叫んだ。妙にハッキリとした口調である。大声を出したにも関わらず、辺りはやはり静かだ。打ち寄せる波の音以外、何も聞こえてこない。
「妹じゃん!!」
再び、幼子が叫ぶ。今度こそ、村の誰かが異変を感じて飛び出してきそうだが、ここは家々が立ち並ぶ地域からはやや離れた場所。こんな夜中に、好き好んで墓地を訪れる者もいない。
「私長女だったじゃん……」
三度目は、叫びとは言えない小声ではあったが、その声音に滲む苦悩は一体何だろう。自分自身でもそれを言語化できない――5歳なのだから当たり前だ――幼子は、顔を両手で覆って地面を転がるのだった。
*
なーんてモノローグを入れたくなるほど、何もかもが私史上最低最悪の事態が現在進行形で加速してるんだけど、これは最早運命が私を殺しにきていると言ってもいいレベルでは??
土塗れになりながら、幼子こと私――シャーロット・レーヌです、どうぞよろしく――は呆然と空を見上げる。もう全部投げ出してしまいたい。…と思うのが人生二度目ましてな件について。ホント、今すぐここから走って海に飛び込んででも逃げてしまいたいけど、そんなことしようモンなら自分がカナヅチであることも顧みず、海の底まで追いかけてきそうな奴その1がこの島まで迎えに来てるんだよなぁ〜…
お気づきの通り、私には“前世”の記憶がある。シャーロット・カヌレとして生きた20年の記憶が、鮮明に頭の中に残っているのだ。…もっと言えば、それよりも前に、こことは全く異なる世界で生きてきた約30年近い記憶もある。3日前にこの島の港に現れたアホみたいにデカい船と、その上で翻る海賊旗を見て、ズバァァァァァン!!という勢いで全ての記憶が頭を駆け巡ったがゆえに思い出したことだ。束の間と言えど、意識を失ったのも無理はなかろう。精神年齢ババアでも、今の体は5歳児なんだもん…
とにかく、私の中には、アラサー社会人として生きた私・カヌレとして生きていた私・レーヌとして生きている私、の三つの人格(?)があるということになる。…いや、人格ではないか。三つとも“私”であることに変わりない。なんかややこしいけど、私はアラサー社会人であり、カヌレであり、レーヌなのである。…ややこしいな、やっぱり。
いや、まぁ別にそんなことはどうだっていいのだ。私の中に幾人の人生を生きた記憶があろうとなかろうと、頭や心を覗かれない限り大した問題ではない。直近の問題は、レーヌとして生きる今後の人生についてである。圧倒的にそっちに問題がある。寧ろそっちにしかない。
ここで少し自分を落ち着かせようと、“レーヌ”として生きてきたこれまでを振り返ってみる。
物心ついた頃から、私はこの島でパパと二人で暮らしていた。私が生まれた経緯は知らない。正直、考えたくない。
いや、だってさ〜…カヌレとレーヌの父親が同じなのは顔は見ればすぐわかることだ。そもそもパパはどういうわけかカヌレの写真を大切に持っていて、「これはお前の姉さんだよ」と言っていたし、髪の毛の色的にもビッグ・マムの子供であることも疑いない。“前世”の私と、今の私が全く同じ血を分けた姉妹であるのは明白だ。
とすると、その理由が気になってくる。
記憶を取り戻した後、私は今が何年なのかを確認した。ちょうど15年前にカヌレは死んでいて、レーヌは10年の時を経て同じ両親の元に生まれてきたことなる。稀少なヴィーラ族のハーフを失ったママが、再びヴィーラ族の男性を捕まえて子供を作ったということだろうか。それが、たまたま私のパパだった…?それとも、カヌレの父親でないといけない理由があった、とか……?
「えっっっっぐ」
それ以外の感想が出てこない。だから、考えることを止めた。藪を突いて蛇どころか、龍が出てくるようなものだ。好奇心は猫をも殺すと言うし、見るからにヤバそうな案件には深く立ち入らない方がいい。それはこれまでの通算50年を超える人生から得た教訓である。藪を突いてカイドウ出てきたら笑い話で済まないからな。
とにかく、どういう訳か同じ両親のもとに生まれた私は、パパに連れられてこの島に来た。当然ママや兄弟がそれを許すわけがないから、彼らを振り切って逃げてきたに違いない。恐らく、視線で人を操るヴィーラ族の力を使ったのだろう。
純血のヴィーラ族であるパパが“能力”を惜しげもなく使うところを、私は何度か目にしている。私を5歳児と思っていた――それが普通だけど――パパは、子供だからわからないだろうと思って見せていただろうし、今思えばちょくちょくその力について私に話していた。いずれは私にも使い方を教えるつもりだったのだろう。確かに当時の私はよくわかっていなかったが、今思えば“能力”についてだいたいのことはわかる。
ヴィーラ族は、視線一つで相手を従わせる。それは、ある種の“催眠”に近い。条件は、相手が自分の魅力に惑わされていること。だから万人に通用することはなく、家族等の身近な相手には通用しない。しかし、シャーロット家からすればパパは他人で、しかもパパは純血。例えママでも、短時間ならば欺くことができたのかもしれない。万国から出た後も、商人や海軍を利用して、安全に“西の海”まで逃げてきたのだろう。
私の推測にしか過ぎない部分もあるけれど、概ね正しいと思う。パパがそこまでした理由はわからないけれど、カヌレのことを語る様子から察するに、パパは生き別れた娘のことをずっと案じてくれていた。
長女として生きてきた中で、毎年入れ替わるママの夫達を見てきた。私のパパも同じように、カヌレが生まれた35年前に捨てられたのだろう。それでもずっと娘を気にかけていて、もしかすると生き別れたことも後悔していたかもしれない。だから、生まれた直後の私をママから奪った。…そう考えて、不思議はないかもしれない。
しかし、所有物である娘を奪われたママ、そして子供達は怒り狂った。パパはビッグ・マム海賊団を敵に回したのだ。その上で、5年間も逃げ続けた。そうまでしてでも私を守ってくれたのは、私への愛情からだ。
私はようやく土にまみれた体を起こして、パパのお墓の前に座り込む。村の人達が立ててくれた墓石には、素晴らしい父親として生きた人生を称える言葉が刻まれている。大袈裟でもなんでもない、全て真実だった。
カヌレとして生きていた頃、“父親”について考えたことはほとんどなかった。そんな私のことを、パパは愛してくれていた。一緒に暮らせなかったこと、死んでしまったことを悔やむほど、思っていてくれた。ママのような打算でも、弟妹を含めた多くの人が抱く、ヴィーラ族への執着心から発するものでもない。ただ純粋にカヌレを愛してくれた。それは私に対しても同じ。
パパとの暮らしは、決して裕福ではなかった。寧ろ貧しいと言っていい。カヌレが日々食べていた豪華な食事も甘いお菓子もなくて、着飾る美しいドレスも装飾品もない。家だって粗末で、夏は暑いし冬は寒い。…でも、幸せだった。
飾り気はないけれど、ただひたすらに温かかった。今思えば、それは恋人と過ごした時間に似ていた。殺伐とした海賊の世界は、やはりのほほんと現代を生きてきた私には苦しいのだ。
だけど、そんな暮らしが今また目の前に迫っている。どうやって私達の足取りを発見したのか不明だが、3日前、この島に懐かしのクイーン・ママ・シャンテ号と、それに乗った(元)弟が現れた。そして私の知らぬ間に、私を世話してくれていた村長夫妻と話を付けて、スムーズに私を引き取ることができるように手を回したのだ。私の現在の年齢を差し引いても、逃げ場はなかった。仮に私が大人だったとしても逃げられなかっただろう。
…ホント、「肉親がいるのなら」とか「お父さんのお墓のことは任せてね」とか口々に、心底からの親切心で言った村人達に言いたい。「相手海賊なんだけど!?」と。どいつもこいつもあの海賊旗見てねぇのかよ。…まぁみんな、兄だと名乗った奴の口が上手くて丸め込まれたのだと思う。一番長く同じ時間を過ごした弟は、お茶会ではゲストの迎えを任されるほど話術が巧みだから。
…そんな弟も、亡き姉に瓜二つ、かつ5年間生き別れていた妹との再会時にはさすがに言葉を詰まらせていたが。記憶を取り戻したばかりで、衝撃に次ぐ衝撃で完全に思考が停止して頭がパーになっている私も無言だったが。それでも、そんな私の様子に気がついて、何とか口を開いた弟はシンプルにすごいと思う。私を見下ろす目に浮かぶ色というか、感情がえげつなすぎて、何言われたか全然覚えてないけどな。「おかえり」とかだったと思うけど、その一言に込められた色んな感情に気づいて白目剥きそうになったのは私のせいじゃないと思うんだ。
「色々言いたいことあるけど、設定がえぐいんだって……」
心の底からそう思う。カヌレの人生も大概ハードモードだったけど、もうレーヌの人生は始まりからクライマックスなんよ…地雷踏み抜いてんだ…寧ろ全身に灯油塗ってプロメテウスとハグしてんだよ…ただでさえヤバいのに、パパが私を連れ出したおかげでヤバさが5倍くらいになってんだ…
この事態を一体どうすればいいのか。頭を悩ませたところで正解どころか選択肢も浮かばないし、浮かんだたとしてどれが最適かなんてわからない。ただ一つだけハッキリしているのは、運命が私を殺しにかかっている、という至極単純で残酷な真実だけだった。
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