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『――追い詰められた魔女は死の間際、魔法使いに呪いをかけました。それは、自分を裏切った魔法使いへの罰でした。魔女が死んだ後もその呪いが解けることはなく、魔法使いは、“英雄”の名誉と引き換えに、永遠に解けることのない呪いを受けて、未来永劫終わりのない苦しみに苛まれ続けるのでした』
パタリと、祖母が絵本を閉じた。祖母の座るロッキングチェアの足元で、膝を崩して座っていた私は、『もう一回よんで!』とせがむ。
『華耶ちゃんは、このお話が好きね』
『だいすき!…おばあさまは?』
『私は……あんまり好きじゃないかなぁ…』
『えー…どうして?』
大好きな祖母と、意見が割れてしまった。それが寂しくて、私は祖母に理由を尋ねた。内容によっては『そんなことないよ!』と、大好きな絵本を精一杯PRするつもりだったのだ。
『だって、ハッピーエンドじゃないもの。主人公の呪いは解けないし、魔女も殺されてしまったし、誰も幸せにならないでしょう?』
祖母の言うことは尤もで、返す言葉を失くした私はどう反論するべきか頭を悩ませた。
そう、この絵本の登場人物は幸せになれない。闇の魔女を退治して平穏を取り戻したのに、魔法使いにかけられた呪いは解けなかった。だが、彼が呪いを受けたのには、それなりに正当な理由があるのだ。だから私は、この魔法使いをただの悲劇のヒーローと見なすことはできなかった。
『でも、このまほうつかいはわるい人だよ?』
『それはそうねぇ……』
闇の魔女は、魔法使いを愛していた。二人は恋人同士だったのだ。それなのに、魔法使いは魔女を裏切った。魔女が“純血”でないから。
『確かに魔法使いも悪いよねぇ。でも、魔女だって魔法使いの家族を殺した悪い魔女だよ?』
『…うーん…』
確かにそうだ。魔法使いに裏切られた魔女は激怒し、魔法使いの家族を皆殺しにした。多くの人に災いをもたらした。だから退治されたのだ。…確かに、どちらが“悪”なのだろう。
大勢の人を殺した魔女か、愚かな差別意識故に愛を裏切った魔法使いか。
散々悩み抜いた末、私は自分の答えを口にした。確かに魔女は悪い。どんな正当な理由があっても、人を殺すことは間違っている。そこは変わらない。でも、中には人をそんな凶行に走らせてしまうだけのきっかけがある。そうすることでしか慰められない感情を生み出した元凶があると思うのだ。
『わるいのは、まほうつかいのほうだよ。まほうつかいがいじわるしなきゃ、まじょはやさしいままだったもの』
『…そうだね』
私のPR作戦が功を奏したのか、祖母は私が懸命に話す言葉に耳を傾け、同調してくれた。それに安心して、私はまた別の疑問を投げ掛けた。
『まほうつかいは、まじょのことがすきじゃなかったのかなぁ?』
『……なんでそう思うの?』
『だって、すきならいつもいっしょにいるでしょう?』
お父さまとお母さま、おじいさまとおばあさまみたいに!
答えを待つ私を、祖母が見下ろす。縁側を背にしているその顔は、庭から差し込んでくる夕陽のせいでよく見えない。祖母は一体、どんな顔をしていたのだろう。
『どうだろうねぇ…』
口調はいつも通り優しかったけれど、その声音が震えているように思ったのは気のせいだったのだろうか。
『みんな、幸せになれたらよかったのにねぇ…』
『……?』
祖母の言う意味が難しくて、首を傾げる。肩で揺れた私の髪を、祖母の繊細な指が掬い上げた。
『私がこの絵本をあまり好きじゃないのはね、魔法使いが自分勝手だからよ』
『じぶんかって…?』
『そう。勝手に近づいてきて優しくして、勝手に離れていって…魔女の気持ちなんて一切気にしないで、自分勝手でしょう。挙句に永遠の呪いまで受けて…』
祖母はそう言った。が、私にはよくわからなかった。遠くを見つめていた祖母は、私が自分の話についてこられていないのに気づくと、すぐにいつものように優しく笑った。
『でも、華耶ちゃんに読み聞かせするのは大好きだから、何回でも読んであげる』
『さぁ、もう一回読みましょうか』と言われ、私は大きく頷いた。祖母がこの絵本を好きじゃないのは残念だけど、読み聞かせしてくれると言うのだから問題ないじゃないか。
『昔々あるところに、若い純血の魔法使いが住んでいました…』
幼い私は再び始まった物語に耳を傾けるばかりで、祖母から感じた違和感のことなど気にも留めていなかった。
*
(…夢、か………)
随分と懐かしい光景を夢に見た。祖母の部屋で、絵本を読んでもらっていた時の記憶。文字が読めるようになってからも、祖母にはよく絵本を読み聞かせてもらっていた。私が大好きだったあの話は、日本の魔法界ではそこそこ有名な童話だ。
絵本に出てくる純血の魔法使いは、藤宮家の初代当主。そして混血の闇の魔女は、九尾の妖狐。…この物語は、藤宮家に纏わる伝説を下地に、世界中の魔法界に根強く蔓延る純血思想を戒める為に創作された物語だ。 藤宮家の伝説をオマージュしているところをみるに、私達の同族、もしくはそれに近しい人物が創作した物語なのだろうが、あいにく作者は不明だ。いつの時代から伝えられている物語なのかもわからない。だが、純血思想の愚かさを訴える物語は、日本国内ではそれなりに広く読み継がれている。無論、純血至上主義者には馬の耳に念仏だが。
しかし、私にとっては今でもお気に入りの話の一つである。主人公の魔法使いのことは好きにはなれない――自分の先祖がモデルではあるが――ものの、ハッピーエンドで終わらないところも面白い。簡単に要約すればこうだ。
純血主義者の魔法使いは、マグル生まれであること、ただそれだけを理由に恋人を手酷く裏切った。それに激怒した魔女は、魔法使いの家族を殺害し、一時は“魔法”によって男を自分のモノにした。しかし、やがて正気に戻った魔法使いと、かねてから魔女を追い掛けていた魔法使い――今で言うところの“闇祓い”のような者である――の二人によって討たれてしまう。その死の間際に、魔女は魔法使いを呪った。
純血思想の為に愛を捨て、それゆえに家族を失い、一時は愛したはずの魔女をも失った魔法使い。悲劇の英雄は結局、自分が蒔いた種から芽吹いた呪いに生涯苦しみ続けるのだ。実に自業自得、因果応報を極めた物語である。
絵本の中身を思い出していると、ここ1年で何度もお世話になった顔が視界を横切った。マダム・ポンフリーだ。目が合ってから、遅れて自分の状況を把握する。ここは医務室、私はベッドに寝かされているようだ。最後の記憶は、ハリーがクィレル先生に立ち向かっていった辺りで途絶えている。あれから、どうなったのだろう。
しかし、マダム・ポンフリーは私の質問には何も答えてくれなかった。教えてくれたのは、私とハリーを運んでくれたのはダンブルドア先生であること、隣のベッドにハリーが眠っていること、そしてあれから二日経っているということだけだ。体感では、普段の睡眠時間とそう変わらない時間しか経っていない気がするのに。
マダム・ポンフリーは、運んできたゴブレットをサイドテーブルに置くと、さっさといなくなった。テーブルには、花瓶に生けられた愛らしい野花とお菓子の山が築かれていた。ハーマイオニーたちがお見舞いに来てくれたのだろう。それを思うと、つい48時間前に“例のあの人”と対峙したとは思えないほど温かいに気持ちになった。
お世辞にも美味しいとは言えない液体で満たされたゴブレットを傾けていると、マダム・ポンフリーがダンブルドア先生と一緒に戻ってきた。「くれぐれも安静にするように」という鋭く言って校医が去ると、先生は徐に口を開いた。
「気分はどうかね?」
「丸々二日間眠ったので、頭も体もスッキリしています。薬は…不味いですけど……」
私の返答を聞くと、ダンブルドア先生は朗らかに笑った。私が悪戦苦闘して薬を飲み干すまでの間、先生は私とハリーが医務室に運ばれた成り行きを話してくれた。
曰く、ロンドンからホグワーツに戻ったところでロンとハーマイオニーに鉢合わせ、すぐさま状況を把握して四階のあの部屋に向かったそうだ。そこで倒れている私たちを発見したという。私が気絶していたのは、恐らく薬の副作用的なものだろうということだ。
私がようやくゴブレットを空にすると、今度は先生から質問があった。「ミス・グレンジャー、ミスター・ロナルド・ウィーズリーから、大体の話は聞いたよ」と前置きをしてから、先生は私の身に起きた出来事を尋ねてきた。私は余すことなく全てを話した。初めてクィレル先生に、家族について質問されたことから、あの場で殺されそうになったこと、ハリーのおかげで生き残ることができた、ということまで。
「クィレル先生が私を連れて行こうとしたのは、“あの人”が私を求めているからだと言っていました。私がフジミヤ家の人間だから…」
「“ヴォルデモート”じゃよ、カヤ。ただの名前を恐れるでない」
「…はい……すみません…」
ダンブルドア先生は何てことのないよう――“例のあの人”が唯一恐れた魔法使いなのだから、彼に対する恐怖は感じていないのだろう――に呼ぶが、私はどうしても馴れない。ただの名前を恐れるのはナンセンスだと理解していても、一度見えてしまったからなのか、余計に恐怖心が増すのだ。
「…クィレル先生曰く、…っ、…ヴォルデモート、卿は、フジミヤ家の人間に用があると…でも、私に目をつけた最大の要因は祖父にあるそうです」
でも、祖父は入り婿なのでフジミヤ家と血の繋がりはありません。
「もちろん、祖父の実家も純血なので、先祖を辿ればどこかでフジミヤ家と繋がっている可能性もなくはないですが…正直、私に目をつけた理由はさっぱり…」
そもそも“純血”を自称する家柄はそう多くない。ゆえに、多くの純血一族は血縁関係を結び、遠縁の関係になっていることも少なくない。だから、祖父の実家(純血)と藤宮家の間にも血縁関係があってもおかしくはないが、そんな話は聞いたことがない。
いずれにせよ、ヴォルデモート卿が私の誘拐を命じた訳はわからないのだ。“妖狐の呪い”に興味があることは確かなのだろうが、こんな伝説を知って彼にどんな得があるのだろうか。
私は、そう一息に語った。先生は黙って聞いていた。その比類なき頭脳で何を考えているのかは、私のような未熟で平凡な人間には推し量ることすらできない。多分、先生と同じだけの年数を生きたとしてもわからないだろう。いいや、そもそも私はダンブルドア先生の年齢を知らない。一体いくつなのだろうか。祖母達が学生時代にはすでにホグワーツの教師だったというから、祖母達の年齢+40歳くらい…?
「話してくれてありがとう」
「いえ…それよりも、先生はどう思われます?…ヴォルデモート卿が私を攫うように命じた理由…」
先生の青い目が瞬く。「そうじゃの…」と呟いて、しばし何事かを思案した後、静かに首を横に振った。その反応に、私は戸惑いを隠せなかった。先生に尋ねればきっと答えを得られると、心のどこかで思っていただけに、その反応は少し残念だ。
そんな私の心の内を読んだように、先生は小さく笑う。なんだか気まずくなって、私は目を逸らした。
「一つ確実なことは、ヴォルデモートは昔から…それこそ、フジミヤ四兄弟がホグワーツ在学中から、フジミヤ家に伝わる“妖狐の呪い”に強い興味を示しておった、ということじゃ」
「!…そんなに昔から……でも、一体どこでそれを?…そもそも、先生は誰からその話を?」
「四兄弟のご両親じゃよ。古い…ちょっとした知り合いでな」
「!!」
曽祖父と曾祖母…私は会ったことはない。曽祖父は私が生まれる前に亡くなったし、曾祖母は赤ん坊の頃に亡くなったから、無論覚えていない。そんなに昔から…果たして、ダンブルドア先生は何歳なのか。
「それについては、詳しい話はいずれまた…」
当然その詳細を知りたいわけだが、先生は言葉通り教えるつもりはなさそうだ。
「…それなら、一つだけ質問してもいですか?」
「わしが答えられる範囲でよければ、もちろん」
意外なことに、先生はすんなりと了承してくれた。断られると思っていただけに、それには寧ろ私の方が驚いた。が、ありがたく質問させてもらうことにした。ずっと疑問に思っていたことに、たった今ヒントを示されたような気がしたからだ。
「先生が曽祖父と交流があったことと、祖母達がホグワーツに進学した理由は関係ありますか?」
それは私だけでなく、一族の他の子供達全員が疑問に思っていて、でも誰にも教えてもらえなかったことだ。
日本人の魔法族は、マホウトコロに通うものだ。祖母以前の世代は皆そうだった。しかし、祖母達四人だけはホグワーツに通った。そして父世代の大人は全員マホウトコロ。その子供世代は、私だけがホグワーツ。
本家とか分家の区別は、本家の生まれである父がホグワーツ生でないことから考えて関係ないだろう。とは言え、そうすると私達がホグワーツに進学した理由はわからなくなる。つまり詰みだ。大人達が誰も教えてくれない以上はお手上げだと思っていたけれど、たった今先生の返答を聞いて閃いた。先生と曽祖父達との繋がりは不明だけど、答えがあるとすればここにしかないと思った。きっとその先に、ヴォルデモート卿のことも関わってくるのかもしれない。
「……君は、おばあさんに似て聡明な子じゃな」
「…では、そういうことなんですか?」
「関係がないとは言わぬ。付け加えるならば、ヴォルデモートのことはまた少し違う話ではあるが」
そう言って先生は口を閉じた。教えてくれるのはここまでらしい。全部明かしてくれればいいのにと思うが、きっと何か事情があるのだろう。ダンブルドア先生が、無意味に真実を隠したりはしないだろう。そんなことをする人ならば、色々な意味で癖の強い大叔父達がダンブルドア先生へ敬意を示したりしない。
「いずれ、君は自分の手で謎を解き明かすことになるじゃろう。そしてそれは、おばあさんの願いでもある」
「おばあ様の…」
「そこで、一つ約束してほしいことがあるのじゃ」
「?」
一度言葉を区切って、ダンブルドア先生は私を見つめる。
「この先どんな真実を知ることになっても、これまで自分が信じ続けてきたものを信じる、と」
言葉の意味はよくわからない。誰しも時には、今までの自分に自信を失くすこともあるはずだ。が、先生はそれをするな、と言う。きっとそれが、祖母が望んだことなのだろう。それならば、返事は決まっている。
「もちろんです」
先生は優しく微笑んだ。そして体を休めるように言うと、「おやすみ」と医務室から去って行った。入れ替わる様に戻ってきたマダム・ポンフリーが、「話が終わったなら、早く休みなさい」とせっついてきて、ベッドを取り囲むカーテンを閉めた。その中で一人、ダンブルドア先生の言葉を反芻してみる。
この先、私の前に突きつけられる真実は何だろうか。おそらく、ダンブルドア先生と曽祖父達との繋がり、四兄弟や私達がホグワーツに進学したこと、ヴォルデモート卿が“妖狐の呪い”に関心を寄せていること、今回の事件…その全てなのだろう。それを知った時、私はそれまでの自分を信じられなくなることがあるのかもしれない。自分自身が揺らぐこともあるだろう。
でも、たった今約束した。何がっても自分を信じると。祖母の願いを踏まえた上で先生が提案した約束なら、それは祖母と交わした約束と同義だ。
『もちろん信じるわ、おばあ様』
小さな声で呟く。声に出して、天国の祖母にも届くように。自分に言い聞かせるように。
カーテンの向こうから、「早く寝なさい!」という怒鳴り声。「すみません」と答えて、私はベッドに横になった。謎が増えただけで、ヴォルデモート卿のことも解決していないけれど、どうしてか少しだけ気が楽になった気がする。これも、祖母のことを聞いたからかもしれない。やはり、祖母は亡くなっても私の道しるべなのだと思うと心強い。そう思いながら目を閉じた。