801.5話 親の因果が子に報い
新世界、万国はホールケーキアイランド。ホールケーキを模した巨大な城の一室には、この城の主の子供達が詰めかけている。無論、全員ではない。三将星と称される三人のうち、カタクリとスムージーは不在だ。集まっている最年少は、24男のダクワーズ。どういう基準で呼ばれたのか、クラッカーにはまだわからない。共に召集に応じた妹二人もだ。いいや、この場にいる誰もその理由を知らずにいた。
やがて、最年長であるペロスペローが姿を現した。何気なく長兄の顔を見たクラッカーは目を見張った。いつも通り、人を食ったような笑みを浮かべているのだろうと思って見た兄の顔が、複雑な色に染まっていたからだ。ますます訳がわからない。
「急な召集に応じてもらってすまない。兄弟達よ」
その声にはいつもの余裕が感じられない。誰もがそれを察したから、余計に会議室は静まり返る。
「ママの命令だ。…と言うより、タマゴとペコムズの連絡を受けたことによって下された命令、だ。ペロリン♪」
「タマゴとペコムズ?」
モンドールが鸚鵡のように、二人の名前を繰り返した。
ビッグ・マム海賊団の戦闘員であるタマゴ男爵とペコムズは、この場にいる全員にとって義弟にあたるカポネ・ベッジと共に、パンクハザードにて敗れたシーザー・クラウンを回収するため、ドレスローザに向かったと聞く。
パンクハザードの陥落は、“麦わらのルフィ”と王下七武海トラファルガー・ローの海賊同盟が、四皇百獣のカイドウに喧嘩を売ったことを意味していた。二人はシーザーを倒すことで、“人造悪魔の実”の取引を潰そうとしたのだろう。そう考えれば、ルーキー達の行き先は明白だった。シーザーとカイドウを繋ぐ仲買人ドンキホーテ・ドフラミンゴを倒しに、ドフラミンゴの治めるドレスローザに向かうはず。
事実、ドフラミンゴは麦わらとトラファルガーの前に敗れ去っている。シーザーの所在は不明だが、麦わら達に囚われていると考えるのが妥当だ。ゆえにタマゴ男爵達は、シーザーを確保するためにドレスローザに出向いているのだ。しかし、どうにも一度は麦わら達に逃げられたらしい。その後のことは知らないが、ペロスペローの話とはまさにそのことだろうか。
「まぁ、私の説明を聞くより、まずはこれを見てくれ。タマゴがママに送ってきたものだ。ペロリン♪」
そう言って、ペロスペローが円テーブルの真ん中に置いたのは、一枚の写真だった。少し見切れているが、映っているのは若い女だ。マスカルポーネやジョスカルポーネと同い年くらいか。しかしその顔を見た瞬間、誰もが同時に息を呑む。
風に揺れるピンクの巻き髪。遠くを見つめる深青の瞳。その青に、無性に惹き付けられる。こちらを見ろと、脳内に直接語りかけられるような。理性をすり抜けて本能に訴えかけるような。強制的に視線が釘付けになる感覚。これには覚えがある。もう30年は昔のことだけど。
…そうだ。あの人が弟妹を叱るとき、言うことを利かせるために無意識に使っていたあれに似ているのだ。いいや、寧ろほとんど同じと言っていい。忘れるわけがない。こんなことができるのは、
「…ヴィーラ族……」
誰が発した声なのかを判別するより先に、ペロスペローが頷いた。クラッカーは写真の魔力から逃れるように、それを視界から追い出した。頭を軽く左右に振れば、少しは気分もマシになった気がした。
「その通りだ。だが、ただのヴィーラの女でないことは、誰の目にも明らかだろう?」
ずしりと、部屋の中の空気が重みを増した。誰もが思っていただろうに、敢えて誰も口にしなかったことを、ペロスペローは容易く口にしてみせた。一度言われてしまえば、もう見て見ぬふりはできなかった。頭の中に浮かんできたモノと、正面から向き合うしかない。
女の顔を見た瞬間から、誰の頭にも同じ人物が浮かんだことだろう。美しくて、優しくて、賢くて、弟妹達全員の憧れ。まさに、“シャーロット家の誇り”。その最後の姿が、脳内を駆け巡っている。それに瓜二つということは、考えられる可能性は一つしかない。……だが、本当にそうなのだろうか。
「…で、っ、…でも、ペロス兄さん」
声を上げたのは、クラッカーの対面に座っていたアマンド。姉の声は、これまで聞いたことがないくらい震えていた。
「…まだ、
「……確かにそうだ。写真だけじゃ、何とも言えん。正面から撮された写真でもねェし、画像も荒い。判断のしようがねェ」
「兄貴の言う通りだ、ペロス兄。コイツがヴィーラの血を引いてるのは目を見りゃわかるが……他人の空似の可能性も十分あるだろ」
アマンドを援護するように、オーブンとモンドールが重ねて言った。ペロスペローはそれを黙って聞いていた。誰もが核心を避けているのは、その名を口にすることさえ長年タブーだったからだ。
「お前達の言うことは尤もだ。ママにこの写真を見せられたときは、私も同じことを言ったさ。世界には、同じ顔したヤツが三人いるとも言うからな。ペロリン♪」
因みに、最初はママも同じことを考えたようだ。
「何せママが“それはあり得ないと判断したのは、31年前のあのとき、他でもねェおれ達が
「そうだよな?」とペロスペローは、歳の近い兄弟…というより、あの時あの場所に共に赴いた兄弟に目を向けた。長兄の視線を受けた者は皆、何とも言えない微妙な顔をしていた。
クラッカーが全てを知ったのは、17歳になってから。ビスケット大臣に任命され、島を一つ任されるようになってからだ。妹二人と共に、長兄からある秘密を打ち明けられた。
それは、かつて家族を裏切り、恋人と駆け落ちした果てに心中した長姉が生きているということ。ペロスペロー達の目の前で崖から海へ身を投げた長姉カヌレが、同じく生き延びた恋人と共に、今もこの海のどこかを逃げているというものだ。そしてさらに驚くべきことは、この事実を母は知らないと言うことだった。
兄姉達が抱える秘密を聞かされたクラッカー達は激しく動揺した。ようやく姉の裏切りと死を受け止められるようになったカスタードとエンゼルは、様々に込み上げてくる思い故に涙を流した。そんな妹達を庇うように、平常心を装ったクラッカーは兄に問うた。なぜ今になって自分達に打ち明けたのか、なぜ母に明かさないのかと。
『そんなもん、てめェの頭で考えろ。わざわざ親切に教えてやってんだからな』
ペロスペローはそう言って突き放したけれど、その言葉の意味は考えるまでもなくすぐにわかった。
母は裏切り者を決して生かしてはおかない。カヌレの生存を知れば、なんとしてでも殺そうとするだろう。その役目を負わされるのは、他でもないクラッカー達だ。母の命令には逆らえない。けれど、その命令を実行することもできない。だから真実を母に隠した。ひとまず、カヌレを母から守ったのだ。
しかし、そうは言ってもこのまま放置していては、いずれは母にばれてしまう。そうななる前に姉を捕まえる。捕まえて、「どこから秘密が漏れるかわからないから」というのを口実に他の兄弟からも隠して、自分だけの世界に匿う。そうすれば手に入る。弟妹の誰もが一度は願い、でも決して叶わないと諦めた、“自分だけを見てくれる姉”が。
それに気づいた瞬間の、背筋を駆け抜け脳天を貫いた衝撃は如何ほどのものだったか。言葉では言い表せない。どんなお菓子よりも甘い甘い誘惑だ。抗う術などどこにもなかった。あったとしても、抗おうとする者がいるわけがない。少なくとも、クラッカーは抗わない。何故なら、ずっと欲しかったから。
ペロスペローが明かしたのは、当時はまだ幼かった弟妹へのせめてもの情けだ。
日頃は何より弟妹を思いやる兄や姉と言えど、カヌレを譲るつもりはさらさらないはず。だけど、やはり彼・彼女らは“兄”であり“姉”であるから、弟妹を押し退けることは憚られる。故に情報を与えはするが、手助けは一切しないということだ。走り出すタイミングは違えど、同じ場所からスタートできるように。
だからクラッカーも、カスタードもエンゼルも、その日から探し続けている。大好きな人を、自分だけのモノにするために。
「タマゴは、あの人の関係者ではないかと疑っていたらしい。…まぁ、そうでなくてもヴィーラ族の女である以上、ママに知らせて当然だがな」
「関係者?」
「あぁ。ハーフやクォーターであれば、子供はヴィーラの親に似るというからな。現にあの人も父親に瓜二つだった」
…確かに、その線もなくはない。カヌレの父親が、別の人間との間に作った子なら、容姿がカヌレにそっくりでもおかしくはない。
「ペロリン♪…だが、仮にそうだとすると、この髪は説明できないだろう?」
「それもそうだが、別にそんなに珍しい色って訳でもねェだろ。世界中探せば、腐るほどいる」
「まさに、私がママに言った通りだ」
ダイフクの指摘に、ペロスペローは大仰に頷いて見せた。クラッカーは眉を寄せる。話の着地点がどこなのかまだ掴めない。
ペロスペローの口振りからして、兄も母も当初は、今のクラッカー達と同じ意見だったようだ。でも、今は違うのだと言う。そう確信する何かがあってこその判断だと思うが、それが何なのか検討もつかない。
「そもそも、これはいつ、どこで撮られた写真なんだい?」
それまで黙っていたコンポートが口を開いた。
「いい質問だな。……これは、先日パンクハザードで行われた公開実験の写真だ。映像を見ていたタマゴが、気を利かせて写真に撮ってくれたものだ」
「パンクハザード?……なら、この子はシーザー・クラウンの部下か何か?」
「いいや、違う」
そのとき不意に、靄がかかっていた頭の中が晴れた。
タマゴ男爵が送ってきた、パンクハザードでの公開実験映像を切り取ったこの写真。当然、これはシーザーが倒される前に行われた実験の一幕だ。この時パンクハザードにいたのは、シーザーや彼の部下だけでないと、昨今の情勢を鑑みればわかる。シーザーを討った二人のルーキーとその仲間達がいたはずだ。すなわち、この女の正体は。
「海賊、か……?」
クラッカーの小さな呟きを、ペロスペローは聞き逃さなかった。
「その通り。コイツは、“麦わらの一味”の一人。つまり、おれ達と同業者だ」
「!!……ならば、余計にあり得ないわ。姉さんが、
アマンドの悲痛な声が満ちた。まだ誰もはっきりと口に出さなかったことを吐き出して、姉は心を落ち着けるように水を飲んだ。
カヌレに瓜二つの女。カヌレの生存を知っている兄弟達なら、“カヌレの娘”である可能性が一番に思いつく。しかし、確証には至らない。カヌレが海賊稼業を嫌っていた──かどうかはわからないが、好いていなかったことは確実だ──ことは皆知っている。最強の女海賊シャーロット・リンリンの長女としては相応しくないものの、心優しく荒事を嫌うカヌレらしいと言えばそうだから、“海賊稼業に嫌気が差していたから駆け落ちした”というのは、兄弟達の共通認識だった。
だが、もしこの女がカヌレの娘なのだとしたら、そもそもの前提が覆る。姉が本当に海賊を嫌っているのなら、娘が海賊になることを許す訳がない。コイツが海賊である以上、姉はそれを許可しているということだ。つまり、海賊が嫌いというわけではないということ。では、なぜ家族を捨てたのか。“海賊稼業に嫌気が差した”のではないなら、何に嫌気が差したのか。……まさか、“家族に嫌気が差した”などと、ふざけたことを言うつもりか。
「お前の気持ちもわかる。…私も同じ気持ちだ。ペロリン♪…全く、どこまでも憎らしい人だ」
あぁ…この場にいる者も、ここにいないカタクリとスムージーもきっとそう。世界で一番カヌレを憎んで、それ以上にカヌレを愛している。何年経とうともだ。
「だが、それを裏付けるモノが見つかったんだ。今日発行されたモノだ。これを見たママも私も、考えを改めざるを得なくなった」
さらに、ペロスペローが新たに懐から取り出したのは手配書だ。
「お前達もこれを見れば、認めざるを得なくなるだろう」
先ほどの写真の横に並べられた手配書。覗き込むまでもなく飛び込んできたのは、既視感のある柔らかな笑み。……姉が浮かべていたモノだ。優しくて、温かくて、子供の頃から大好きだった。何度となく向けられてきたし、今もちゃんと覚えている。最後に鏡越しに見た。見間違ったりしない。これが欲しくてずっと探しているのだから。…これは、間違いなく──
「コイツはカヌレ姉の娘だろう。まず間違いなくな」
コンポートが、アマンドが、ブリュレが涙ぐむ。つられて他の姉妹達が泣き濡れる傍ら、クラッカーは半ば呆然としたまま、食い入るように手配書を見つめていた。長兄の話は続いていく。
「まぁ、他人の空似だとしても、コイツがヴィーラ族のハーフ、ないしクォーターなのは確かだ。純血のヴィーラが手に入らない以上…そしてカヌレ姉がいない以上、ママはこの女で代用するつもりだ。ペロリン♪」
「…なら、ママの命令はこの子を捕まえること?」
涙を呑んだエンゼルが尋ねる。誰もがペロスペローの言葉を待っていた。どんな答えが返ってくれば、この言いようのない気持ちは落ち着くのだろうか。
「半分は正解だ。だが、別に私達に下された命令じゃない。この娘を連れてくるのは、タマゴとペコムズの仕事だ」
「…?」
「これも同じく、今朝わかったことだが…プリンの結婚相手となるヴィンスモーク家の三男も、“麦わらの一味”にいるそうだ」
と言うことは、奇しくもビッグ・マム海賊団が求めているシーザー・クラウン、ヴィンスモーク家の三男、トーファという名のヴィーラの女、の三者は麦わらの一味の手にあるということか。
「奴らは「ゾウ」に逃げたらしいが、ペコムズに任せておけば問題はない。シーザーにはママから逃げる理由はないし、あとの二人は逃げたくても逃げられねェさ」
ビッグ・マムの茶会には、地獄の鬼も顔を出す。招待されれば断ることなどできやしない。断れば、己の大切な存在が死ぬだけだ。その過程で、トーファの出自も明らかになるだろう。
「ママが私に、お前達を召集するよう言ったのは、間もなく“私達の可愛い姪っ子かもしれない女”がやって来るから、
姪かもしれない女…確かにそうだ。この“トーファ”という女が、カヌレの娘かどうか確かなことはわからない。しかし、トーファを調べていけば、この女の素性も明らかになるだろう。母親が誰なのか、どこに住んでいるのかもきっとわかる。
しかし、母にとっては正直どちらでもいいのだと思う。トーファが、希少なヴィーラの血を引いていることは確実だから、手に入ればそれでいいはず。
「話はそれだけだ。カタクリとスムージーには私から改めて話しておくが…楽しみにしていようじゃないか、兄弟達」
ペロスペローは両手を広げた。トーファの手配書を見つめる瞳に踊るのは、カヌレが今も生きていることへの歓喜なのか、家族以外の者と幸せになったことへの憤怒なのか。
「どちらであっても、もうすぐ会えるぜ♪おれ達を裏切った時分の姉さんにそっくりな、この可愛い、“魅惑のトーファ”に……!!」
言い終わるなり、どこからともなく現れたキャンディでできた小刀がトーファの手配書に突き立てられた。
それが合図であったかのように、その場はお開きとなった。兄弟達が続々と部屋を去り、エンゼルとカスタードを先に行かせたクラッカーは、小刀によってテーブルに縫い止められた手配書へ、もう一度目を向けた。
見れば見るほどよく似ている。兄弟喧嘩をしたとき、母の怒りに触れてしまったとき、戦闘の中で怪我を負ったとき…柔らかな手で頬を撫でて、優しく微笑んでくれた姉にそっくりだ。あれを、もう一度目にすることができるのか。家族を裏切って、赤の他人を選んだあの日の姉に。もう一度、姉と同じこの青の瞳に見えることができるのか。
兄は、母はトーファを代用品にしようとしていると言った。本物のヴィーラは手に入らないから、ハーフなりクォーターなりで我慢しようとしていると。血縁であれば更にいあが、そうでなくてもこの娘はもう母のモノだ。…だが、少しだけ思うのだ。
唯一無二の最愛の人によく似た女。どれだけ似ていても、決して代わりにはならない。血の繋がりがあってもなくても、どうせカヌレ本人ではないから。代用品を求めてきたわけでもない。手に入れたところで、カヌレに愛される存在は疎ましくて仕方がない。それなのに、なぜか無性に欲しくてたまらない。
それはきっと、姉が何も残さずに消えてしまったからだろう。姉の持ち物も部屋も写真も、何もかも全て焼かれた。残っているのは手配書だけ。それももうすっかり色褪せてしまった。だから何でもいいから、せめて目に見える形で姉に連なるモノが欲しかった。そんな矢先に現れたのが、姉によく似た、かつ当時の姉と同じ年頃のトーファだ。欲しくない訳がない。姪でも他人でもいいから、とにかく手に入れたい。
きっと他の兄弟とて同じことを思っているはず。姉に対する感情は様々だ。今でも変わらぬ愛と思慕、裏切ったことへの怒りと憎しみ、捨てられた悲しみと寂しさ。しかし、全ての感情の根底にあるのが「もう一度姉に会いたい」という強烈な執着。それがようやく満たされるのである。どんな形に落ち着くのかはわからないけれど、今はそれだけでいい。
ビッグ・マム海賊団がさらなる飛躍を遂げる日に、再び姉の面影を目にすることができる。なんと素晴らしいのだろうか。
そう思えば、ごちゃごちゃと絡まった気持ちも少しは楽になる。まずはこの娘が、ビッグ・マム海賊団のモノになることを喜ぶべきだ。この娘に抱くべき感情については、その後で考えよう。愛か、憎しみか、懐かしさか……
クラッカーは手配書を貫く小刀を掴み、その笑顔を引き裂いた。