801話 開幕宣言
ドンキホーテファミリーとの死闘を繰り広げた、ドレスローザを出港して間もなく。海賊バルトロメオが率いるバルトクラブの船、“ゴーイングルフィセンパイ号”の甲板に、大きく世間を騒がせた面々が集っている。
「やー楽しい宴だったなー。あいつら好きになった」
その中でも最も中心にいる男、麦わらのルフィは先の宴を思い出しては、その余韻に浸っていた。
「バルトロメオ。とにかく「ゾウ」へ急げ」
同じく中心に立つ男、元七武海トラファルガー・ローは、ルフィとは真逆の様子で警戒を緩めていない。
「サンジ達、ちゃんと島に着いてるかな」
「ナミがいるから航行は問題ねェが、ビッグ・マムの艦がどうなったか……!!」
ウソップとフランキーの会話を聞きつつ、ロビンはにこりと笑った。先にゾウを目指した彼らのことは、何一つ心配していない。ビッグ・マム海賊団からの攻撃も、苦労しながらもちゃんと交わしているだろう。再会は間もなくだ。
「おい、ルフィ」
「ん?」
「どうやらおれ達、懸賞金上がってんぞ?」
新聞を読んでいたゾロの一言に、ルフィの興味はすでに終わった宴から、自分の懸賞金額へ移った。それに目敏く、バルトロメオが反応する。
「あれま!ご存知ねがったですか!!…じゃ、おれの部屋に手配書あるんで、どーぞどーぞ」
そしてバルトロメオに言われるがまま、一行は船室へと移動した。そこには、額に入った手配書と、先ほど求められたサインが飾られていた。ルフィが5億に上がっていたと大喜びしている傍ら、ロビンは自分の手配書を見た。1億3千万ベリー。前回から、5千万ベリーも上がっている。写真も新しいものになっていた。
「やだ…上がってるわ」
「今回の事件に関連して、際立った危険度を示した人達以外は、全員一律に5千万アップなんだべ!おれたづも5千万アップ」
バルトロメオが解説した通りだ。ルフィやロー、ウソップ以外──チョッパーもまた別の意味で例外──はこれまでの懸賞金に5千万上乗せされた形になっている。
サンジの写真が絵ではなくなったことや、またしてもグラビア風の写真を撮られたナミのことに言及しているルフィとゾロ、ドレスローザで戦った組で一人だけ億を越えなかったフランキーの怒りを受けるウソップ。手配書一つを取っても、相変わらず愉快で騒がしい仲間達だ。
微笑ましく思いながら、ロビンの目はちょうど隣に飾られていたトーファの手配書に映った。
懸賞金額は、9千500万ベリー。トーファの写真も更新されていて、それまでの不鮮明な横顔の写真から、斜め前から隠し撮られた写真に変わっている。今までの冷たい無表情から一転、子供に向ける愛しさに溢れた笑み──サンジの写真と同じく、魚人島で撮られた写真だろう。おそらく、魚人族の子供達にお菓子を振る舞っていた時の写真だと思われる──だ。顔の造作もハッキリとわかる。ヴィーラ族の血を引いていることも、ヴィーラの特徴を知る者が見れば一目瞭然だろう。ヴィーラ族の象徴とも呼べる青い瞳の煌めきが、写真越しにも伝わるほど美しかった。
「オイオイ、トーファの写真……!こんなモン出回ったら、これまで以上に求婚者が殺到するじゃねェか!!」
フランキーに首を絞められながら、ウソップがそう突っ込んだ。それには、ルフィですら「全くだ」と言わんばかりに頷いている。
「こりゃあ、対子供用の顔だな」
「違いねェ」
「でしょうね。でも、とても可愛く撮れてるわ」
「それが問題なんじゃねェか、ロビン〜!」
ウソップはそう言うけれど、もう出回ってしまったものは仕方ない。それに、自分の手配書の写真が不鮮明であることに不満を持っていたトーファ本人は、やっとまともな写真になったと今頃喜んでいるはずだ。
トーファに惚れ込んだ人間(男女問わず)によって、数々の面倒事が起こってきたのは事実だ。名前も知らない海賊に喧嘩を売られることも多い。ヴィーラに魅了された者は、相手にひどく執着すると言うが、トーファに惚れ込んだ相手ももれなくそうだった。
今までの、あまり顔がハッキリ映っていない写真ですら、おかしな求婚者を引き寄せていたのだ。聖母のような慈愛に満ちた笑みが浮かべたこの手配書が、これまで以上に人を虜にするのは明白と言えた。
「別にいいじゃねェか。変な奴らが寄ってこようと、アイツなら一人でどうにかできるだろ。……実際、これまでどうにかしてきただろ」
心配するウソップとは対照的に、ゾロは素っ気なかった。しかし、ロビンはそれに同意するように笑う。トーファが一人で対処できない相手はそう多くはない。絡まれたとしても、自分で切り抜けてくるだろう。これまでもそうだった。
上陸した島で、トーファが質の悪い求婚者やナンパ、特に海賊やチンピラのような類いからのそれを断り、それでもしつこく絡まれたが故に返り討ちにしてしばき倒すというのは、麦わらの一味にとって日常の一コマである。
「ゾロの言う通りだ!トーファは強ェし、トーファが太刀打ちできねェ時は、おれ達が守ればいい!」
ルフィの明るい声がそう言った。弾けるような笑顔と決意を間近で目撃したバルトロメオが、興奮し過ぎて目を回す。それを慌てて解放するバルトクラブの仲間達。腹を抱えて爆笑するルフィ達。呆れて思考を放棄したような顔で佇むロー。
混沌とした光景を目にしながら、ロビンはふと、トーファと初めて出会った日のことを思い出した。
*
トーファとの遭遇は、空島の情報を求めてジャヤを目指す航海の途中だった。
のっぴきならない諸事情を経て辿り着いた、リベルタ諸島本島。そこで様々な経緯を経て招かれた宴の席で、ロビン達の胃袋を掴んだのが、デザートとして並んでいた焼き菓子。初めて食べた者も多かった──サンジはさすが知っていたが、アレンジの仕方や隠し味など知らないことの方が多かったそうだ──が、トッピングされていたジャムの味も含めて、最も気に入ったのはやはり大食漢のルフィで。
一体どこの誰が作っているのか、どうやって作っているのか尋ねたところ、本島から歩いて渡れる浅瀬を越えた先の離島に住む夫婦──二人ともとても背が高く、特に妻は目も眩む程の美人らしい──が作っていると教えられた。夫がジャムを、妻が様々なお菓子を作っていて、どれも素晴らしく美味だとか。しかし二人は慎ましい性格で、量産や宣伝は一切しておらず、離島の人間が買い占めてしまうため、本島の人間でもめったにありつけないモノなのだそうだ。それを聞けば、会ってみたくなるのは自然なこと。
そうしてロビン達は翌日、件の離島へ赴いた。白く美しい砂浜に降り立ち、人が住んでいるであろう島の中心部へ向かおうとしたその時、麦わらの一味は“7人目の仲間”に出会ったのだ。
「この島から出ていけ!海賊っ!!!」
鋭く空気を切り裂いた声。その出所を探ろうと視線をさ迷わせた次の瞬間、刀と刀がぶつかり合う金属音が響き渡った。 激しい衝撃によって舞い上がった砂のせいか、妙に靄のかかった視界の中、ゾロと刀を挟んで睨み合う姿が浮かんだ。
それは、愛らしいディアンドルに身を包んだ少女──と言ってもナミと同年代くらいか──だった。一見か弱そうに見える少女が、ゾロとつばぜり合いを繰り広げているのである。無論、相手がおそらく一般人であり、かつ女であるから、ゾロも本気を出している訳ではない。が、手を抜いていては押しきられそうになるほど、少女の力は強かった。馬鹿力と言っていいかもしれない。
ルフィが援護しようと拳を構え、しかしサンジがそれを阻み、ナミとチョッパーがロビンの背に隠れる傍ら、びびり倒しながらもウソップが武器を構えた。それに気づいたサンジが止めようとしたが、どうやらウソップは煙幕で以て少女をゾロから強制的に引き剥がそうとしていたのだ。
煙幕ならば、怪我をすることもない。この膠着状態から抜け出すためにはやむを得ないかと、サンジの許しを得たウソップが狙いを定めた。だが。
突然少女がゾロから目を逸らし、じっとウソップを見つめ始めた。少女の、空や海をも霞ませる程青い眼差しが煌めく。…と思ったら、ウソップが全く見当違いの方向に煙幕を放ったのである。それを目の当たりにして、ロビンは思い出した。昔に読んだ文献の記述だ。
“偉大なる航路”後半の海、すなわち新世界のどこかに住む、幻の種族。老若男女問わず、月光のような白銀の髪を持つ、見目麗しい人々。彼らの深い青の瞳が蠱惑に揺れる時、人は理性を失う。惑わされ、言いなりになり、最後には破滅してしまうのだと。その者達の名は、確か……
「ヴィーラ……?」
しかし、ロビンの呟きを拾い上げた者はなかった。海風によって煙幕が晴れ、麦わらの一味はようやく少女の姿を捉えた。
ピンクの巻き髪を揺らし、片手に剣を握った少女は、ひどく美しく、儚かった。こちらを睨む冷たい双眸が青く瞬いた。
麦わらの一味のパティシエとなる少女、トーファとの出会いは、“勘違い”──トーファがロビン達を、島を荒らしに来た悪い海賊と誤認した──から始まったのだ。
*
トーファを初めて見た時の、脳髄を揺さぶるような感覚をロビンは未だに覚えている。それほど衝撃的だったのだ。新世界でもめったに出会えない、出会っていたとしても本人の口からカミングアウトされない限りは判別しにくい“ヴィーラ族”に出会い、ヴィーラが疎まれる所以である能力を間近に見ることができたのだから当然であろう。
“偉大なる航路”では、ヴィーラの名を聞くことも稀だ。しかし、ヴィーラ族の住む島がある新世界では、程度の差はあれ誰もが知っている存在である。事実、新世界に入ってからは、トーファを見てヴィーラの血を引いていることを察する人間も多かった。ヴィーラ族が、白銀の髪と深青の瞳を持っているというとはあまりに有名だ。トーファも、母親のカヌレと全く同じ目をしていたから、純血だろうとハーフだろうとクォーターだろうと、それはヴィーラの特徴として受け継がれていくものなのだろう。だからこの手配書を見た者が、トーファの出自に気づくのは容易い。
ヴィーラ族であるが故に狙われることは今後もあるだろう。
しかし、トーファは一人で戦っていける能力を持っている。そして、トーファが一人でどうにもならないときは、一緒に戦い、傍で励まし、守る仲間がいる。何を恐れることがあるだろう。だからロビン達は、強く美しい彼女の容姿が堂々と世界にさらけ出されることを、恐れる必要はないのだ。他ならぬトーファ自身がそれを望んでいるのだから。
ゾウでトーファと再会したら、写真が上手く撮れていることを褒めてあげよう。きっとお尋ね者らしくなったと喜んでいるはず。トーファの両親も、娘が元気に笑っていることを確認できて、安堵していることだろう。
トーファのことを思うと、無性に彼女が作ったスイーツが食べたくなってきた。サンジの料理も恋しいし、ゾウに着いたらさっそく何か二人に作ってもらいたい。
そんなことを思い、ロビンは小さく笑った。混沌とした光景は、まだ続いている。まだしばらくはこのままだろう。早く残りの仲間に会いたいと、ずっと昔の自分ならば決して誰かに思うはずのない言葉を胸に抱き、ロビンは海風を求めて甲板に戻った。
──まさにこの時「ゾウ」で、サンジとトーファの身に降りかかろうとしていた悲劇を知るのは、もう少し後のことである。