あなたは家族のモノ
「
ライフオア
トリート……!?」
母の冷酷なその声を聞いた時は、長姉はもう助からないと思った。これまで、母が能力を使う場面は幾度となく見てきたが、その問いかけから逃れられた者を、カタクリは32年の人生のうちでたったの一度も見たことがなかったからだ。兄や姉、弟妹のような叫び声こそ上げなかったものの、カタクリ自身未だかつてない程に恐怖した。今にも母の手が姉の寿命を剥ぎ取り、華奢な体が崩れ落ちてしまうと思うと、心臓に冷水を浴びせられたような心地になった。カヌレを失うことが、堪らなく怖かったのだ。
しかし、結果的にカヌレは死ななかった。母の能力はカヌレには効かず、そのゴタゴタに乗じてカタクリはカヌレを避難させることに成功した。抱き上げて運んでいる間も、姉はどこか緊張した表情を浮かべていたが、カタクリの後ろを着いてくるビスケット兵が、件の子供二人を抱えているのを見ると、ようやく体から力を抜いた。
よかったと、子供達の安否を心から気遣うその姿に、カタクリはじわりと滲む感情を抑えられなかった。それは、“嫉妬”という名の、緑の目をした怪物だった。
*
現在、ビッグ・マムことシャーロット・リンリンの子供は76人。長女であるカヌレには、75人の弟妹がいることになる。カヌレにとってカタクリは、41人いる弟の一人でしかない。
カタクリだけに限らず、兄弟が姉の特別になることはまず不可能だ。カヌレは誰のことも贔屓にしない。皆に平等だ。だがそれでも、最初の弟であるペロスペローや、最初の妹であるコンポートには他より甘いところがあるかもしれない。おそらく、いつになるかはわからないが、いずれ生まれる一番末の弟と妹も、きっと特別視されるのだろう。それが、どうしようもなく羨ましかった。
しかし、どれほど羨ましく思ったところで、どうにかなることではないから、仕方がないと諦めていた。姉を独り占めすることは、姉の特別になることは出来ないのだ。誕生日当日でさえ、カヌレはカタクリ達三つ子のものだった。カタクリ一人のものにはならない。それを望むことは許されない。だと言うのに。
「怖かったね。もう大丈夫よ」
安全圏に逃れ、カタクリの腕から滑り降りたカヌレは、ビスケット兵が下ろした子供達の傍に駆け寄ると、スカートが汚れるのも構わずに地面に膝をついた。そして、泣き濡れる頬に優しく触れ、埃や塵によって汚れた髪を撫でて、蕩けるような甘い笑みを浮かべたのだ。
それは、カヌレが弟妹に、そしてかつてはカタクリに向けたものと同じだった。……いや、それよりももっと、ずっと──
だから、全て事が終わった後、沸き上がる感情をそのままカヌレにぶつけた。誰もカタクリを止めなかったのは、きっとほとんどの兄弟が同じことを思っていたからに他ならない。特に、カヌレから
あんな笑みを向けられなくなって久しい、年長の兄弟は、正直腸が煮え繰り返りそうだったに違いない。
弟妹達相手に浮かべた笑みならば、一向に構わない。嫉妬する気持ちがないとは言わないが、自分にとっても弟や妹は可愛いから。自分に向けられなくなっても構わない。互いに、成人どころか30を過ぎた身だから、小さい頃と同じに扱われるのは、嬉しい反面やはり気恥ずかしいところもあるから。
だが、家族でもない、部下でもない、全くの赤の他人に向けるのは違う。その為に命を賭けるなど、言語道断。許せるはずがない。カヌレの心に、見ず知らずの人間に向ける感情などない。いらない。必要ない。その情は全て、家族に向けるべきなのだから。
そう主張すればややあってから、姉は「わかった」と言った。もう二度としないと、約束してくれたのだ。そう告げたカヌレの眼差しに、どことなく諦観が漂っているように思えたのは、気のせいだろうか。…きっとそうに決まっている。家族から「死なないで欲しい」と言われて、嬉しくないはずがないではないか。死ぬことを望む人間など、この世にいるはずがないのだから。しかし。
「いつ死んでもいいと思ってるからかなぁー…」
明日の天気の話でもするように、本当に何でもない調子で吐き出された言葉の意味を理解するのに時間を要したのは、カタクリだけではなかった。兄も、もう一人の姉も、半身である二人の弟も、すぐ下の妹も弟も。困惑した顔で、姉を見つめるしかなかった。当の本人は、いくつになっても衰えることのない美貌で飾られた涼しい顔で、呑気に紅茶を啜っている。沈黙が会議室を支配した。やがて、不自然な静けさに我に返ったカヌレは──その反応から察するに、うっかり声に出してしまったのだろう。つまり、それが本音であるということだ──、自分が何を口走ったのか気づいたようだ。腹立たしくなるほど美しい顔で笑って、「ごめん。今の無し」と言い捨てた。
「「「カヌレ姉!!」」」
カヌレの近くに座っていた弟妹が飛びかかったせいで、姉は椅子と一緒にひっくり返った。後頭部をしこたま床に打ち付けたのか、変な声が聞こえたけれど、それを気にしてやる余裕のある者はここにはいない。
いつ死んでもいいと思っている?…ふざけるな。そんなこと、許されるはずがない。カヌレを家族から引き離そうとする者は、それが例えカヌレであっても許さない。
カヌレは、家族みんなのモノ。誰か一人が独占することはできない。だから、カヌレは謂わばカヌレ自身のモノだ。その美しさも、優しさも、賢さも、心も命も全て、カヌレのモノなのだ。それなのに、他ならぬ持ち主であるカヌレ自身が、己の命を捨てようと言うのか。赤の他人の為に投げ出して。それならば。
(全て、おれに寄越してくれればいい)
いらないのなら、捨てしまうくらいなら。余すところなく全て、明け渡して欲しい。そうすれば、“カタクリだけのカヌレ”が手に入る。兄弟姉妹達の誰もが、思っていても決して口には出さない、“自分だけの姉”を手にできる。もしもそれが実現したら、自分ならばどうするだろうか。
誰の目にも触れない場所、誰の声も聞こえない場所に匿ってしまおうか。
覚めるような青の瞳が映すのはカタクリだけ。慈愛に満ちた声が呼ぶのはカタクリだけ。 …なんて素晴らしいのだろう。
そんな淀んだ暗い想いを表すが如く、ドロリと溶け出した餅が姉の足に絡み付く。このまま強く引き寄せて閉じ込めれば、自分だけのモノになるのだろうか。
しかし、そう思ったのは他の兄弟も同様で。兄の飴が、弟の魔人が、兵士が、本が、妹の鏡が、カヌレを閉じ込めようとする。妹の刀が、銃が、手が、弟の熱が、姉に触れようとする。皆の願いはただ一つ。
自分だけのカヌレ姉が欲しい。それが叶わないのなら、いっそのこと自分の手で……。
姉を絡め取る手に力が入る。このまま捕らえ続ければ、折れてしまうに違いない。折れてしまえば、どこにも行けないだろう。そんなほの暗い感情が渦巻く。だが。
『カタクリ、また大きくなったわねぇ』
遠征続きで、ゆっくりと会う機会の減った姉。会う度に、そう声をかけられた。姉の背を越えて久しく、その距離はどんどん遠く離れていった。でも、例えば姉の為に何かをしてあげた時──大抵は、高いところの物を取ってやったとか──、カタクリが手柄を上げたと聞いた時、カヌレはいつも頭を撫でてくれるのだ。うんと背伸びをして、遅れて膝を折ったカタクリに微笑みながら、昔みたいに。まだ、姉よりも小さかった子供の頃のように。
『私の前では、“完璧”でいる必要ないんだからね』
その時姉はどんな顔をしていた?……あぁ、なぜ直ぐ思い出せなかったのだろう。あの笑みだったではないか。優しくて、温かい笑みだ。物心ついた時から、カタクリを愛してくれた、唯一無二の笑みそのものだったではないか。
「…ん"っ……うぇ、…!…」
カタクリが能力を解くのと同時に、思い思いに展開していた悪魔の実の力が消え失せた。ガレットとポワールが退いたことで、カヌレが苦しそうに喉元を擦りながら起き上がってきた。
「…もう、全く……どいつもこいつも、本当に人の話聞かないわね」
あんなの、ただの言葉の綾じゃない。
「ママに意見するときは、死ぬ覚悟を持って対峙してるってことよ」
ボロボロになった髪を直しながら、さらりと答えたカヌレ。身体は生クリームまみれだし、おそらく足も飴や餅でベトベトだし、右腕は妹に搾られたせいで一回りほど細くなっているのに、それでも弟妹を咎めることなく、寧ろ困ったように微笑む姿を見、その思いの深さを見せつけられ、カタクリは胸を衝かれた心地だった。
あぁ、何も案ずることはないではないか。カヌレはちゃんと、家族を愛してくれている。強く想ってくれている。他の誰を気にかけたとしても、最後に選ぶのが家族であれば。欲を言えばカタクリであればいいが、贅沢は言うまい。姉が家族を愛してくれるなら、家族のモノでいるのならば、それで…
もしもこの先万が一、そうではなくなったら…姉が家族以外の誰かのモノになることがあれば、無論その限りではない。…が、きっとそんなことは起こるまい。それに、カタクリ達が起こらせない。最愛の姉を、誰か一人のモノになど、決して。
カヌレは、家族みんなのモノなのだ。そうでなければならないのだ。家族がそう、決めたのだから。それが家族みんなの、願いなのだから。
◎シャーロット・カヌレ (35)
相変わらずの苦労人。未だ独身の理由はもう察しているので、改めて言わせないでほしい。死にたい病は治っていない。多分一生治らない。一応本編時空の延長線上の設定なので、最早あらゆることに悟りを開いている。上の弟妹とは諸事情(※本編参照)から若干ギスギスしているところもあるが、家族のことはちゃんと好き。でも、「前世」の家族のことも好きだし、何ならそっちが本家本元だと思っているのでどうしても比べてしまい、両者の差と、比較してしまうことへの罪悪感で一人勝手に苦しんでいる。
◎弟妹達(34〜0)
相変わらずのお姉ちゃん大好きっ子達。悪気など一ミリもない。あるはずがない。ただ家族を愛しているだけ。育った環境(主にママ)のせいで、長女の思ってもない方向にぶっ飛んでしまうけど、「姉を独り占めしたい」、「こっちを見てほしい」、「褒めてほしい」と主張する幼稚園児だと思えば可愛いはず。
◎ママ(51)
ご存知、みんなのママ。現在、大量のサントノーレにご満悦。美貌の長女との結婚をちらつかせれば吊れる裏社会の大物が多いので、長女を気に入っている。が、美貌と従順さ以上に、長女が優しく弟妹に接する姿に無意識にマザーの姿を重ね、それゆえに気に入っているという裏設定がある。つまり、逃げ場がない。