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▼2022/08/12:愛に生きて、愛に死ぬ、ということ。



「あかん、もうどうしたらいいかわからん。辛い、泣きそう」

あまり自分の事情を口にしない関西の友人が、ちょうどくじのグッズとか絵のやり取りをしていた私とのLINE中に、そんな言葉を投げてきたのでこれは尋常じゃないと思った。
ので、急いで通話をした。






要約するに、彼女とうまく行かなくなったらしい。
友人は息継ぎなしの、言うなれば特急列車のような恋愛遍歴の持ち主で、私が聞く限りでは独り身になったことがほぼ無い人だ。
関西人だからか物事を茶化して話すので、友人の本当の気持ちがよくわからず、いつも恋人とうまく言ってない話を聞くと、好きって気持ちがあればなるべく続けたほうがいいとおもいますけどねー、なんて励ます方向に徹していた。
で、正直今回も励まそうかと思った。

ところが聞いた限りいつもとは事情が違う。
恋人の浮気を発端に関係が少しずつ瓦解していき、先月友人は飛び降り自殺を図ったらしい。
その事件で暫くは落ち着いたものの、保たず同棲上のすれ違いで再びうまく行かなくなり、どうしようかと思って辛くなった、とのこと。
流石にそれは別れたほうがいい、と言ったら友人は、

「いつもどーにかこーにか励ましてくれるんに、別れろって言うの珍しいなあ。それほどやっぱひどいんやな〜」

とか、どこか他人事で寂しそうに言った。またついでのようにちょろっとOD未遂があったことも他人事のように話した。
私は大切な友人が死んでしまうかもしれないのに、黒柳徹子級の思考と発言スピードを持つ友人に圧倒され、まともな言葉を探しきれず、ただ別れてほしいとしか言えないでいると

「次が決まっとったらスパッと別れられるんやけど」

とか、冗談めいたセリフを吐いた。これが友人のいけないところだ。どこまでが彼の冗談か本気なのかわからない。
次が決まってなくても絶対いまの状況は最悪ですから、とにかくまず別れてください、私はぬらりくらりと終わりそうな話をつなぎとめるのに必死だった。
友人はでもなあ、とのんびり口を開く。

「仕事がどんなに辛くても、家に彼女がおるんやー、稼いだお金は2人のために使うんやーって、今までずっと彼女のために生きとるから独り身になったら生きる意味がわからねんな」

はははーと笑う友人、いや笑いどころやないで。


学生の頃受講した哲学の”愛の形”という題で非常に印象的だったのが、
「自分の愛を半分にして相手に与え、与えられた相手はもらった愛を豊かにして、与えた分と同じ量を自分に返す。この交換が破綻すれば、愛は形を失う」
という風な哲学である。
”愛”とは”自分を愛する”気持ちも入っていて、冒頭の”自分の愛を半分にする”というのも重要だ。
つまり、自分が相手に手持ちの愛を全部与えれば”自分を愛する”ことができなくなり、相手が愛を返さずただ受け取る”無償の愛”な場合でも、与える愛と返される愛が釣り合わずに破綻する。
誰がこれを提唱したのか調べてもわからず、おそらくユングの考えを教授なりにアレンジした言葉だろう。
哲学には答えがないのだが、これは本当にどんな”愛の形”論で群を抜いて真理だと、私は思う。

友人で当てはめると、友人の持つ愛は”恋人のために働く”という愛に残らず変換され、それを受け取った恋人さんは愛を豊かにし、その量同等以下でお返ししたか(もしくは浮気相手に与えたか)という形になり、結果愛が涸れ満たされず、自分を愛せなくなった。
ということは、愛として十分破綻している状態である。


そんな愛が破綻している友人に、とにかく別れたほうがいい、と伝えて通話は終わった。


あ〜〜、
私って後付でこんな文章かけるくせに、直面してるときはほんと大した言葉かけれないの、相当駄目なとこだと思う。

なんでこんな気にしているのか、文字にしたのかよくわからんのだけど、やっぱり大切な友人が自殺未遂という事件が衝撃的だったんだなあ。
過去、元カレが自殺未遂したのと、小学校のころ好きだった人が自殺したことがまだ根強く私の記憶に残っているんですかねえ。
手の届きそうで届かないところって大変もどかしい。かといって変に介入してどうにかなるもんでもないので、とにかく難しい問題です。
でもね、知人が死んじゃうと記憶に穴が開くんですよ。その人との楽しい記憶を思い出したとき「あ、でもあの人いないんだ」って。
そしたら自己防衛的にその記憶はごっそり抜き取って、心の奥に鍵をかけてしまっちゃって、永遠に取り出さないんです。
そういう穴が、もう1つ増えてしまうのが怖いのかも知れません。


とにかく友人が、すげえ幸せとはいかなくても、つつがなくストレスなく暮らして、健やかに愛し愛され生きてほしいところです。




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