05月02



雨が降っている。
窓に見えるビルの谷間を縫って見える空は本当に申し訳程度で、もしかしてのビルの色なのか、本当に曇天の空なのかここからでは判別し難い。雨が降っているということは少なくとも曇ってはいるのだろうけれど。
私のいる事務室の中は雨音がしない。かたかたと忙しくキーボードを叩く周囲の音こそが、雨音じゃないかと思えてくる忙しなさである。
余裕を許してくれるほど納期は優しくない。私も周囲に合わせていくつか仕事を進めなくてはならないのだけれど、考えることが沢山ありすぎて全く手付かずでいた。
背もたれに深く沈んで、コースターの上に乗る缶コーヒーが掻く汗をなんとなくに眺めた。夏もそろそろだなあと思った。

ピザトーストの人から頂いた名刺には名前は勿論だが、社名や職業と肩書、連絡先には会社ドメインのメールアドレスしか載っていなかった。期待した裏面も白紙である。
裏に携帯番号が書いてるなら手慣れた人だと思ったのに。これでナンパ常習犯という線は消えたと思いたい。
唯一の手掛かりである会社用のメールアドレスに送る勇気もなく先延ばしにしていたら、結局ピザトースト事件から連休を挟んで半月は経過してしまった。会社用のメルアドにどうやってどの文面で送れっていうんだナンパしておいて何なんだ、ちょっと腹が立ってきた。
自分なりでも手がかりにと社名をネットで調べてみれば、ここ近辺のビルには入っていない会社だった。肩書はシステムエンジニアだから、どこかの外注か客先常駐である可能性が高い。
それを知ったところで私から出来ることは何もないのだけれど。

名刺を財布から取り出して眺めた。水彩紙とか粋な紙で作られた名刺は、艶加工の濃紺色インクで上品に名前を描いている。
「仁部、蒼時……さんね、にべそうじさん」
振り仮名なかったら、あおじって読みそう。
向こうは私のことを覚えているのだろうか、私の方が気になり始めて来て思わず苦笑した。
それでも多分この出会いはこれっきりだ。次会ったときに眼鏡とサングラスの二刀流の理由を聞こうとしていたんだけれど、その謎は解明されなさそうだ。

「にべそーじさん?」
私の中で増長する謎を押しのけるようにして声をかけてきたのは、隣に座る同期の遥菓。
「にべさんってあの、180ぐらいのガタイがとてつもなく良い人? 営業部に常駐してる外注SEだよね。先月グリーティングしてたよ」
「うそ知らない」
「まじか、とてつもなく濃いキャラの人だったから流石に覚えたよ……蛍、他人に興味なさすぎでしょ」
人の顔を覚えるのが特技の遥菓に初めて脱帽したと同時に、会社にいる人間全てをじゃがいもに見ていた自分に呆れた。
「なに、恋の予感?」
自身の仕事をそっちのけで椅子を傾けてきた遥菓のしつこそうな質問を他所に、もう一度右手の名刺を眺める。まだ会える可能性はあると思うと何故か心が軽やかだ。
「ね、それなら今度営業部に遊び行こ」
当人のような遥菓の行動力に背中を押され、バンドが解散してから宛もなく生きていたような私にも楽しみが出来てしまう。
背負ってきた小さな後悔を気にせずに生きれるようになるのがこういう感覚ならば、他人に期待するのも悪くはないかな、と可笑しくなってちょっとだけ笑ってしまった。





  

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