後日談
海から引っ張り出された時、唯一さんは泣いていた。
あの時は年下の女の子と思ったけれど、その後私より1つ上の男の人と判明して驚愕したのも覚えている。
助けてくれても必ずまた死にたくなる時がくると伝えたら、唯一さんは困ったように笑った。
そして「じゃあまた俺が助けますよ、何度でも」と目を細め、強く言ってくれたのだった。
それから数年後、適当に働いていたコンビニで仲良くなった子が、唯一さんが身内だということを話してくれた。
本当に棚からぼたもちの話で、唯一さんはちゃんと自分の好きな道に進んだんだという安堵感と、対して自分の自傷癖はいまだに治っていない自己嫌悪が混ざって複雑な気持ちになった。私は何一つ成長せずあの日のままでいたのだ。
唯一さんが住んでいるアパート近くに引っ越そうと決めたのは、その日のうちだった。
彼の存在が近くなれば、あの日のことを思い出して自傷癖を治す意欲が自然と湧くかもしれない。そういう甘い希望を持って、街で一番大きいスーパーに働くことにした。
そんな言い訳はともかく、誰かに依存するなんてことは今までになかった私が、確実に唯一さんに依存していた。
予想通り、唯一さんは現れた。
レジ打ちをする私の声に反応したのか、顔をあげた彼と確実に目が合う。
が、彼は気不味そうに視線を逸らした。その時はまだ気づいていないのだと自分に言い聞かせていたのだが、3ヶ月経過してもそんな感じのやりとりが何度もあった。
唯一さんは私のことを覚えていないのか、それとももう歌姫時代の出来事は全て忘れたいのかわからなかった。
「もう死んじゃおっかな。誰からの記憶からも消えて全部ぜーんぶ、私の存在自体をお終いにしたいな」
と、仕事帰りに泣きながら歩いていた。
それが病院で目覚める前の最後の記憶であった。
*
6月下旬。
意外と短かった梅雨が明け、初夏の香りなんて通り越して東京は真夏日を記録した。
先週、無事に退院した私だったが、結局眠り続ける状態の原因がわからず、定期的に睡眠医療外来に通うことになった。
唯一さんはというと、俺にも責任があるとか言い張って、毎回リハビリに付き添ってくることになった。恥ずかしいからいいよとは言ったが、そんな断り方で折れる彼ではなかった。
リハビリ棟から受付に戻ってきたら、ソファーで眉間に皺を寄せた唯一さんが見えたので、ちょっと笑って手を振った。
私に気づいた唯一さんは、緊張がほぐれたようにふわり笑い返した。まるで大手術を終えたかの表情だった。リハビリぐらいで大袈裟だ。
「お腹減っちゃった、帰りにファミレスとかでご飯していきたいな」
「じゃあ都内で一番景色が綺麗なガストででも」
「一緒ならどこででも」
こんな日常を、この人と一緒にゆっくり消費していけたら、朽ちるような最期も悪くないなとか、死にたがりの私に似合わず思ってしまった。
2021/07/26 Fin*
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