半純血の供物

セシリアのいる町から南方に下ったところに位置する小さな村。人口僅か数百人ほどの集落は四方を森で囲われ、そこの人々は皆、自給自足に近い生活を送っていた。まさに地図にも載らない秘境とも言えよう地を治めるのは、名門ノワール家。

ノワール家は貴族の家系でありながらも、質素な生活を好む、貴族としてはイレギュラーな存在であった。何よりも民の為。村の為にと莫大な資産を使い、善政を敷く姿はまさに名君。

だが、それは表の顔。
彼らの真の姿は新興宗教の教祖なのだ。それも、ただの新興宗教ではない。彼らは邪神を主として崇め、現代では禁止されている人身御供を取り行っていたのだ。村の中から選んだ未婚前の若い娘の生き血を捧げる。そして、また来年も。そのまた翌年も。

選ばれた娘とその親はどんな理由があれども断ってはならない。

過去には歯向かうものもいた。
いくら、名君とはいえ、自分の娘を生贄にするのは耐えられないと懇願した結果、その一族の近縁から遠縁にあたる人物たちまでもが、殺されてしまったのだ。

ノワール家の命令は絶対だ。
逆らうものなら、子々孫々まで根絶やしにされてしまう。村人たちは彼らの絶対的な権力を恐れ、一人の犠牲で皆殺しが避けられるのなら、と我が子を供物として捧げるのであった。

法律で禁止されている黒魔術の使用。人身御供。
しかしながら、閉鎖された保守的な村で繰り広げられる悪の習慣は今日まで外に知れ渡ることはなかった。

そして今年もまた、どの娘を供物にするか決める時期がやってきた。ノワール家邸宅の地下室で数人の男たちが蝋燭を囲むように集まり、話し合いを進めていた。
その中には、あの神父もいた。神経質に指先を合わせ、気難しそうな顔で不気味に揺れる蝋燭の火をじぃっと眺めている。

そう。留守にした理由は葬式でもなんでもない。ノワール家の人間として会議に参加をするため。
去年までは彼を抜いての会議が執り行われていたのだが、今年は違う。なぜなら、今年の生贄は彼が孤児として育ててきたセシリアなのだから。



「して、その娘には間違いなく血が入っているのは本当か?」


青白い顔をした男が神父に問うた。


「はい。間違いありません」


神父の言葉に向かいに座っていた髭を蓄えた老人が訝しげに口を開く。



「しかし、純血なのはその父親だ。娘は半純血ではないか。半分の血で本当に成功すると思っているのか」
「純血?あの人魚を殺さずに生捕りにしろと言うのですか?叔父上、それはあんまりではないですか。汚仕事を強いておきながら、そのようなことを申されるとは。それも十四年も経った今になって」



老人の言葉に淡々とした口ぶりで責め立てる神父。口調こそは丁寧だが、どこか高圧的な威厳を含めた言葉は老人を黙らせた。それもそのはず。この神父こそがノワール家の現当主。そして、髭を蓄えた老人は彼の叔父にあたる。
老人は腹の中で歯を食いしばった。青二歳の若造が。いくら歳上とはいえ、当主としての権力を持つ甥には頭が上がらないのだ。この家では当主の権力こそが絶対的なルールであり、正義なのだ。



「仮に生捕りしようとしたとしても、無理に違いない。人魚とはいえ、省勤めの魔法士。それなら、殺してしまったほうがまだマシでしょう」
 


せせら笑う現当主。
果たして、その笑いの矛先は自分に向けてなのか、それとも無謀な要望を強いてきた叔父に対するものなのか。
きっと、その答えは彼のみぞ知る。



「それに赤ん坊を連れて来いとしか聞いておりません。主に捧げる、半純血の供物を」



言葉をきっかけに神父の頭の中で古いフィルムが巻かれ始める。


遡ること、十四年前。
まだ私が神父でなく、一人の神学生だったころ。

父である先代がこの世を去った。まだ未熟だった私に代わり、一時的とはいえ、先代の弟である叔父が当主として、教祖として君臨した時期があった。


先代の時代はまさに暗黒とも言えるものであった。
歴代の当主たちが取り仕切ってきた人身御供を一度たりとも行わなかったのだ。父はいつも言っていた、そのようなものは時代にそぐわないと。自分の代で廃絶させると。

外側から見れば、柔軟で現代的な思想の持ち主。
内側から見れば、革新的で危険な思想の持ち主。

父とはいえ、不覚にも馬鹿だと思った。
何故、人身御供を廃絶しようとしたのか。それ無くして、どう絶対的な力を示すというのだ。それこそ、それを皮切りにドミノ倒しの如く、自分たちの権力が失われるに違いない。
この閉鎖的な村では自分たちこそがルールであり、正義なのだ。いびつで斜陽の日が差し込む錆びれた王国で、私はまだ王でありたかった。

それは叔父も同じようであった。父が崩しかけた伝統を取り戻すべく、二十年近く廃止されていた人身御供を見事に復古させた。しかし、どれだけ若い娘を捧げようとも、村に潤いが齎されることがない。

焦った叔父は考えた。これは血が足りないと。長年、生贄を捧げてこなかったことに主がお怒りになっているのだと。力が弱まってしまっているに違いないと。

ならば、もっと強大な力の持つもの。そこらの人間ではなく、特別な力を持った者。そう、例えば、永遠の命を持つとされる人魚の生き血とか。


そこで叔父は甥である私にこう命じた。


隣町に住む丘の上の一家を襲え。
そして、人魚と人間の合いの子である子供を攫って来い。そのためにはどんな手段を用いても構わないと。



ハロウィーンの晩。
私は言われた通り、隣町に住む一家を信者を引き連れ、襲撃した。幸いなことに家には女と子供しかいなかった。
その子供を渡せば、命は助けてやると嘘で塗りたくった案を提示した。だが、女は私の提案を悉く跳ね除け、必死に子供を抱え、私たちを睨みつけた。
魔法も使えやしないのに刃向かおうっていうのか。いい度胸なものだ。

さて、どんな風に殺してやろうか。火炙りの呪文で骨の髄まで焼き尽くそうか。鎌鼬の呪文で跡形もなく五臓六腑を木っ端微塵にしてやろうか。それとも……。

そのとき、ふと頭の中にある本の存在を思い出した。
閲覧禁止の保管庫で見つけた古びた真っ黒な本。幾千にも至る黴臭い頁の中に記されていたのは、世にも恐ろしい、一瞬にして命を奪ってしまう黄泉送りの呪文。

そうだ。それにしよう。

黄泉送りの呪文は禁じられた魔法の一つだ。
使ったものは間違いなく絞首台送り。だが、そんなもの知ったことか。今使わずして、どうする。それに丁度良い機会だ。この女で試すとしよう。

睨み合いが続く中、女に向かって、本で見たあの呪文を思い出しながら、杖を振ってやれば、彼女は叫び声も上げることも抗うこともなく、ころりと死んでしまった。

これだけか?たったこれだけなのか?
禁じられた魔法というのはこんなにもつまらないものだったのか?


呆気ない。もっと苦しむかと思ったのに。死の恐怖に[D:36384]き苦しみ、歪んだ顔で命乞いをしてくると思ったのに。大人気なく泣きじゃくり、みっともなく涙を流し、地を這いつくばるかと思ったのに。この女ときたら、最期の最後まで何も言わず、必死に我が子を抱きかかえていた。

ああ、なんと。なんとまあ、実に。


「―――つまらん」


床に転がった女の髪を掴み上げ、顔を覗き込む。
よく見たら、美しい顔立ちをした女だ。
ここらではあまり見かけない黒髪に黒曜石を連想させるかのような瞳。さては東洋人か。まあ、そんなことはどうでも良い。

肝心な赤ん坊はというと、女の側に座り、泣くこともなく、死体を呆然と見つめている。今は大人しくても連れて行く途中で泣かれてしまったら困る。

少しだけ眠ってもらうとしよう。
と、魔法をかけようとした途端、目にも止まる速さで杖が宙に舞った。驚いてみれば、男が杖を構え、無言でこちらを睨んでいた。

そんなまさか。
念のためと連れてきた魔法の使える信者たちを一階に置いておいたのに。たった一人で倒したというのか。なんて強さだ。
それにしてもこの男の杖……。いや、少し違う。魔法石がはめ込まれた万年筆型の杖。さては、あの学校の卒業生か。どおりでそこらの魔法士とは違う匂いがするわけだ。

男は女の亡骸に目を落とすと、ほんの一瞬、表情が揺らいだ。
実に素晴らしい表情だ。私が求めていたのはこの顔だ。
愛しい妻を奪われ、今度は子供を奪われようとしている。そんな絶望の淵に立たされたときの姿は人魚も人間は対して変わらないものなんだな。

そう腹の中でほくそ笑んでいると、突如、男に頭を鷲掴みにされた。ミシミシと音を立て、指がめり込んでくる。なんて馬鹿力なんだ。逃れようとするが、異様なほどまでに男の力は強く、びくともしない。それを皮切りに男の猛攻が始まった。

暗く狭い視界の中、かすかに見える男の顔は何とも恐ろしいものだった。人ならざるものという言葉の通り、瞳は爛々と光を放ち、呼吸は荒く、時折、耳慣れしない音を喉の奥から鳴らしている。そう、まるで獣のようであった。

この男に殺されるというのか?こんな野蛮な人魚に。
指先に力が入らない。全身が思考が麻痺していく。

死を覚悟し始めた私の耳に突然、子供の喚き声が入ってきた。
あんなに大人しかった赤ん坊が急にどうして。僅かに動く首を動かせば、とっくに力尽きたと思っていた信者の一人が赤ん坊を掴み上げ、杖を突きつけていたのだ。

男が赤ん坊の方に気を取られている隙に私は投げ飛ばされた杖を拾い上げ、魔法を放つ。だが、ただの死の呪文じゃ気が済まない。ならば、これはどうだ。あの世にもこの世にも行けない魔法を。かのハロウィーンの亡霊の如く、永遠にこの世を彷徨い、苦しむがいい。強い念を込めた魔法は見事、男に命中した。


床に転がった二つの死体を見下ろしながら、肩を落とした。

思っていた以上にしぶとかった。
今まで襲撃してきた家の中でこれほどまで苦労したのはここが初めてだ。さすがは筋金入りの魔法士。いや、野蛮人。

今日だけで一か月ぶんの体力と魔力を使った気分だ。

冷たくなった両親の亡骸によたよたと這いつくばるように近づく赤ん坊。言葉にならない声で動きもしない親に向かって何かを話しかけている。

なんて哀れな赤ん坊だ。確か、シエラだっけな。死ぬ寸前に男がこいつに向かって、そう呼んでいたな。だが、名前など必要ない。なんせ、供物として捧げる道具に過ぎないのだから。いや、しかし……。


「お前の名前はセシリア。15歳になるその日まで」


少しくらいは人間として育ててやろうか。
形だけでも人間的な生活を送らせてやるとしよう。親に捨てられた哀れな赤ん坊とそれを拾った町教会の神父という役柄で。私は赤ん坊を抱き上げ、信者に向かって口を開いた。


「家に火をつけろ。証拠を残すな。何もかも焼き尽くせ」


◆◇◆


「神父さまっ……、なんで」
「なんで?それはこちらの台詞だ。言いつけを破り、日が暮れたのにもかかわらず、出歩くなど。ましてや、立ち入るなと言った墓地に」
「神父さま、これは、その」
「あの亡霊に会いにきたのであろう」
「……」


黙り込みよって。嘘の手紙を送って正解だった。
あれほど墓地に近づくなと言ったのに。夜に出歩くなと言ったのに。私が留守にしている間にどうやらまた会っていたようだ。だが、まだ嘘をつく度胸はまだ備わっていないようだ。そこはまだ褒めてやろうか。

セシリアは……。いや、供物は少し俯き、唇を固く噛み締めた。そしてしばらくしてから、何かを決したかのように父親によく似た金色の瞳を向けた。

その目で私を見るな。虫唾が走る。
この娘の顔が時折、奴と重なって見えることがある。やつは片目だけその色であったが、こいつの場合は二つだ。恐怖が二倍になって波打ってくる。私はそれが恐ろしくてならない。まだ奴が生きているような気がして。その金色の目玉を抉り取りたいと何度思ったことか。

歯向かわないように。馬鹿みたいに従順で哀れなくらいに素直な娘になるよう育てた。その為には暴力だって振るった。実に効果的な方法であった。子供という単純な生き物には暴力という単純な手段で力の強さを示すのが一番だ。
そう全ては私の言葉にしか従わない、操り人形を作り上げる為に。半純血の供物として、捧げる為に。


だが、それも長くは続かなかった。ハロウィーンの晩に墓地で奴と出会ってしまったことで狂わされてしまった。


肉体を失ってもなお、霊魂となり、この世を彷徨っていたとは。何故だ?やはり、あのときかけた魔法か?朦朧とした意識の中、運良く命中したと言っても過言ではないものなのに。

娘が墓地で魔法を使う男と会ったとカボチャのパイを腕に抱えながら、そう伝えてきてからか、手をあげようとするや否や、どこからか奴の視線を感じるようになってしまった。情けなくも、私はそれが恐ろしくてならなかった。
あの二人の墓を立ててやってほしいと町の連中の要望を呑んでしまったことに後悔した。ここで変に断ったら、怪しまれると思い、承諾したのがいけなかった。


死してもなお、私の邪魔をしようと言うのか。忌まわしい、悪霊分際が。まあ、いいだろう。お前の娘が殺められる様を、そこから見ているがいい。

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