掟破りの午前零時

パイを頬張りながら、私はずっと思っていた疑問を彼に問いかけた。何故この墓地にいるのかと。
すると彼はフォークを動かす手を止め、金色の瞳で夜空を見上げると、ちょっと間を置いてから、ようやく口を開きました。大切な人が眠っている墓を守っていると。


「大切な人……、恋人とかですか?」
「恋人よりもさらに深い存在ですよ」
「恋人以上の存在……。ひょっとして、奥さんとか?」


個人的なことに対して、むやみやたらに尋ねるべきではないとわかっておりますが、彼の口から出た“大切な人”がどうも気になって仕方がなかったのです。
失礼なことを聞いてしまったと後悔していると、彼はちょっと照れ臭そうに微笑み、私の頬を手の甲で撫でながら、その通りだと答えました。

ああ、まただ。
こうやって、頭を撫でたり、頬を撫でたりしてくれる。優しげな、暖かいその眼差しを向けながら語りかけてくれる。たまらなく、とても懐かしく感じる。


「あの、前から思っていたんですけど、どうしてそんなに私のことを撫でてくれるのですか?」
「嫌でしたか?」
「いえ、そんな嫌だなんて。ただちょっと不思議に思って。どうしてそんなに優しくしてくれるんだろうと」


全くの赤の他人なのに。
まるで、親が小さな我が子に接するような仕草をしてくる彼が不思議で不思議でたまらない。
ちょっとした興味本位。なんでなんだろう?といった具合に軽い気持ちで聞いてみたのですが、それとは反対に魔法使いさんは薄っすらと眉間にしわを浮かべています。

まさか、何かとんでもないことを言われるのではないか。ひょっとしたら、気に障ることを言ってしまったのではないか。

その様子に自然と背筋がピンと伸び、固唾が喉を通っていくのがわかりました。


「それは……、貴方が子供だからでしょうね」
「……!まだそんなことを!」


彼がそう言った途端、ピンと張り付いていた糸が綻んでいく。変に緊張してしまった自分が一気に馬鹿らしく思えてきたのです。
同時にまたおちょくられてしまったことに、ほんの少し怒りを込めて視線を向けますが、彼は目を細めるばかりでちっとも効果はない模様。

どうやら無駄みたい。
いくら、子供扱いしないよう訴えても上手く丸め込まれてしまう。

諦めた私は皿の上のパイをつついていると、彼の口から出た墓の存在を思い出しました。
亡霊となった今でもこうして想い人の墓を守り続けるなんて。きっと、奥さんのことを深く愛していたのでしょう。

そのとき、ふと疑問が頭に浮かび上がりました。


「奥さんのところに行かなくていいんですか?」


こんなにも深く愛しているのに、どうして、奥さんと同じところに行こうとしないのでしょう。亡霊になったのであれば、死んだ奥さんのいるあの世に行けるはずなのに。


「行かないんじゃなくて、行けないんです」


彼はそう言って、苦く笑いました。
なんてことを聞いてしまったんだ。軽い気持ちで尋ねたことが失言に繋がるなんて思ってもいなかった。


「ごめんなさい。そんなことも知らずに興味本位で軽々しく、聞いてしまって」
「謝ることはありませんよ。何事も探求したくなる気持ちはよくわかります」


「しかし、そのせいで幼い頃は両親を困らせることもしばしばありました」と思い出し笑いする彼に触発され、私も小さい頃、なんでなんでと聞きすぎて神父さまを困らせてしまったことを思い出しました。「私たち、似た者同士かもしれませんね」とポツリと答えれば、彼は少し間を置いてから、静かに微笑んだ。


「確かに彼女のことは愛しています。しかし、まだやり残したことがありましてね。それをやり遂げない限り、僕はここから動けないんです」


やり残したこと?どんなことを?何が彼をこの世に縛り付けているの?
疑問符の行列が頭を侵食し始めていく。いつもの調子なら、ぽろっと言葉にしてしまうのに、不思議なことに、こればかりは喉元でひゅっと引っ込んだ。
言霊というのでしょうか。彼の言葉に含まれた目には見えない何かが引き止めているような気がしたのです。しかし、その代わりに熱い何かが胸の奥で渦巻いていくのをはっきりと感じたのです。そして、それは言葉となり、這い上がってきました。


「では、私は毎晩ここに来ます。魔法使いさんのやり残したことが果たされるまで、この墓地に来て、色々なお話をします。何度だってカボチャのパイを焼きます。少しでも寂しくならないように、私は魔法使いさんのそばに居たいんです」


疑問符の代わりに出た言葉は想像以上に大胆なものだった。咄嗟に口を閉じようにも既に遅し。魔法使いさんは豆鉄砲を食らったように言葉を失っている。

寂しくならないように。そばに居たい。

ああ、なんて厚かましいことを。
感情に身を任せてしまったことで招いた結果に肝は冷えていく一方で、耳たぶは熱くなっていく。穴があったら入りたいとはこの状況のことを指すのですね。


「えっと……。ちょっと、お節介が過ぎましたでしょうか」


取ってつけたかのような苦しい笑顔しか浮かべられずにいると、魔法使いさんは口元を押さえて、喉の奥でクツクツと鳴らしながら、笑い始めました。


「本当によく似ている。そういうお人好しなところなんかは特にそっくりだ」


誰と重ねて、笑っているのかはわかりません。
しかし、彼が笑っている姿を見ると、こちらも自然と口角が上がっていく。

ついさっきまであんなに恥ずかしかったのに。穴に入りたい気分だったのに。それらが全て、滑稽なまでに一掃されてしまっていくではありませんか。

秋の夜は寒いはずなのに魔法使いさんと過ごす夜はとても温かく感じる。言わずもがな、きっと、これも魔法。火を灯さない不思議な魔法なんだと。
このままずっとこの状態が続けばいいのに。そう微かに願いながら、眠気が許す限り、私たちは他愛もない会話をし続けました。


◆◇◆


翌朝。いつものように花壇と畑に水を与えた後、鶏小屋に行き、産み落とされたばかりの生暖かい卵を、二、三個ほど手に取り、カゴの中に入れる。
昨日は完全に寝てしまう前に自力で部屋に戻れたから良かった。途中で魔法使いさんが戻るように言ってくれなければ、あのまま外で眠ってしまっていたことでしょう。

代わり映えのない簡単な朝食を済ませ、町に買い物へ向かおうとする途中、郵便配達員のおじさんから私宛の手紙を渡された。手紙の差出人は神父さまでした。その内容はというと、向かった先で用事が度重なり、帰るのが一週間ほど引き延ばすことになったとのこと。

しっかりと教会の留守をしなければと気を引き締めのと同時に神父さまの目を気にすることなく、魔法使いさんに会いに墓地へ通えることに喜びを感じました。
神父さまの言いつけを破ってしまっている自分が愚かなのはわかります。しかし、そんな罪悪感よりも、彼に会える楽しみを覚えてしまったのです。この通り、気がついたときには勝ってしまったのです。


「……神父さまになんと言われることか」


いや。今、へこたれている場合じゃないや。考えている場合じゃない。凹むのは神父さまがお帰りになられたときにしよう。

胸に停滞していた重苦しい雲を取っ払い、今日はどんなものを作ろうかと考えながら、噴水広場に辿り着く。
広場から続く古店通りは朝市のせいもあってか、たくさんの人たちで賑わっている。
そんな人混みの中、威勢の良い声で話しかけてきたのは、ハロウィーンにカボチャをくれた八百屋のおじさん。人の良さそうな顔をくしゃりとさせ、眩いほどに満面の笑みを浮かべている。


「おじさん、おはようございます。この前はカボチャ、ありがとうございました。とても美味しかったです」
「おや、もう食べたのかい。そりゃあ、良かった。それにしても珍しいなあ、こんな時間に来るなんて」
「今日はちょっと早く目が覚めちゃって」
「いいことじゃないか。早起きは三文の徳って言うしなあ。ところで今日は何をお求めだい?」
「では、さつまいもを二、三本ほど」
「あいよ。待っててね、立派なのを選んであげるから」


渡したカゴにさつまいもを詰めていく最中、おじさんはふと何かを思い出したかのような顔すると、「そうだ。おまけでカボチャも付けといてあげるよ」と言い、店の奥の方へ行ってしまいました。

おじさんを待っている間、店に並んだ秋の野菜たちを意味もなく、眺めていると、すぐそばの腰掛け椅子に置かれた新聞が目についた。見出しには、この町の名前が飾られている。

こんな小さな田舎町が新聞に載るなんて。
一体、何があったんだろう。

そう不思議に思いながら、新聞を手に取り、開いてみるとそこには。


「一家惨殺事件……?」


普段、目にしない不穏な文字が並べられていたのです。


「もうすぐ時効が切れるとかなんとかって言って、毎年この時期になると騒ぎ立てとるんだよ」

いつの間にか戻っていたおじさんが腕にカボチャを抱えながら、そう言いました。


「昔、この町で殺人事件があったんですか?」
「なんだい、知らないのかい?丘の上に住んでいた若夫婦が殺されたっていう。有名じゃないか」
「初耳です」
「知らないに決まっているじゃない。まだこの町にやってくる前に起こった事件なんだから」


後ろに並んでいたおばさんが同然だと言った口調で話の輪に入ってきました。その言葉におじさんはちょっと気まずそうに、「ああ、それもそっか」と首の後ろを揉みながら、目を泳がせた。


「こんな片田舎で起こった事件だからよーく覚えているわ。十五年くらい前かな。今はもう燃えて無くなっちゃったけど、この通りをずっと行った先の丘の上にお屋敷があってね。そこに住んでいた若夫婦が殺されたっていう事件があったのよ」


おばさんは、視線を逸らしながら続ける。


「旦那さんは省勤めの魔法士なのに全然威張らない謙虚な人でね。奥さんも人当たりの良い、優しそうな人だった。とても恨みを買われるような人達じゃなかったのに、どうして」
「全くだ。殺した挙句、家に火をつけるなんて。普通の奴がやる所業じゃない。まだ子供も小さかったっていうのに」
「確か女の子だったかしらねえ。でも、結局、その子の行方はどうなったのかしら」
「焼けたあとから、見つかったのは大人の指一本だけだ。大の大人の身体ですら、たったそれしか残らなかったんだ。そうと来たら、赤ん坊のなんて全部灰に決まっている」
「一体、誰がそんな惨いことを……」


互いに顔を見合わせ、眉を下げる二人をよそに丘のほうを眺める。今は跡形もなく、更地になっているあの場所で凄惨な出来事があったなんて、ちっとも知らなかった。神父さまも教えてくれなかった。
十何年も経った今でも、みんなの記憶に残っているということは、さぞかし悲惨な出来事でその若夫婦というのも人望の厚い人達だったのだろう。

代金を払い、さつまいもとカボチャを受け取った後、底なし沼に足を取られたような気分のまま帰路についた。


◆◇◆


昨日に立て続けにパイは飽きるだろうと思い、今日はさつまいものタルトにしてみました。それに、さつまいもタルトは過去に何度か作ったことがあったので、特に手こずることなく、さくさくと進めることができました。
しかし、慣れているせいもあってか、つい目分量で測りそうになってしまったが、今回は人に出すんだということを思い出し、本に書いてある通りにしっかりと測った。

大丈夫。美味しくできているはず。

カゴの隙間からふんわりと漏れ出す甘い香りにうっとりしながら、墓地の門を潜ろうとしたときでした。


「こんな夜更に墓地で茶会か?セシリア」


背後から、いるはずのない神父さまの声がしたのです。

その途端、冷や水を打たれたかのように背筋が一気に冷たくなりました。恐る恐る振り返るとそこにはランタンを片手に険しい顔をした神父さまがこちらを睨みつけておりました。
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