2
「名前さん!お待たせしました!」
待ち合わせ時間から5分を過ぎた時、柏木くんが駆け寄ってきた。
「お疲れ様。じゃあ、行こうか」
「すみません。用事が長引いちゃって。そういえば名前さんの連絡先もちゃんと分からないなって…。聞いてもいいですか?」
思わず彼の顔を見上げた。「もう会えたのに?」なんて、可愛くない言葉と共に。
柏木くんはこんなにさらっと連絡先を聞いてくるような人だったか。少し面喰らった。
「…俺が知りたいんです。名前さん、お願いします」
爽やかな微笑み。ああ、こんな笑顔を向けられては、きっと勘違いをしてしまうでしょう。柏木くん。それは、残酷なことだよ。心中で呟きながら連絡先を交換する。
「ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか」
柏木くんの足取りは軽い。私の気持ちも軽くなってしまいそうなくらいに。
柏木くんが決めてくれたお店は完全個室の、落ち着いたところだった。お酒と食事をそれぞれ頼み、昔話に花を咲かせ、話題は自然と現在のことに移ってゆく。
「名前さん、あの。言いたくなかったら言わなくて大丈夫なんですけど…」
「何?」
「今日、道で会ったとき。すごく、その…落ち込んでるみたいでしたけど、何かあったんじゃないですか?」
気づかれてない筈はないと思っていた。けれど、こうして聞かれるかは分からなかった。話したくない気もするし、話してしまいたい気もする。優しい人だ。きっと親身になって聞いてくれる。気を使わせたくない。かといって言わなければずっともやもやさせてしまうんだろうな。再会のタイミングが悪かった。観念して、言葉を紡いだ。
「あー、うん…そう。実は彼氏と別れることになって。今日一緒に過ごす予定だったんだけど、無くなっちゃって」
柏木くんは静かに聞いてくれている。思わず、口が滑る。
「なんか、浮気されてたみたいで。気づかなかった私もバカだったんだよね、同棲もしてたのにさ。お陰で帰れもしないし。」
「……そんな…ひどいです。最低だ。それに、相手の人が出ていけばいいのに。悪いのは、名前さんじゃなくて、向こうじゃないですか…。」
「私がもう、無理なんだよね。連れ込んでたんだなーとか、いろいろ考えちゃって。1秒でもいたくなくて飛び出してきたんだけど…何も考えれなくて。そしたら、柏木くんに会っちゃった」
あはは、と渇いた笑いが個室に響く。柏木くんはすごく真剣な表情をしていて、こちらも口を噤んでしまった。食欲はまだ戻らなくて、私はカクテルばかり飲んでいる。そのせいか、酔いが回るのも早く、目がどんどん熱くなってくる。
「ごめん。こんな話聞かせて。久しぶりに会ったのに。」
柏木くんは何も言わない。そうだよね、なんて言えばいいか困るよね。やっぱり黙っておくべきだった。涙を必死に耐える。ああ、話すんじゃなかった。
「どうしたらいいか、分かんなくなってるとこに、柏木くんが声かけてくれて。私、すごく嬉しかったの。」
無理に顔をあげて笑ってみせる。柏木くんの柔和な笑顔は消えていて、後悔してるんだろうな、という表情になっていた。柏木くんが悪いんじゃないのに。
「こちらこそ、すみません。辛いこと、思い出させちゃいました…。」
「柏木くんが悪いんじゃないよ、ごめんね、私こそつまんない話聞かせちゃった」
「…その、相手の人とは、もう別れたんですか?」
「一応、話はしたよ。引き止められたけど浮気の証拠もあったし、振り払った。…でも、気持ちは…ダメだね。好きかどうかは もう分かんないけど、やっぱ、きついね」
グラスの最後の一口を煽る。きついけど、これでケリをつけよう。柏木くんまで巻き込んで、いつまでもしょげていられないし。柏木くんは心配そうに私を見つめている。優しい眼差しに、あらぬ考えが広がる。
「…柏木くんみたいな誠実な人だったら、よかったなあ。」
何言ってんだか。馬鹿馬鹿しくて自嘲する。柏木くんは驚いたような顔をして。まさか真に受けてないよね。冗談だよ。言おうとしたが、柏木くんがあまりにも神妙な顔をしているから、言葉がつっかえてしまう。
「俺だったら…名前さんにそんな顔は絶対、絶対させません。」
彼がこんなに真剣で、強い声を出すのは学生時代にも聞いたことがない。視線を外して、軽く笑った。そうでもしないと、飲まれてしまう。
「…柏木くん、優しいもんね。柏木くんの彼女、きっと幸せだよ。絶対大切にしてくれるもの」
飲まれてしまう。酒に?それとも、目の前の後輩に?
「俺に、彼女はいませんよ。…名前さん、分かってるんじゃないですか?」
分かりたくない。嫌だ。これ以上、考え事を増やさないでほしい。ただでさえ、これから考えることは山積みなんだ。ましてやこんな酔った頭では。
「…名前さん、今日自分の家には帰らないって言いましたよね。それは、どこか知り合いの家に行く約束とか、あるってことですか?」
「それを伝えたら、どうするの?柏木くんは何か…考えがあるのかな」
「いじわるな言い方しないでください。俺だってもう、大人です。」
その意味が分からないほど子どもじゃない。私も彼も。…そんなつもりで話したわけじゃなかった。だめだ。そこまで、甘えられない。
「大丈夫、その辺のホテルに泊まるよ。心配してくれて、ありがとね。」
この話は終わりだと言うように、もう一杯カクテルを頼む。柏木くんは複雑そうな顔をしながら、俯いていた。
←//
→