お弁当事件

※研究者ひこ、研究室



澁澤さんは、霞でも食べて生きているのか。

昼食も、もちろん間食も無しにただただ研究に没頭している。「ご飯を食べないと元気になりませんよ」と言うと「ああ元気だとも。この研究が導き出す結果を思えば食事など不要だ」と、相変わらずぎらぎらとした科学者の顔で答える。
八割は無視されるので、返事をしただけまだ機嫌はいいのだろう。アドレナリンを食って生きているような人だから、差し入れをしても大抵放置される。この人はとても自分勝手で周りを見ない。
けれど以前、私がおやつにたけのこの里を持って来た時はさも当然のように自分のものとして食べていた。そういうところがあまりにも自分勝手で可愛い。

「澁澤さん、研究をするには食べなければ体が持ちません」
「肉体は不便な肉塊だ。思考しているだけで体力を消耗するなど人工知能の方がよほど優れている」
「人間に生まれたことに文句をつけてもお腹いっぱいにはなりませんよ」

そう言いながら、私は食べないと保たないので当たり前にお弁当箱を開ける。
近くのお弁当屋さんの期間限定。春の彩り御前。

鰹節と和えられた、身体に良さそうな筍を箸でつまんだら、ふわっと視界に白いものが入ってきた。
一秒後に気づけば、私の箸から消えた筍をもぐもぐと咀嚼している澁澤さん。
「弁当屋の味だ。大衆向けに濃く出来ている」と、人の昼食を奪っておきながら、あまり美味しいと言った様子もなく嚥下する。

「……40円くらいですよ」
「17円」
「私のひとくちめという付加価値がありました」
「なら今からまた買ってきたまえ。これはこのまま私が頂こう」
「えっ、食べるんですか」
「君は私を妖怪か何かだと思っているのか?食わずとも腹は空かないが食うこと自体に嫌悪を抱いている訳ではない」
「ふつうの…ひとだ…」
「君の普通は酷く動物的だな。さぁ、早く調達しないと飯を食う時間が減るぞ」
「もう、パンとかでいいです」

ご飯を奪われたショックより、私の箸からものを食べた澁澤さんに、今更ながら心臓がばくばくと脈打っていた。
なるだけ冷静に装って、白衣を脱いで財布を持って、顔を見られないように扉へ向かう。
澁澤さんがあのお弁当を食べるシーンを横で見ていたら、なんか、こう、デレデレしてしまいそうな気がする。一応この想いは心の奥深く深くに秘めて、自覚もしないくらいずっと奥に閉まってあるので、それが表に出てきては、ちょっとまずい。

「みょうじ君」

心臓がうるさい私に追い打ちをかけるように、澁澤さんが背後から私を呼ぶ。
澁澤さんはあまり人を呼ばない。用がないからだ。今呼ばれたのは用があるからだ。
「はいなんでしょう」といつも通り答えたら、ご飯を頬張っているような口籠り具合で、澁澤さんは私に用を伝えた。



「今夜は定時で上がりたまえ。私は酒も嗜む」



振り返ることは出来なかった。多分、耳まで真っ赤になっていたから。
どんな顔をして午後の仕事をこなせばいいか、コンビニのパンと見つめ合いながら呆然としているうちに、昼休みも終わりを迎えようとしていた。