※澁澤さんが弱い
ちょっとだけ性表現あります
怖い夢を見た、と言う澁澤さんは、見たことがないくらい普通の人間みたいだった。
どんな夢ですか、と聞いても、すぐには教えてくれない。ただ無言で唇を重ね、虚無を埋めるように私を抱いた。とてもゆっくりで、涙を吐き出すように性を放ちながらきつく抱きついてきた。それはまるで、母を見失い不安がる子供のようで。
私は、彼の夢の中から私が居なくなったのだと悟った。
「どんな夢を見たんですか」
ふたり、ベッドに横になり言葉を交わす。
今は何時なのだろうか。まだ太陽が昇らないから、きっとまだ、澁澤さんは半分夢の中にいる。
「君が、私を庇って死んだ夢だ」
詳細は、口にしたくはない、と、彼は苦しそうに、言った。
「私は君の亡骸を見て、つまらないと吐き捨てた。私がよく見知った私だ。それが恐ろしいと感じた。君を人形のように見る私が、君のいない世界を受け入れた事実が、恐ろしいと感じた」
「自分が死ぬより、怖かったですか?」
「私は、自分のものが他者に奪われることは、気にくわない。それが私の頭脳であっても。私の世界は、私が作るのだ」
言葉を覚えたばかりのように、たどたどしく、言葉を紡ぐ。
身体ごと彼に向き直り、長い髪で隠れた輪郭を撫でると、濡れた跡が手を湿らせた。
嗚呼、澁澤さんも、泣くんだ。澁澤さんが、泣くんだ。ただ一人の女が彼の世界から居なくなった、そんなことで。
「それは夢です。私は今ここに居ますよ」
そう言う私の手をとる。とても冷えている。きっとまだ、心が震えているんだろう。
「…私の目には、夢と現の境界線が明確ではない。君が語る現が夢で、夢が現ではないという証拠が、今のままでは何処にも存在しないのだ。
私が目を閉じ意識をあちらに移せば、君のいない世界がそこにあるだろう。この世界は嘘偽りで、そちら側が、真実だとしたら…、」
彼は、賢い人だ。からこそ、こんな風に言葉を続け、言葉に詰まることは滅多にない。
寂しがる子供を、私はぎゅっと抱きしめた。
外は雨が降り出していて、窓に雨粒のあたる音がする。
澁澤さんの弱音を、かき消してあげてほしい。私はこのまま覚えているから、目が覚めた彼が、全て忘れてしまっていられるように。
「眠っていいです。澁澤さん。ずっと私が抱きしめていてあげますし、貴方が目を覚ましたら、私は必ず隣で寝ています。私はここにいます。
もし夢の中が現実で、ここが夢であるのなら。澁澤さん、夢の中に、必ず帰って来てください。私が呼びに行きますから」
「…この世界が、例えば一冊の本の中で、焼いて仕舞えば消え去るものだとしたら」
「私も貴方とともに消えます。貴方を一人にはしませんよ」
「感情論の口約束には、信憑性がない。理屈が要る」
「約束には、理屈は要りません。理屈があったら契約です。私は嘘つきませんよ。大丈夫」
猫を撫でるようにフワフワと撫でていると、吸い込まれるように眠り始めた澁澤さんを、私はずっと撫で続けていた。
きっとこの人は、ずっとひとりで広い世界の中にいたのだ。私が何をしてあげられるかはわからないけれど、私は彼を、悲しませてはいけない存在でいたい。
彼が現実から醒めた時、私が彼の夢であり続けられるように。彼の額にキスをして、私ももう一度瞼を閉じた。
隣で眠る大きな猫は、穏やかな寝息で、雨粒と世界の憂いを歌っていた。