驚くべきことに、昨日の組分け前までは確かに黒一色だったローブやセーターの一部のデザインが一夜にして変化していた。白シャツに黒のスカートを履いて、ネクタイを締める。己はスリザリン寮の一員なのだと証明する緑と銀のデザインはシックで気に入っていた。その上から胸元にスリザリンの紋章が付きフードや裏地に緑があしらわれたローブを羽織る。

「おはよう」
「………ふん」

 洗面所の扉から姿を現したイザベラに声を掛けるも彼女はわたしを一瞥しただけですぐに顔を背け、美しいストレートの銀髪を靡かせ、部屋から出て行ってしまった。昨日言っていた仲良くする気は無い、というのは本当だったらしい。何が気に食わないのかはわからないが人の好みというのは本人にしか理解できないものだろうし、気にしないでおくとする。
 時計を覗くともう朝食が始まっている時間だ。イザベラも朝食を取りに大広間へ向かったのだろう、わたしもそれに倣うとしよう。ただ、一つ気になるのが****───ジェシカのことだ。
 ちら、と左側のベッドを見ると未だカーテンがきっちり引かれ、耳を澄ませば微かに寝息が聞こえてくる。どう考えてもジェシカはまだ眠っている。もういい時間だし、まだ余裕はあると言ってもこの調子だと朝食を食いっぱぐれるどころか初授業に遅刻しかねない。ここは起こしてやるべきなのか、それとも面倒ごとは避けて先に大広間へ向かうべきかを悩んでいると、カーテンの向こうからううん、という唸り声が聞こえてきた。そして稍あって、カーテンがゆっくりと開けられる。

「おはよう、ジェシカ」
「んん………おはよう」

 まだ眠たげに目を擦りながら出てきたジェシカはどこからどう見ても寝起きそのものだ。小さな欠伸を噛み殺し、時計の文字盤を目に入れる。そしてもうこんな時間なの、と呟くとのそのそと緩慢な動きで支度を始めた。だいぶ動きは遅いがまあ大丈夫だろうと判断し立ち上がる。そしてそのままイザベラと同じように部屋を出ようとしたところで、後ろから声がかかった。

「#シャロン#?どこに行くの?」
「どこ、って朝食に」
「せっかくなのだし一緒に行きましょうよ。ついでに私の身支度を手伝ってもらえる?」

 にっこりと、さも当然のように手にしていたブラシを差し出され、一瞬絶句した後呆れながらもそのブラシを受け取った。ありがとうと口にしたジェシカはいかにも高級そうなドレッサーの前に座りシャツのボタンを留める。その背後に立ち、彼女の金髪を手に取った。ゆるくウェーブがかった髪は日頃丁寧に手入れされていることがその艶と指通りから伝わってくる。

「ブラシは通したけど」
「ありがとう、適当にまとめてもらえる?」

 そう言われて、一瞬の迷いの後編み込みを始めた。ブロンドを手に取って黙々と編み込んでいき、そしてそのままハーフアップにしてしまう。初めてやったにしては上出来だ。我ながら手先が器用だと自画自賛していると終わったのに気づいたジェシカがリップを塗っていた自身の唇から目を離し、頭へと視線を移す。

「すごい!綺麗ね、うちのメイドと同じくらいの出来栄えだわ。自分の髪もやればいいのに」

 感心するようにそう言われてとりあえずありがとうと言っておく。実際やって見て思ったのは、他人のものだから楽しいのであって毎日自分の髪を編み込んだり結いあげたりなんてことは面倒すぎる。ただ下ろすだけでも特に不便を感じたことはないし、これからもこのままだろう。
 
「あと、ネクタイも結んでもらえるかしら」

  そう言われ、こちらに身体の向きを変えるよう頼み、首に引っかかっているだけの状態のネクタイに手を伸ばす。彼女の瞳の色と同じ緑のネクタイを結び終えると、それまでじっとこちらを見上げていたジェシカは唐突に私の顔へと手を伸ばし、少し長い前髪をかきあげた。

「ねえ、どうして前髪を伸ばしているの?とても邪魔そう」
「え、っと」
「私ほどではないにしても貴女もまあまあ可愛いのだから、もっと顔が見れるように短くすればいいのに。それに、とても不思議な瞳の色」

 じっくりとこちらを覗き込んでくるジェシカは真っ直ぐにわたしの目を眺めていた。どうにも居心地が悪いが、何故だかその翡翠の瞳から逸らすことができない。

「真っ黒だと思っていたけれど本当は青いのね。とても神秘的な濃紺色、夜空みたいだわ」
「…………ありがとう、考えておくよ」

 曖昧に返事をして、上げられた前髪を手櫛で直す。大して気にしていない様子のジェシカはドレッサーの前から退くとローブを羽織り、さあ行きましょうと扉に向かう。その後ろについて行きながら、そっと瞼を閉じて、そして中指の指輪に触れた。
 談話室から出て、他のわたしたちと同じくに朝食向かうのであろうスリザリン生と共に階段を上がる。大広間の扉の前は今まさに中へと入ろうとする生徒や反対に中から出てくる生徒たちでいっぱいだった。四色のネクタイを締めた生徒たちの波に飲まれながら中へ入り、スリザリンのテーブルへと移動する。どこに座ろうかとジェシカと話していると、近くからおーい、と声がかけられた。

「あら、ダンじゃない。ごきげんよう」
「ジェシカと、#シャロン#じゃないか!君らが一緒にいるなんて驚いたな。これから朝食か?」
「彼女とはルームメイトなのよ。ところで隣の貴方は?」
「僕はトム・リドル。エイブリーは同じくルームメイトなんだ」

 声をかけてきたのはソーセージを頬張るエイブリー、そしてその横にはきっちり制服を着込んだトム。エイブリーと親しそうに話すジェシカが彼らの向かいに座り、突然現れたトムに驚きつつもわたしもその横に腰を下ろした。

「はじめまして、トム。貴方とても綺麗な顔をしているのね。お人形のようだわ」
「そうかい?君こそフランス人形かと思ったよ、ジェシカ」
「ふふ、お上手ね。ありがとう」

 トムはうっとりとした表情でその顔を見つめたジェシカの言葉に微笑を返し、歯の浮くようなセリフを口にしてみせる。随分なキャラの違いにゾッとして腕を摩ると鳥肌が立っていた。あまりの気持ち悪さに顔をしかめているとトムから鋭い視線が飛び、思わず咳払いをして話題を変えるべく口を開く。

「ところで、ジェシカとエイブリーはどういう関係?単なる顔見知りというわけではないよね?」
「私たち?唯の婚約者(フィアンセ)よ」
「そうそう、ウチとセルウィン家は家族ぐるみで仲がいいんだ」

 なんともないような顔でさらりと爆弾発言をかまされ、ポットから注いでいた紅茶を危うく零すところだった。まさか現実に許嫁なんて実在するとは思うまい。ファンタジーじみている、と思ったがその前に今通っているのは魔法学校だ、十分ファンタジーじゃないか。

「それにしても、俺の同室のトムは#シャロン#と幼馴染で、その#シャロン#と同室のジェシカは俺の幼馴染兼許嫁、とはね。世間は狭いな」
「#シャロン#の幼馴染なの?じゃあトムも孤児院育ち?」
「ああ、そうだよ」
「……悪いな、ジェシカは単にド天然なだけで悪意はないんだ。本当にそう思ったことをそのまま口にするから誤解されやすいんだが」
「はは……確かに」

 気まずそうに弁明をするエイブリーの言葉にとても納得し、不思議そうな表情をしているジェシカを見る。本当に、心底意味がわかっていない様子の彼女は確かにド天然なのだろう。悪気のなさが伝わってくるからこそ、毒気が抜かれる。
 それから共に朝食を取っていると、前の方の席から時間割が配られ始めた。ずんぐりとした、太ったセイウチにそっくりな教師が生徒一人一人に羊皮紙を配布している。やがてわたしたちの座っているところまでやってきた。

「やあ、君たちは一年生だね?」
「そうです、スラグホーン先生」
「おや!ミスター・エイブリーにミス・セルウィンじゃないか!我らがスリザリンに入ってくれて嬉しいよ」

 愛想よく返事をしたエイブリーとジェシカを見て今気がついた、と言わんばかりに驚いて見せた先生は嬉しそうに笑いながら羊皮紙を配る。渡された時間割に早速目を通すと、記念すべき初授業は魔法史のようだ。

「私が受け持つ魔法薬学は残念なことに金曜日までお預けだ。楽しみにしていてくれ」

 パチリとウインクを一つ寄越し、先生は別の生徒の元へと向かった。時間割には、確かに金曜日の五・六限となっている。色んな意味で元気そうな先生の後ろ姿を見送っているとかぼちゃジュースを啜ったエイブリーが気になるのか、と声をかけてきた。

「あれはホラス・スラグホーン教授。スリザリンの寮監であり魔法薬学の先生でもある。何でも他より何かに秀でた生徒を侍らすのが好きで、そういうお気に入りを集めたスラグ・クラブってのが存在するらしい」
「へえ。……良い趣味してる」
「まあその分気に入られるとなかなかの高待遇らしいぜ?……さて、そろそろ行くとするか」

 一番最後に朝食を終えたジェシカのカップが空になったタイミングで皆席を立った。荷物を取りに寮へと戻ることになり、教科書などをまとめ四人で教室に向かう。二階へと階段を登りながらエイブリーとジェシカが会話しているその後ろでトムの横に並んだ。

「……随分と可愛らしい猫を被っているようだけど」
「それはどうも。どうせやるなら完璧にこなさなければ意味がない。それに」

 そこで言葉を区切り、ふとこちらへ細めた目を寄越す。いわゆる流し目の状態で、トムはとんでもなく優しげな微笑を唇に浮かべて見せた。

「コッチの方がイメージ通りだろう?」
「………本当、顔以外は最低最悪だよね、きみ」
「人間の印象は視覚・聴覚情報により九割決まる。顔面の造形が整っているに越したことはないさ。………わかっているとは思うがくれぐれもバラすなよ」
「はいはい」

 ひそひそと囁き声による会話は教室に着いたことで終了し、わたしたちは列の中程の席に並んで座った。やがて教師が姿を現し、授業が始まる。
 結論として、魔法史の授業はとても退屈だった。教師であるビンズ先生は半透明のゴーストで、昔教員室の暖炉の前で眠り込んでしまい、朝起きた時に自分の身体を起き忘れてしまったらしい。そんなビンズ先生はずっと抑揚のない単調な口調で講義をするものだから、三十分もしないうちに生徒の三割は寝落ちし、授業終了十分前には数人を残して全滅していた。正直に言うとわたしもそのうちの一人である。ハッと目が醒めるのと同時にベルが鳴り、周りの生徒たちも起き上がり始めた。エイブリーとジェシカも例に漏れず寝落ちしていた生徒の一人であり、ジェシカに至ってはベルが鳴り終わっても尚眠りこけていた。
 次の呪文学と昼食を経て、初日最後の変身術の授業。教師はあの青い目の魔法使い─────ダンブルドア教授だ。

「スリザリンの諸君、ご機嫌よう。私は変身術を教えているアルバス・ダンブルドアだ。変身術とはその名の通り無機物・有機物を別のものに変身させる術を学ぶ。では早速披露してみせよう!」

 そう言って、ダンブルドア教授は軽やかに杖を振って見せた。すると教授の頭上にあったランプが瞬く間に鷹へと姿を変え、ぐるりと教室を一周すると教授が伸ばした腕に着地した。その華麗な魔法に生徒たちは手を叩き、歓声をあげる。教授は鷹を元のランプに戻すと生徒に教科書を出すよう指示し簡単な説明をした後に一人一本ずつマッチ棒が配られた。これを針に変えるべく生徒たちは何の変哲も無いマッチ棒とにらめっこを始めるが、これがなかなか難しく授業終了までに完璧な針に変身させられたのはトム一人だった。教授はトムの針を教室中に見えるよう掲げるとその出来栄えに素晴らしいと褒め称え、生徒たちに拍手するよう求めた。生徒の羨望の眼差しと教授の賞賛に嬉しそうに、しかしあくまでも謙虚な姿を見せるトムを、ダンブルドア教授はじっと見つめていた。

 初めて触れる魔法の授業はどれも実に興味深く、楽しいものだった。薬草学ではグリフィンドールと共に城の裏にある温室で摩訶不思議な植物やキノコの育て方、どんな用途で使われるのかを学び、水曜日の真夜中には望遠鏡で夜空を観察し星の名前や惑星の動きを学ぶ天文学の授業があり、飛行訓練はその名の通り箒の乗り方を実技で学んだ。マグル界での魔法使いのイメージと同じく空を飛ぶには箒を使うらしく、箒に乗り空中で試合をするクィディッチというものがあるそうだ。そして皆楽しみにしていた闇の魔術に対する防衛術では悪戯好きな生物の生態やその対処法、呪文学とはまた違った呪文を教わった。我らがスリザリンの寮監スラグホーン先生が担当する魔法薬学は、虫や奇妙な動物の臓器や植物などをすり潰したり切り刻んだりしたものを調合する授業で特に女子がとても嫌そうに作業をしていたのが印象的だった。この授業はレイブンクローとの合同授業だ。授業のない週末にはジェシカの家から送られてきたいかにも高級そうなお菓子や茶葉でお茶をしたり、図書館に行って一日中読書をしたり、城の内部や外をぶらぶらと散歩したり、孤児院での生活では考えられないくらい充実した日々を過ごしていた。
 そしてトム・リドルはと言うと、眉目秀麗、頭脳明晰、才色兼備、文武両道、などの四字熟語がピッタリな一年生として僅か一ヶ月でホグワーツ中の誰もが知っている有名人となっていた。どの授業でも一番に成果を上げたし、積極的かつ的確な発言で寮点をジャラジャラ稼ぐ。規則で禁止されているはずのクィディッチチームへの参加を誘われるほど箒の扱いにも長け、何よりあの見た目とそれを裏切らない聡明且つ謙虚な性格。ホグワーツ中の生徒のみならず教師の誰もが優等生のトム・リドルのことを好意的に思っていた。トムの猫被り作戦は大成功というわけである。

 そんな中、金曜日最後の授業を終えたわたしは昼食を取り終えて本の返却のため図書館へと向かっていた。ちなみに一人でだ。今の所友達らしい友達はジェシカとエイブリーくらいしかできていない。その二人は同じ純血の家の子やその傘下の子供による取り巻きといることも少なくなかったし、何よりわたし自身が四六時中どこでも一緒、というような馴れ合いは好まないのもあってあまり行動を共にすることはない。たまに食事の時間が被った時や移動教室で遭遇した時くらいだ。しかし、それよりも会う頻度が少ないのがトムだ。たまにエイブリーと話すついでに一言二言会話する程度で授業開始初日に話して以来、通常のトムを見ていない気がする。有名人のトム・リドルはどこにいても絶対に二人以上は人を引き連れていたしとても目立っていた。そこにわざわざ近付こうとは思えないし、そもそも特に話すこともない。何より、あの甘い微笑に優しい声、紳士的な振る舞い。普通に気味が悪い。
 そういう事情で図書館へは一人で通っていたのだが、この時ばかりはそれを後悔することになる。なんて運の悪い日なのだろうと心からそう思った。図書館へと向かう道、あと一つ角を曲がればすぐそこというところまで来て角の向こう側にいた人物にぶつかってしまい顔を上げる。その人こそが、あのダンブルドア教授だった。

「すみませ、ん。………ダンブルドア教授」
「こんにちは、#シャロン#。怪我はないかな?」
「はい、大丈夫です」
「それは良かった。推察するに、図書館へと向かっていたようだが」
「借りていた本を返そうかと」

 ダンブルドア教授は相変わらず青い目をキラキラさせて人好きする笑みを浮かべていた。教授自身はもちろん、担当する変身術の授業もとても生徒からの人気が高い。他の教師たち、ディペッド校長なんかは特に教授のことを信頼しているようだと普段の様子から伺える。ホグワーツの人気ナンバーワン教師は間違いなくダンブルドア教授だろう。そんな人とわたしが、何故廊下で世間話をしているのだろう。いつでも会話を切り上げられるような返事しかしていないのに、教授は言葉巧みに話題を続かせている。正直貴重な午後の時間が無駄に消費されていると思ってしまった。多少強引にでも終わらせるべきかと考えあぐねていると、そういえば、と態とらしく教授は手を打った。

「実は校長から頂いた美味しいお菓子があるのだが、共にお茶でもいかがかな」
「いえ、教授もご多忙でしょうしお邪魔するわけには」
「いやいやこれでも暇を持て余していたところなのだよ。#シャロン#さえ良ければ話し相手になってもらいたい」

 どうかね、と友好的に聞かれてしまっては、一生徒の身として断れるわけがない。最後の足掻きに返事を伸ばすよう一度唸って、誘いを了承した。とても嬉しそうに笑みを深めた教授に連れられて変身術の教室の隣にある部屋に入る。研究室らしいその部屋は見たこともない様々な道具が置かれていて中にはカタカタと音を立てながら動いているものや銀の煙を吐き出しているものなどがある。摩訶不思議な道具たちに思わず目を惹かれていると右手にあるワインレッドのソファーを勧められ、おとなしく腰を下ろした。向かいに座った教授はどこからともなくティーセットとケーキの皿を出現させ、お茶の用意をし始める。手伝おうとしたがお客人だからと断られ、不躾だとは思いながらも部屋中を興味深く眺めているとやがてベルガモットの香りとともにカップを差し出された。朗らかに勧められ一言断ってから白磁のカップに口をつける。

「もう学校には慣れたかね」
「はい。まだ毎日新しいことばかりで目まぐるしい日々ですが」
「それは重畳だ。変身術の実技もなかなかのものだし、レポートの出来もいい」

 どうやら変身術の才能があるようだと言われ、ありがとうございますと述べた。当たり障りのない世間話が続き魔法界の有名洋菓子店のものらしいパウンドケーキを少しづつ口に運んでいると、ところで、と切り出される。

「トムのことなのだが────」

 来た、と内心で身構える。だと思ったのだ、一生徒と呑気にお茶をするほど暇ではないだろうしわたし個人に用があるとしか思えない。そして入学から数多くいる新入生の一人として地味に過ごしているわたしにわざわざ一対一で対峙するような用件は持ち合わせていない。となると、入学前に会った時と180°印象が違うトムについて何か聞きたいのだろう、と。

「随分ホグワーツを満喫しているようだ」
「そうですね」
「七月に会った時とは少し印象が変わったように見受けられるのだが。君はどう思う?」
「………トムなりに、改心したのではないでしょうか」

 そうとしか言えない。まさか学校を牛耳るために演技しているんですとは言えない。まあ、こんな質問をして来る時点で疑われている、つまり猫被りは効いていないということになるのだけど。
 苦しいわたしの返答に相槌を打った教授は思案するように遠くを見遣る。無言の時間が居た堪れず、ちびちびとカップに口をつけた。こういう質問はわたしではなくトム本人にしてほしい。わたしは頭がいいわけではないし、ボロが出ないようにするだけでも必死だ。早く帰りたい。

「そうかそうか。少し思うところがあったのならば嬉しい限りだよ」
「はい」
「他の先生方もトムを絶賛している。礼儀正しく勤勉で、とても優秀な生徒だとね。シャロンから見ても相違ないかね」
「………はい」

 その言葉には適当な相槌しか返せなかった。正直トムとは最近話すどころか会ってもいない。トムに群がる生徒や教師を遠巻きに見るくらいのものだ。お互い用も無ければメリットもない。そもそもあの状態で話しかけるなと言ったのはわたしの方だ。

「あまりトムとは会っていないので、よくわからないんです」
「おや、そうだったか。すまないね」

 いえ、と社交辞令を返す。まだこのもやもやとする質問は続くのだろうかと辟易しながらすっかり冷めた紅茶を喉に流し込んだ。切り分けたケーキを口に運び控えめな甘さのそれを味わうことなく飲み下す。壁のかけられた時計はここへきてからゆうに一時間は経過していることを示していた。いつになったら帰れるのだろう。こんなに居心地の悪いお茶の席は初めてだ。

「先ほども言ったように初対面の時とは印象が違っていたからね。少し驚いてしまったのだが、君の言う通りトムなりに考え改める機会を作れたのであれば教師としてとても喜ばしい」
「はあ………」
「他に何か、気になる点はないだろうか。幼馴染の君から見て」
「いえ……特には」

 「すみません」と謝るわたしに教授は笑って手を振ってみせる。ちびちびと食べ進めていたパウンドケーキの最後の一欠片を口にすると、空になった皿に新たなクッキーが出現した。驚いてそのクッキーを凝視しながら固まると「遠慮せずにお食べなさい」とにこやかな笑みで勧められた。この空気をやり過ごすために食べ進めていたのであっておかわりを所望したつもりはなかったのだけど。甘いものは好きだから嬉しくないわけではない、が、それよりも早くこの場から解放されたかった。

「シャロンは」
「はい……」

 勧められたからには手をつけないわけにもいかず、赤いジャムが宝石のようなそれを一枚齧る。ほろほろと口の中で崩れるクッキーを堪能しつつ口を開いた教授に相槌を打つ。少しの間目を伏せ逡巡するような素振りを見せたかと思うと、白磁のティーカップを置き、わたしに向き直った。

「トム・リドルを、君はどう見る?」
「…………ええと」
「すまない、難しかったね」

 とても抽象的な質問を浴びせられどう答えたものかと言い澱むわたしに教授は軽く謝罪すると「そうだな」と口を閉ざし、再度開いた。

「生まれた時からずっと、あの孤児院で君たちは暮らしていたとミセス・コールに聞いた。魔力のせいで孤立し、二人で行動することが多かったのだとも」

 確かにその通りだ。生まれてからずっとわたしたちは同じ場所で暮らしてきたし、その閉鎖的な空間の中でも特別浮いた存在だった。しかしだからといってずっと二人きりでいたわけじゃない。一人と一人が結果的に二人になっただけ。一緒に遊んだりだとか、そんなことは一度もない。

「トムに最も近いのは君だろう、シャロン。だからこそ、私は君から見たトム・リドルを知りたいのだ。君にとってのトムは、一体どんな人間なのか、どんな存在なのかを」

 正直言って、意味が理解しきれなかった。わたしがトムに一番近いのは事実だ。しかし、なぜそんなことを聞くのだろう。
「ううん」などと曖昧に唸ってみせながらいつも通りの微笑みを浮かべカップを傾けるダンブルドア教授を伏し目がちに観察する。正直何を考えているのかさっぱりだ。トムのことを探られているのだ、ということは理解できる。このように直接質問をしてくるということは教授自身もトムの豹変ぶりが演技なのか改心なのか判断しあぐねているのだろう。わからないのは、何故わたしに聞くのか、ということだ。
 もし───もしも何もその通りなのだが───トムのアレが演技だとして。わたしに聞いて、正直に答えるとでも思ったのだろうか。それどころかわたし経由でダンブルドア教授がトムのことを探っている、と告げ口される可能性も高い。探りを入れるというのは隠密に遂行してこそなのでは?理解できないことは他にもあるけど。
さてどう返すべきか、適当に友達ですとでも言っておけば良いだろうかと考えていたその刹那。またいつもの感覚がふいに襲って来た。あ、と血の気が引くのも束の間、目を瞑るより早く視界が暗転する。

─────よく言えば落ち着いた、悪く言えば薄暗いスリザリンの談話室、その室内は普段とは打って変わって元の品の良さを損なわない程度に煌びやかな飾り付けが施されている。中でも目を惹くのは天辺に星のオーナメントが付けられた大きなモミの木。白い綿やジンジャーブレッドクッキー、キャンディーにガラス細工のオーナメントで粧し込んだクリスマスツリーだ。その傍らで佇む少年と少女の影が暖炉の炎に照らし出される。一人はわたし、そして本を手にもう一人は、あの凍てついた雰囲気を捨て去った、イザベラだった─────

 瞬きの間、反射的に顔を俯かせる。……マズい。非常に、マズい。視た内容への違和感や驚きよりも最優先すべきはこの状況だ。どう考えても今わたしの眼は色が変わっている。よりにもよってこんなところで視るなんて。
内心冷や汗を掻きつつ膝の上で握りしめた手を視界に入れ無言で俯くわたしに、突然「シャロン?」と穏やかな声が降って来た。ビクリと肩が揺れ手元の茶器が耳障りな音を立てる。いつもの癖で俯いてしまっていた顔をそのままに、裏返った声で「なんでしょう」と返事を返した。どうか触れないでくれと祈るもののそう上手くはいかず、顔を上げないことへの不信感か、心配そうな声色で名前を呼ばれる。

「……どうかしたかな?」
「いえ……その………少し、体調が」
「おや、それは大変だ。大丈夫かね?今マダム・ポンフリーを呼ぼう」
「だ、大丈夫です。寝ていれば治ると思うので」
「では寮まで送ろう。立てなければ担架を出すが……」

 席を立った教授がこちらへと歩み寄り、その大きな手が肩に置かれる。「大丈夫です」と口にして、申し訳程度に腹に手を添えて立ち上がった。寮まで俯いたままは流石に無理がある。どうにか断らねばとその方法を考えながら扉へ向かって一歩を緩慢に踏み出した、瞬間。
横から現れた指先が顎へと向かい、そのままグッと持ち上げられた。突然のことに思わず指の力に従い顔を上げ驚きに目を丸くする。その先にあった煌めく青い瞳もまた、驚愕に見開かれていた。その瞳の中、鏡のように反射するわたしの姿は未だ尚金色が光り輝いている。何が起きたのか、何が起きているのか。全てを理解するよりも早く本能的に顔から血の気が引く。──────みられた。尚わたしの顔を凝視したままの教授の口が僅かに動く。死刑宣告を受ける囚人の如く、いやにゆっくりとしたその言葉が零れ落ちる瞬間をわたしはただ身を固くして聞いていた。

「シャロン、君は─────」

一体何がきっかけだったのかはわからない。突如ハッと我に返ったわたしはその勢いのまま教授の言葉の先を遮るように顎を掴む指先をはたき落とす。吐き捨てるように「すみません」と口にして一刻も早くこの場から逃げ出そうと扉へと走りよりドアノブを引っ掴む。力任せに扉を押し開け走り出そうとしたわたしの肩を、背後から掴まれた。

「シャロン!」
「は、離してくださ、」
「待ちなさい、君のその目は一体────」
「いッ……!」
 
 完全にパニック状態に陥っていた。しかしそれはわたしだけでなく教授もまた冷静を欠いた様子で逃げるわたしを引き止めようと肩の力を強める。教授の指が肩に強く食い込み、その痛みに思わず悲鳴にも似た声が喉から絞り出た。それと同時に、その場に不釣り合いなほど涼やかな声が耳へと転がり込んでくる。

「───これは、ダンブルドア教授」

 こつり、と革靴の音を響かせて廊下の影から顔を覗かせたのは、穏やかな笑みを浮かべたトム。一枚の完成された絵画のような笑みとは裏腹に細められた瞳だけが氷のように鋭くわたしを見、そして教授を射抜いた。どうしてここに、と唖然とせるわたしの肩から手が離される。あの焦燥など影も形もない、いつも通りの微笑みで教授はトムへと向き直った。

「シャロンが、何か?今、見間違えでなければ教授と何やら揉めていたように見えたのですが────?」
「……こんにちは、トム。いや、シャロンの体調が思わしくないようでね。声を荒げてすまなかった」
「いえ…………」

 嘘ではない、が、真実と言うには少々説明が足りない。微妙な物言いで眉を下げるダンブルドア教授の謝罪を半歩後退りしながら受ける。あくまで穏やかな雰囲気を崩さない教授と、同じように笑みを保ったままのトム。二人に挟まれて内心冷や汗をダラダラ流しながら主にトムの様子を伺っていると、その一見穏やかながらも絶対零度の空気感の中で先に動いたのはトムの方だった。「それは大変だ」などと白々しく口にして歩み寄って来たかと思えばわたしの手を掬い取る。ビクリと驚きと一種の怯えに肩を揺らすと気遣わしげに「大丈夫かい」などとほざいて見せた。トムに取られた鳥肌でびっしりな腕は、その儚げな表情とは裏腹に強い力で握られている。

「シャロンは医務室に連れて行きます。失礼しても?」
「もちろん。お大事に、シャロン」
「良い週末を。ダンブルドア教授」

 一方的に別れを切り出したかと思えば教授の言葉が終わるのも待たずに無礼にもトムはさっさと踵を返した。未だ取られたままの手をグンッと引かれ固まっていた足が一歩を踏み出しトムの足取りに追従する。背後に注がれる友好的とも敵意とも違う視線を感じながらも、わたしは決して振り返らなかった。
その場を離れたトムは自身が出てきた方の廊下の奥を目指して早足で歩き始める。その間幸運にも生徒の姿は一度も見なかったが、トムは優等生の皮を被り続けていた。しかし優雅なのは見てくれだけで掴まれている手はだいぶ痛い、相当な握力が込められている。なんてデジャヴだと引きずられながら歩いているとやがて彼は廊下の最奥にあった古びた扉を開け、取られた腕を利用してその中に放り込まれた。重力に抗う術もなくべしゃりと床に尻餅をつき、痛みを軽減させようと打ち付けた腰を撫で摩る。痛みに呻くわたしの声がギイ、と耳障りな音で掻き消され扉が閉まり光源のない室内が暗闇に満ちる。闇に目が慣れる前に「インセンディオ」という小さな呟きを耳が拾い、同時に視界に暖かな赤が現れる。顔を上げ細めた視線の先、小さなランプを手にくるりとこちらを振り返ったトムの顔からは優等生の仮面が剥がれ落ち、いつも通りの無愛想ながら不機嫌そうな表情が浮かんでいた。

「────では、弁明を聞こうか」
「不可抗力です裁判長。わたしにはどうしようもなかった、無罪を主張します」
「判決は話を全て聞いてから下すよ」

 両手を挙げ降参の意を示したわたしの主張をハッと鼻で笑い飛ばしたトムはこちらを見下ろし一瞥すると、ランプを小さい台へ置き室内に置かれたいくつかのランプに杖をかざし火を灯した。明るくなった室内をぐるりと見回す。この部屋はもう使われていない小さな空き部屋のようで、様々なガラクタが置かれていた。トムはその中で一番綺麗な椅子に腰を下ろすとその隣の小ぶりな木製の椅子に向かって顎をしゃくる。どうやら座れということらしい。冷たい床から立ち上がり、バレない程度にほんの少し距離をとって指し示された椅子に大人しく座る。じろりと睨むような目で促され、わたしは「ええと」と口を開いた。

「図書館に行こうとしたら教授に捕まったの。それで仕方なく研究室でお茶をして、トムのことを聞かれた」
「具体的には?」

 概要を簡潔に説明するとわたしがトムのことを聞かれたことについては予想済みだったようで一切驚かれなかった。それもそうかと思いながらつい先ほどの尋問の様子を思い出す。

「トムはホグワーツを楽しんでいるようだねとか、教師陣からの評判も良いとか。基本はトムを褒めてるような口ぶりだったけど、初対面の時と態度が違うことを気にしているみたいだった」
「まあそうだろう。あれは僕も失敗したと思っている」

 珍しい、とは声に出さなかった。トムが自らの非を認めるとは。被った猫が本質にも影響し始めたのか、それか本当に悔やんでいるのか。十中八九後者だろうな。トムは理知的に見えて実際頭に血がのぼると激昂しやすい。今までは相手が子供や力を持たない者だったから問題にこそならなかったが、ここではそうはいかない。同じ力を持つ者、それも熟練した魔法使い相手ではあの一度の過ちを取り消すことはできない。

「……僕らと同じ力、魔法使いが集まる学校だと聞いていたけれど。案外そこらの人間と変わらず馬鹿ばかりで騙すのも容易い。生徒だけでなく教師もまとめて馬鹿ばかりだ」
「トムの演技を見破れる人なんて早々いないよ。わたしも赤の他人だったらきっと騙されてた」
「当然、と言いたいところだけどおまえは無駄に勘が鋭いからな。そういう奴がいないとも限らないし暫くは大人しく優等生のままで過ごすさ。あのダンブルドアも案外すんなり騙されてくれる可能性もある」

 ────その暫くが終わったら、一体何をするつもりなの。とは聞かなかった。トムが何かを企んでいるのは確実だけど一々口を出すつもりはない。そもそも口を出したところで何が変わるわけでもないのだし。その浮かんだ些細な疑問を飲み下し、わたしは代わりに素朴な疑問を投げかけた。

「ねえ。教授はどうしてわたしに聞いたんだと思う?」
「と言うと?」
「わざわざ探るような真似をするってことは、教授の中ではトムが演技をしていると判断しているってことでしょう。それならわたしに聞いてもトムに告げ口されて、トムの警戒が強まって尚更演技に隙が無くなるかもしれない。そうしたら本当に演技なのか見破るのが難しくなるのに」

 「へえ」と、静かにわたしの話を聞いていたトムの口角が上がった。「そこに気がついたか。ちょうど僕も同じことを考えていた」そう言いながら長い足を組み替えそこに肘をついた。

「今の時点では判断し難いけれど、カマをかけたという可能性が高い。おまえの言う通り探りを入れていることが僕に伝われば懐柔したり媚を売ったりと何かしらの行動に出るとでも踏んだか。生憎僕はそこまで考えなしじゃない」
「……よくわからないけど。じゃああの質問もカマかけだったのかな」

 ぽつり、と零れ落ちた独白はトムの耳に入り「どういう意味だ」と訝しげに尋ねられたことで独り言ではなくなった。いや別に大したことではと言うと「それは僕が判断する」と一刀両断される。無駄話は嫌いなくせにと思いながら、記憶を少しだけ遡る。

「トムの態度の違いについて何か思わないかとか、気になることはないか、とか。あとは、わたしにとってトムはどんな人間、存在なのかって──────」
「──────そうか」

 最後まで言い終わる前にトムの呟きで遮られる。その小さな声を聞き取れず思わず聞き返し隣のトムに顔を向ける。トムは、傍に置かれたランプの火をじっと見つめながら何やらぶつぶつと口を動かしていた。それはもはや人に聞かせることを前提にしていない声量で、わたしは耳を*てトムの声を拾おうとするも全く聞き取れない。やがて口が止まったかと思えばそのまま静止し、沈黙が満ちる。思考がまとまったであろう頃を推測して「それで?」と話を促せば、彼はややあって口を開いた。

「ダンブルドアは、おまえを精査していたんだ」
「………?」
「ダンブルドアが僕に目をつけていたのは間違いない。最初は僕の根本を知るためにおまえに近づいたのかと思ったが、違う。勿論それも加味しているのだろうけど真の目的は別だ。おまえにとっての僕の位置関係を見ると共に、僕にとってのおまえの位置関係をも把握しようとしていたんだよ」
「…………もう少しわかりやすく」

 トムの言い回しは些か難しすぎる。素直に降参したところ、普段ならば呆れ半分馬鹿にされるところだが今回ばかりは「つまり、」と自身の言葉を噛み砕いた。珍しいことに少し驚くもここで反応したらせっかくの分かりやすい説明がなかったことになってしまうかもしれない。そう思い、わたしは無表情を貫いた。

「おまえが僕の共犯者なのか、それとも僕に操られているのかを判断していたということだ」
「共犯者?」
「ああ。おまえは地味で目立たないその他大勢の人間だ。そんな人間が僕といたらただの腰巾着なのではと普通は思うだろう。しかし僕が孤児院でしていたことを暴いた時おまえは一切動じなかった、何故なら全て既に知っていたから。そこで僕を疑っていたダンブルドアは考えた。この一件目立たない少女は憐れな操り人形なのではなく、もしやトム・リドルに加担する共犯者なのではないか、と」
 
「その疑心を確実なものにするために、おまえにそんな質問をしたのさ」と、
まるで難しいパズルを解いた時の子供のようにトムは笑った。共犯者。わたしが、トムの。

「その質問に好意的な、あるいは友好的な態度で答えていれば操り人形だと判断されていたかもしれないな。何と答えた?」
「いや……答えてない。それどころじゃなくて」
「ああ。おまえ、視たんだろう?しかもよりにもよってそんな状況で」
 
 馬鹿だなあとでも言いたげに、いや実際そう言ってトムは鼻で笑い飛ばした。その様子にムッとして非難するように睨みつける。

「笑い事じゃないよ、大変だったんだから。トムが通りがかったから何とかなったけど完全に誤魔化せてないし」
「誤魔化すも何もその眼を見られたら言い逃れできないさ。おまえが思っているよりもずっと異質なものなのだから」
「………そう、かな」
「そうだよ。現にあのダンブルドアの豹変っぷりは見ものだったろう?まず間違いなくおまえもブラックリスト行きだな」

 クツクツと喉で笑うトムは心底意地が悪い。しかし、そうか。ブラックリストは言い過ぎでも、わたしはダンブルドアに目を付けられたということになる。わたしが何をしたって言うんだ。トムのような悪事は働いていないのに。

「それに。恐らくは僕の共犯者だということについても確信を得ているだろうから、明日からは慎重に振る舞えよ」
「………え?」
「ここでは他人でいようと思っていたが、やめた。僕とつながりがあると思われているのであればこれを有効活用しない手はない。くれぐれも、下手な真似をするなよ。おまえは僕の─────共犯者なんだから」

 ニヤ、と口許を歪めて笑ったトムの黒い瞳はランプの灯りを反射して炎のように赤く揺らめいた。ああ、この顔はとても見覚えがある。トムが何か良からぬことを企んでいる時の、悪い予感を運んでくる顔だ。ゆらりと昏い赤に染められた瞳に見つめられ、わたしはただ神妙に頷くことしかできなかった。

「同じ穴の狢………」
「何か言ったかな?」
「いえ何も」

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