Before Him All Shall Scatter.
懐かしい夢を見た。まだオレが獣だった頃の。
あの頃から比べてオレは人間≠ノ近付けているのだろうか。
ゆったりとした覚醒に、重たいまぶたをこじ開ける。
見上げた天井はぼやけていたが、微かな見覚えがあった。
どこだったろうか、と考えながら耳をそばだてる。
聞こえてくるのはバタバタと忙しそうに走り回る足音、そして聞き慣れた品のない騒ぎ声。
ああ、ここは四番隊の救護詰所だ。
寝ぼけ眼にここに居る経緯を思い返す。
そうだ、こんなところでのんびり寝ている場合じゃない。
慌てて身体を起こそうとして、その重さに驚いた。
ぐらり、と突然襲い掛かる目眩に頭が揺れる。
身体の異常に気付いてしまえば、呼吸すらも苦しいことを自覚した。
何か特殊な攻撃を受けたのだろうか。
いや、旅禍からの攻撃なんて一撃も喰らっていない。
攻撃を喰らう前に身体が動かなくなったのだ。
一体、この身体に何が起きたのだろうか。
不調を訴えるありとあらゆる箇所を無視して、無理やりに起き上がる。
寝台の横に置かれた眼鏡をかけて視界を確保したその時。
「!?」
どこかで大きな霊圧のぶつかり合いを感じた。
知っている。これは、この霊圧は隊長のものだ。
相手の霊圧は誰だか分からないが、見知らぬものではない。
もしかしたら、オレと殺り合ったあの旅禍かもしれない。
敵はまだ死んでいなかったのだ。
「行かなきゃ、」
有り難くも同じ部屋に置かれていた斬魄刀を杖代わりに、身体を引きずるように部屋を出た。
そのまま詰所を出てしまおうと歩みを進めれば、慌ただしくしている四番隊の隊士に見咎められる。
「…上條さん!?安静にしていてください!!」
「いい。もう、なんともない」
「なんともない人の動きじゃないですよ!?」
こうやって押し問答している間にも、霊圧のぶつかり合いは続いている。
早く、オレも早く敵を殺さなくちゃならない。
四番隊の制止を振り切るために無理やりに身体を動かして走り出す。
身体の感覚が遠い。どこかがバラけて崩れそうだ。
誰にも止められたくない一心で、隊長の霊圧に向かって走る。
普段であれば軽々扱えるはずの瞬歩を使う余力はなかった。
一挙一動毎に脂汗が全身から吹き出す。
どこもかしこも酸素が行き渡っておらず、意識さえも危うい。
それでも、足は止められなかった。
行かなければならない、と頭の中で誰かが叫んでいた。
必死に足を動かして体調の元へと向かう途中、別のところでも大きな霊圧のぶつかり合いを感じた。
他にも隊長格がやりあっているみたいだ。
オレの知っているものよりも大きく感じるが、片方の霊圧には覚えがある。
この霊圧は阿散井だ。ただ、もう一方のより大きな霊圧は誰だ。
あの橙頭以外にも力のある旅禍が居たのだろうか。
そして、時同じくしてもう一箇所でよく知った霊圧が2つ重なる。
どちらも慕う人物のものだ。それが、どうして。
先ほどから感じている霊圧のぶつかり合いは、本当に対旅禍のものなのだろうか。
オレが寝ている間に状況はどうなった。
ただ単に、侵入者を、敵を、旅禍を殺せば良いだけの話じゃなくなったのか。
さっきまで隊長の霊圧を追いかけることしか考えていなかった頭が混乱し始める。
今オレがするべきことはなんだろうか。
向かうべきところはどこだろうか。
限界をとうに超えている足はここで止めてしまったら最後な気がする。
それならば、とより不可解な組み合わせの元へと足を向けた。
「…綾瀬川、五席。檜佐木、先輩…」
「上條。来たんだね」
「お前、」
可愛がってもらっている同隊の先輩と、ずっとずっと敬愛している人。
2人が対峙する光景に足を止めれば、見ないふりしていた負担が全身に重くのしかかる。
途端に朦朧とする意識に、状況の理解が追いつかない。
それでも、必死に身体を動かして斬魄刀を構える。
「…オレは、どちらを」
殺せばいいのだろうか。
刀を抜いてなお、敵が分からないなんてことは初めてだった。
だって綾瀬川五席も檜佐木先輩も、オレを殺さない。
「指示を、ください」
「満身創痍って感じだけど、いけるの」
「…大丈夫、殺れます」
自分で判断ができずに指示を仰げば、綾瀬川五席が応えてくれた。
誰かの指示さえあれば、オレは檜佐木先輩を。
…斬れるのだろうか。
身体の不調故か、それとも迷い故か。構えた切っ先が震える。
「…そう、動けるのなら副隊長の霊圧を追って。ここは僕一人で充分だから」
「上條、…お前も旅禍側につくっつーのか」
「旅禍、側…?」
「ちょっと、うちの隊員を惑わさないでよ。ほら、キミもさっさと行く!」
お前も、旅禍側に。
檜佐木先輩の言うことが正しいなら綾瀬川五席は、いや、十一番隊自体が旅禍についたというのだろうか。
隊長が護廷十三隊を裏切った?
一体どうして、何の理由があって。
ただただ眠っていただけのオレには分からないことだらけだ。
処理しきれないあれこれを訊きたくて綾瀬川五席に目線をやっても、もう目前の敵≠ノ集中していてオレの方を向いてはくれなかった。
この場で情報が得られないのなら。
立ち止まって時間を無意味に消費している意味はない。
「…わかりました」
綾瀬川五席と対照的にずっとオレへと向けられている先輩の目線から、逃げるように踵を返す。
「ご武運を」
それはどちらに向けての言葉か、自分でも分からないままに放つ。
ただ、どちらにも刀を向けずに済んだことへの安堵は確かにあった。
無理な願いかもしれないが、どうか2人とも無事であるようにと祈りながら再び地を蹴る。
草鹿副隊長の元に行ってもたいした情報は得られないんだろうな、と半ば諦めながら霊圧を探れば、そこまで離れていないだろう距離に安堵した。
これくらいであれば瞬歩の使えない今の身体でも追いつけそうだ。
もう一度、重たい身体に鞭を打ったその瞬間。
ドドドドドド!!!
ーー恐ろしい程の霊圧に、空気が震えた。
今まで感じたこともないような強大な霊圧の方向を仰ぎ見る。
そこにあったのは双殛の丘。
…もしかして、朽木ルキアの処刑が始まったのだろうか。
そういえば今日は何日だ。
どれだけの時間、自分が寝ていたか知らないことに気付いた。
あの旅禍と殺りあった時には、処刑までに10日以上あったと思うのだが。
流石に自分がそれほどの期間を寝ていたとは思えない。
本当に分からないことだらけで嫌になる。
ここで足を止めるわけにはいかないと副隊長の霊圧を探り直せば、双殛の方向へ向かっているのを感知した。
それならば、このまま双殛へ向かおう。
処刑に際し各隊の隊長格たちも集まっているあの場所でなら、今の状況を知っている人がいるはずだから。
+++
常であれば考えられないような時間をかけて双殛の丘へたどり着いた。
ここに来るまでに何度か大きな霊圧がぶつかり合うのを感じた。
そして今、双殛の下にあるのは誰かまではわからないが、隊長格とさっきも感じた阿散井の霊圧だ。
綾瀬川五席と檜佐木先輩といい、死神同士で何故殺り合うことになっているんだ。
ただの旅禍騒ぎじゃなかったのか。
その答えが目前にあるような気がして、感覚さえも失いそうな足を懸命に動かす。
「やはり、あの4人の中で君が1番厄介だよ。阿散井くん」
丘の上では朽木ルキアを抱えた阿散井と、藍染隊長が殺りあっていた。
血濡れの阿散井が放った斬撃を無傷の藍染隊長が素手で受け止める。
説明なんてされなくても理解る。敵は、藍染隊長だ。
さっきは働かなかった本能が殺すべき相手を指し示す。
「君達4人に初めて会った時、僕は君達が『使える』と確信した」
未解放のままの斬魄刀が蛇尾丸の節を破壊した。
そしてそのまま、阿散井の背から勢いよく鮮血が吹き出す。
「いや、上條くんは別だったな。君も彼の戦い方を見たことがあるだろう?」
圧倒的な実力の差だった。
このままじゃ、駄目だ。
こいつは、オレを殺す人間だ。
だから、殺される前に殺さなくては。
相手の意識が阿散井に向いているうちに、口の中で解号を唱える。
「人の命令が分からない獣は、使いようがないからね」
自分が貶められている、そんなことはどうでも良かった。
矜恃なんてものはとっくのとうに投げ捨てて、未だこの身には戻ってきていない。
そんなもののために激昂して相手を殺し損ねる方が恐ろしい。
今出せる最速の動きで藍染隊長の首を狙う。
確実にその喉元を抉った、はずだった。
「ねえ、上條くん。そう思わないか?」
「っ上條四席!!」
朽木ルキアがオレの名を叫ぶ。
血が吹き出したのは藍染隊長の首ではなく、オレの体からだった。
右肩から左脇腹にかけて、焼けるような熱さを感じる。
「…ここまで来た上に刀も抜けるなんて、凄いじゃないか。意識を保つのがやっとだろうに」
投げかけられた台詞に体調不良の原因を知る。
「オレに、なに、を」
「勝手に暴れ回る獣に計画の邪魔をされても困るからね。動けないようにしただけさ」
いつ、どこで。
切っ掛けになった行為がどこにあったのか、記憶の中を探って思い出す。
あの時、湯のみを差し出した見知らぬ隊員のことを。
そうだった、殺しの手段は何も暴力だけじゃない。
自らの迂闊さに舌を打つ。
「実際にこうやって呼んでもいないのに舞台に上がってきてしまったわけだしね」
負わされた傷を庇うこともできず、うつ伏せに倒れ込めば、背中に更なる衝撃が与えられた。
ただでさえ掴んでいることが難しかった意識は、衝撃と共にいとも容易く刈り取られた。
「さあ、おやすみ」
