02

起きたら見知らぬ場所という既視感に名前はぼんやりと天井を見つめた。
木目模様の天井など、祖父母の家以来だ。
布団からむくりと起き上がり、辺りを見回す。
畳、障子。純和風の造りの部屋だ。
いつの間に眠ってしまったのだろうか。
ああそうだ。手当てしてくれた男の子と話をしてたら急に眠くなったんだった。
あの二人が運んでくれたのだろうか。
見れば服も変わっている。
これもあの二人がしたのだろうか。
一度ならず何度もお世話になりありがたい、ありがたいけど!
名前はなんとも言えない羞恥心にかられ、手で顔を覆った。
彼らは善意でしてくれたのだ。今度会えることがあればきちんとお礼をしないと。
そう思いながら顔をあげると、障子の向こうに人影が見えた。
名前は慌てて姿勢を正した。

「あ、起きられましたか」

部屋に入ってきたのは男だった。
名前は男を見て驚いた。
頭には黒い頭巾、上下黒の装い。その格好は漫画などでよく描かれる『忍者』と呼ばれるそのままだ。
コスプレかと思ったが、助けてくれた男の子の格好も見たことの無い服と草鞋だったことを思い出す。
名前は浮かんだ考えを、いやいやと否定した。
逃避行先が過去なんて。ありえない。


一方、忍装束の男─土井半助は名前を見定めていた。
善法寺伊作が乱太郎と共に連れ帰った女。善法寺から話を聞いた時は正直信じられなかった。
密偵がしょうもない嘘をついているのだろうと。
だが、彼女─名字名前を見て思ったのは、あながち嘘ではないのかもしれないだった。
見たこともない服を身に纏い、これまた見たこともないような荷物入れを持っていた。
極めつけは、その荷物入れに入っていた代物たち。
現在、学園長の庵にて荷物などの検分が行われているが、誰一人としてそれらの使い方が分からないでいた。道具に明るい事務の吉野でさえも首を捻るほどだ。
そして今。彼女を監視していた山本シナから起きたとの連絡を受け部屋に入れば、途端に彼女は驚きと悲観の様相を呈した。
一体何に驚いたのだろうか。
ひとまず話をしてみるべく、土井は名前の側へ近寄り声をかけた。

「お茶です。よければ飲んでください」

差し出された茶をごくりと飲みほした名前は笑みを浮かべ礼を言った。
土井は確信した。彼女は密偵の類いなどではないと。
一切の疑いを持つこともせずに湯呑みを手に取ったこと。
他者から与えられたものを何の躊躇もなく摂取したこと。そんなことをする密偵はまずいない。しかも忍者を養成するこの場所で。
密偵は否。ならば次に確認すべきことは決まった。

「お口に合ったようで良かったです。それにしても私を見て驚いていましたが、どうかされましたか?」
「あ、いえ……」

名前は言い淀み、視線をさ迷わせ俯いた。
土井は思った。やはりここに彼女の何かがあるのだろうと。
お互い言葉を発することなく、時間が過ぎる。
このままだんまりだった場合はどうしようか。質問を変えるべきかと土井が思案していると、名前の顔が上がった。
先ほどのような悲観の様子はない。しかし、瞳の奥に不安げな色が滲んでいた。

「本当に忍者なんですか?」

名前からの質問に土井は言葉に詰まった。
言葉から感じ取れたのは拒絶の感情。忍者などという存在を認められない。そう言っているように聞こえたのだ。
土井の無言を肯定と捉えたのだろう。
名前が小さな声で呟いた「やっぱり」を土井は聞き漏らさなかった。
何がやっぱりなのか。土井が問いかけるよりも先に名前は言葉を続けた。

「忍者なんて大昔の、それこそおとぎ話のような存在なんです。私のいた所だと」

おかしなこと言ってると思いますよね。
そう言うと再び顔を俯かせた。布団を固く握りしめる名前の手は震えていた。
私のいた所。その言葉から、彼女はこの地の者ではないと推察できる。
だが、忍者なんて大昔とはどういう意味なのか。それではまるで……
名前の言葉の真意を探っている中、突如目の前に転がってきた煙玉に土井は顔をひきつらせた。
このタイミングでですか?!と悪態をつきたくなったが、相手が相手。
小さく溜め息をこぼすと、土井は立ち込める煙から一歩後ろへと身を引いた。

「話は聞かせてもらった!」

立ち込めた煙が晴れ、現れたのは白髪おかっぱ頭の小柄な老人。
目の前で起きた突然の出来事に驚きを隠せないのか、名前の口はポカンと開いている。
どうやら本当に彼女にとって忍者とは未知の存在らしい。
土井は小さく笑みをこぼした。

「わしは大川平次渦正じゃ。名字名前さんと言ったかの。」
「はい。でも、どうして名前を?」

怪訝そうに眉をひそめた名前に、老人─大川平次渦正はにんまりと笑って答えた。忍者だからじゃと。
実際には善法寺から得た情報だが、茶目っ気のある老人の機転で、名前の警戒の色が薄くなった。
さすが元天才忍者。見事な楽車の術だと、土井は感服した。

「さて、名前さんは未来から来たのではないかの?」
本題に切り込む。
疑問ではなく、確信を得るための問いかけだ。
通常では考えられないお伽噺のような話。だが、しかしである。
情報精査は忍者のお家芸だ。検分の結果、目の前の人物の反応、それらから得た情報から「彼女は未来からきた迷子」が最適解だと大川は導き出した。
もちろん教師陣からは異論が出た。そんなお伽噺や、与太話の類いを信じるのかと。だがその仮説を覆せるほどの何かを出せる者はいなかった。
そしてその仮説が当たっていたことは、名前の様子から一目瞭然。
信じてもらえるなどとは微塵も思ってはいなかったのだろう。目を見開いた彼女から感じられるのは困惑と喜びだ。

「未来から来たなんて、信じてくれるんですか……」
「うむ!それにしても、よく正直に話したもんじゃ」

嘘も方便。時と場合によりその効果は高い。
記憶がないなど、嘘をつくことも出来たはず。
むしろそちらの方が良策だ。奇怪な目で見られることもない。上手くいけば同情心すら得られた。
それを選ばなかった理由を大川は問いかけた。何を思い、この娘が奇妙で不可思議な事実を述べるに至ったのかを知りたくなったのだ。

「実は少し迷いました。信じてもらえる訳ないって思いましたし。でも、私を助けてくれた男の子たちに、嘘をつきたくないなって思ったんです。
怪我を心配してくれて、おむすびをくれて、とても優しくしてくれたから。私が返せるものは何もないから、せめて誠実にいたいなって。
それに一度嘘を吐いてしまったら、辻褄を合わせる為にまた嘘をつかなきゃいけない。ずっと嘘を重ねるのは辛いですから」

人の本性は窮地にこそ出る。
取り繕うことは、相手を見て臨機応変に対応を考えれば良い。それこそ忍者の十八番とも言える。
反対に、己をさらけ出すことは存外難しい。
受け入れられるかは相手次第だからだ。
淀みなく言いきった名前に、大川は大きく頷いた。

「その心持ち気に入った!どうじゃ、ここに住んでみんかのう?」

突然の提案に名前は大層驚いた。
だがそれ以上に驚いたのは、後ろに控えていた土井、そして側で事の成り行きを見守っていた他の面々だった。

「「いきなりの思いつきにも程があります!!」」

天井から床下から壁から、一斉に姿を表したたくさんの忍者たち。
そろりと視線を巡らせた名前は、突如周りを囲んだ男たちに仰天し身体を縮ませた。
壮年の厳つい顔ばかり。無理もない。
大勢に詰め寄られ大川は声を張り上げた。

「ええい!もう決めたんじゃ!それとも何か、お主らこの右も左も分からぬ娘御を放り出すのか?」

その指摘に、誰もが反論をやめ口を詰まらせた。
見事な哀車の術じゃと大川は自画自賛する。

「しかし、お主らの憂いももっとも。名前ちゃんをまだ全面的に信用するのは難しいじゃろて、きちんと策は用意してあるわい」

言うやいなや大川はちらりと土井に視線を送った。
まさか。そう憂うと同時、土井は胃に手を当てた。
おそらく、いや絶対に面倒な展開になる。

「土井先生に名前ちゃんのお世話を任せる!」

ああ、やっぱり!
土井はきりきりと痛む胃をなでた。
は組のよい子たちで現状手一杯だというに!
しかし一介の教師、しかも一番若手である己に拒否権などあるはずもない。

「……はい。わかりました」
「さすが土井先生!では皆の者もそれでよいな。おお、そろそろおやつ時じゃ、詳細はまた後じゃ!」


解散と満足そうに声をあげ、煙幕と共に消えた大川とは対称的に、残された忍び達はうんざりとした表情だ。
溜め息をつき、項垂れている。一人また一人と部屋を出ていき、残った土井の顔色は中でもだんとつに悪かった。
名前は居たたまれなくなった。
明らかに自分の存在が原因だ。

「すみません」

何に対してか。そう問われると困るがとりあえず口をついて出た謝罪の言葉。
はっとした土井はゆるりと首を横に振った。

「いえ、貴女のせいではないんです。こういったことは、ままあるので」

そう、あの老人の急なわがままや思いつきは今に始まったことではない。
それに土井も名前の処遇については大川と同意見だった。
今彼女をここから放り出すことは見殺しにすると同義だ。
こほん。土井は仕切り直しと一つ咳払いをした。

「まずは改めて自己紹介しましょうか。私は土井半助といいます。先程の学園長の話の通り名字さんの世話係になります」

より柔和な雰囲気となった土井に向かい、名前は深く頭を下げた

「名字名前です。ご迷惑をおかけします、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いされました。
ひとまず、学園長の言う詳細が決まるまで、名字さんにはこの部屋で過ごしてもらうことになるかと」

軟禁のようで申し訳ないがと告げる土井に、名前は二つ返事で頷いた。
うろうろしては、監視係である彼に迷惑がかかる。
それよりも名前には気になることがあった。

「土井さんは忍者じゃなく、先生なんですか?さっきも土井先生と呼ばれてましたし」
「あはは、忍者で先生なんです」

ここは「忍術学園」という忍者の学校であるとの説明に名前は驚いた。
土井は学校を興したのは大川で長であること。そして先ほどまでいた忍者全てが教師で、名前を助けたのはこの学園の生徒であると説明する。
忍者の学校なんてあるんだ。それが名前の率直な感想だ。

「他には何か疑問はあるかい?」
「あ、私の服とか荷物とかはどこかにありますか?」

特に欲しいものがあるわけではなかったが、なんとなく行方が気になったのだ。
名前の質問に、土井はすまなそうに笑った。

「荷物は検分中で、まだお返しするのは難しいんです。やはり不可思議な物が多いので。着ていたものも同様です。すみません」
「えっ……あ、いえ。謝ってもらわなくても大丈夫です!その、土井さんが着替えまでしてくださったんですね……」
「え?!あ、いや!!それは私ではなく!!」

顔をうつむかせ、ぎこちなく言葉を紡ぐ名前の様子に、土井は慌てた。
着替えは山本シナという女性がし、自身は指一本触れていないと弁明すれば、名前の顔に安堵の色が浮かんだ。
誤解を産んでしまったと土井は申し訳なく思った。
見知らぬ男に裸を見られたなど、嫌に決まっている。
配慮にかけていたと土井が頭を下げれば、名前も早とちりしてしまったと頭を下げる。
ぺこぺこと二人して頭を下げる状況を打破したのは、どちらともなくこぼれた笑い声だった。



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