トウヤくん、怖い。
ハッキリと目の前で名前が言うのを聞いてしまった。発言した当事者は顔が真っ青になり、トウコはあーあーと頭を軽く掻いて面倒臭そうな表情をする。僕は真顔だ。苛立ちとかムカつきとかそんな腹が煮え立つ感情は出てこなかった。
偶々トウコに用事があって、出向いてみればトウコの隣に名前がいたってだけで、立ち話の一部が僕に聞こえてしまっただけ、それだけなのだ。
「それだけ?」
胸からムカムカした塊を吐き出そうと口を開けてしまえば、思ってもないことを言葉にしてしまう。名前の表情はますます怯える一方。なんだよ、その態度。苛立ちを抑えつけようと歯を食い縛るが、連動して目を細める始末だ。「あーもう、二人して黙り込むのやめて。トウヤ、あんたちょっと落ち着きなよ。」落ち着いてるって。そう発しようと口を開けるが、名前がごめん、の一言を言い突然その場から走って何処かに行ってしまった。
「なんなの、あんたら。」こっちの台詞だよ、ホント。トウコは呆れた顔で僕を責める。「追い掛けに行きなって。今ならまだ遠くに行ってないでしょ。」捕まえて謝ってこいとトウコに目で訴えられ、半ば強引に背中を押されそのまま名前が走った方向へ足を動かす。遠くまでは行ってないだろうが、何処に行ったのかは全く分からない。追う前にトウコに聞けば良かったかな、なんて返答も分かりきってるのに後悔をしてしまうのは弱気な証拠か。
名前、どこにいるんだよ。勝手に走っちゃってさ。全ての発端は僕にあるのだろうけど、なんで名前が僕を怖がるのかよく分からないし、そんな怖がらせることしたか云々を過去の記憶から探っても検討付かないし。考えれば考えるほど、疑問が沸いてくる上に走ったせいか思考を巡らせたせいか妙に暑苦しいモヤモヤが胸に溜まって息苦しい。本当に、何なんだよ。


まさかトウコに相談した事が、人にそれも悩みの種である当本人に聞かれてしまったとは最悪の一言では済まされない。それに一番聞かれたくない、相手を貶す言葉をダイレクトに聞いてしまったと言うのは…神は私を見捨てさえしたのだろうか。聞いた本人は、苦虫を噛み潰した顔で一言を吐き捨てた。あんまりにもその表情が見ていられるほど、私の精神は頑丈にできていない。トウコが止めに入れば、更に相手の機嫌は悪化する。居ても立っても居られず、その場を逃げるよう謝罪を置いては何処に行くかも考えず走り出した。息が切れるまで走り、あっと周りを見渡せば樹木しか視界に入らない場所に辿り着いた。ここは何処なんだろう。入ったこともない場所である以上、出口なんて分からずましてや無我夢中で走っていた訳で何処から入ってきたのさえ検討がつかない。本当にどうしよう。あれこれ考えては、あんな悪いことをした罰が当たったのだと神様に何度も許しを試みたり、怒らせた本人の嘲笑う顔が脳裏に映る。これだから名前は、どうしようもないな。幻聴でさえも聞こえてしまう。
ごめんなさい、ごめんなさい。トウヤ君。
ぼろぼろ落ちる涙を拭っては、喉奥から繰り返し彼への謝罪が出る。
もう、怖いなんて言わないから。
「だから何で怖いの?僕のこと」
不意打ちを突かれたよう、後ろから声を掛けられる。ぎこちなく振り向けば、謝り続けた本人が少し息を荒れて立っていた。母音だけの声音しか発せられず。アーボックに睨まれたコラッタのよう、体が強ばり動けない。
「黙ってちゃ分からないんだけど。」
彼は此方へ歩み寄り、溢れっぱなしの涙を指で払う。彼の行動に呆気を取られ、呆然とブラウン色の瞳を見つめてしまう。すっと近づいてくる深い褐色に目を奪われては、突如頬の痛みによって現実に戻された。不機嫌な顔をしたトウヤ君はこれでもかと私の頬をつねる。痛い、やめて。と突飛に声を荒げてしまえばバッと痛みから解放された。
「もう正気に戻った?」
うん、と反射的に口にする。「それなら良いけど…」トウヤ君はどこか怪しげな笑みを浮かべた。そして一拍空けて言葉を続ける。
「どうして僕が怖いのか、教えてくれるよね?」

ポケモンセンターの待機場所で、彼が納得するまで理由を細々と語った。彼はうんともすんとも、相づちさえ打たずただじっと聞いていた。話終えれば、「結局名前の考えすぎじゃん」だの揶揄した言葉を投げられ、深い息をつかれた。
「名前、ちゃんと聞いてね。別に僕、名前が嫌いなわけじゃないから。…不本意に怖がらせたのは謝るけど、故意にしようなんて微塵も思ってない。寧ろ…」
その言葉で区切り、また息を長く吐く。
「名前が好きだから、ついそうしちゃっただけだから。」
視線が重なり、ほんのりと彼の頬が赤く染まる。意味がよく飲み込めず、まじまじと彼を見てしまうが二三置いて言葉の主旨を飲み込めた際にはカッと顔が火照ってしまった。ええっと。言葉を詰まらせな真意を再度尋ねる。
「…雰囲気で分かるだろ普通。」
また睨み返られるが、頬の赤みによるアンバランスさでちょっと可笑しい。
「もういきなり逃げたりするなよ。名前を探すの、結構疲れるから。」
軽く頬を摘ままれ、釘を刺される。そう言えば、逃げるで思い出したがどうやってトウヤ君は私を見つけたのだろう。そんなことを言ってしまうと、もうやだこの鈍感女など非難を浴びせられた。

「好きだったら、がむしゃらに探すに決まってるだろ。」


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