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おじさんの名前は藤崎ふじさき浩司と言うらしい。藤崎さんと呼んだら「これからは師範とよべ」と言われたのでこれからは師範と呼ぶことにした。私も師範に名前を教えると「格好良い苗字だなぁ」と言われ、自分の神崎という苗字がそんなに良いのかと疑問に思っていたら師範が「神ってつくと強そうじゃん」と言ってきたので私もそれにはなるほど、と納得した。確かに強そうではあるかも。師範は私を納豆と呼ぶようにしたらしい。あれだけお嬢ちゃんお嬢ちゃんと連呼されていたから少し違和感を覚える。
そして、師範に私が両親に置き手紙だけをして家を出たことを話した。怒られることを覚悟していたけど師範はあまりその辺には興味が無かったらしく、ただ一言「お前行動力あるなぁ」と淡々と述べただけ。私自身両親のことについては負い目を感じていたので師範が深く追及してくる様子が無かったのは正直ありがたいとおもった。でもどうして師範はこんなにもゆるいのだろう。もっと大人は子供がこんな勝手なことをしていたら叱ったりするもんじゃないのか。
今は聞く気は無いが、話題の中に『親』関係の話を出すたびにどこか遠くを見つめる師範に私は密かに疑問を抱いていた。
そして次の日の朝から私の修行は始まった。どこから取り出したのか分からない竹刀を片手に師範はまさに『スパルタ』な修行を課せてくる。手始めにまずは私がどのくらいできるのか知りたいと言い出し、この山の一番下から頂上まで、更に頂上から一番下までの登山と下山を二時間以内にやってこいと言い出した。いや無理だろと思ったが「嫌とは言わせねぇ」というオーラを出している師範に反論することが出来ず私は走った。ただただひたすらに走った。結果二時間以内に帰ってくることはできず、十五分オーバーして私は戻ってきたのだがヘロヘロになった私を見て師範は「遅い!罰としてこれから腕立て伏せと腹筋それぞれ500回!!」と慈悲の欠片もなく言い放つ。でもこれは私からお願いしたこと。自分で言ったのに勝手に諦めるなんてそんな失礼なことはできない……!これも私は歯を食いしばって耐え抜いた。腕とお腹の筋肉が悲鳴を上げる。疲労から地面に倒れこむ私に師範はニッコリと笑って言った。

「これから三時間、山の中走ってこい」








修行を始めてから二ヶ月は主に私の筋力と体力を上げるために同じメニューを毎日やらされていた。あまりの苦しさに途中で吐いてしまうこともしばしば。それでも全く修行の手を緩めようとはしてくれない師範に私もどんどん気が引き締まっていく。毎日死ぬこと覚悟で挑まなければ私はきっといつか逃げ出してしまう。自分で自分を鼓舞し続け、ようやく師範から認められたのか私は次の段階へと移ることになった。次は実際に刀を持って素振りをする。これを一日に2000回。筋肉痛が収まる日なんて一日も無く、毎日その痛さに顔を歪めていたが三ヶ月経った頃には筋肉痛の痛さも意識しないようにすることを体が覚えはじめたようだ。刀を振るたびに師範から「型に癖がついてるぞ!!」と怒鳴られる。次に呼吸の仕方を教えてもらった。これは『全集中』と言うらしく、これを習得するには肺を強くしなければいけないとのことでまだまだ肺の弱い私にはできないと師範から厳しいことを言われてしまった。だから私は腕立て、腹筋、素振りに加えて毎日三時間必ず山の中を走った。でも夜になると外には出るなと言われていたから必ず決まった時間までには師範の家に戻って、家の中で藤の呼吸の型の練習をするようにしていた。
修行が始まってから早十ヶ月がたった頃。師範は素振りをしていた私の側にふらりと現れ「俺が教えられることは全て教えた。後はお前次第だ」と言って、それ以降私に修行をつけてくれることは無くなってしまった。焦る私。まだ何も感覚が掴めていないのに。全集中も全然できなくて藤の呼吸も全く扱えていない。これではいつまでも最終選別に行くことができない。修行を始めてから十ヶ月、私は初めて泣きそうになった。しかし、泣いたところで時間は止まってくれないし私が強くなるわけでもない。私はがむしゃらに鍛える。
修行を始めて一年。以前は三時間走り続けるのがあれだけ苦しかったのに、今では『たった三時間』と感じるようになった。この時から私は一日の走る時間を六時間に増やした。腕や足に筋肉がついてくるのが分かる。見た感じでは分かりにくいのだが、触ると確実に前とは変化している。自分の変化が嬉しかった。
そんなある日、山の奥まで走りに行っていたら初めて入った場所にここ近年の大雨によって落石したのか泥だらけの大きな岩がそこにはあった。私はこの岩を斬ろうと決める。この岩を斬った時が、私の認められる瞬間だ。
それから毎日、その岩と向き合い私は刀を振るう。ただ振るだけではなく、一撃一撃を藤の呼吸を使うことを意識して。勿論このときも腕立てや腹筋は毎日欠かさなかった。
ボロボロになって帰ってくる私を見て、師範はいつも何も言わずに夕餉を振る舞う。私も師範に助言を頼むことは無かった。だがある日、いつものようにボロボロになって戻ってきた私に師範は「納豆は第六感に優れているんだから、もっとそれを活かせ。藤の呼吸は第六感に長けた者だけが使うことのできる呼吸だ。刀を振るうだけで使えるのなら、誰にだってこの呼吸は使えてしまう」と、言ってきた。それは実に約半年ぶりの師範からの助言だった。このとき修行を始めてから一年と四ヶ月。私は次の日の修行から自分の『勘』を頼りに刀を振るうことにした。
変化はすぐに表れた。勘を頼りに刀を持つと「ここだ」というタイミングで刀が波打つのだ。まるで生きているかのように。どくり、どくりとその鼓動が手を伝って脳に響く。その瞬間に刀を振るうと綺麗に力を込めることができた。確かにこのとき私はナニカを掴みかけていた。

一年と半年。その日はようやく訪れた。
大きな岩の所に行くと、そこにはなぜか師範が居て岩を斬ろうとする私の様子をジッ…と見つめてきた。どこか哀愁の漂うその雰囲気に私は戸惑ってしまう。そんな私を見て師範は「斬れよ」と、真面目な声で言った。その言葉を聞いて私は気を引き締める。
……私はこの一年半、本当に頑張った。親の元を離れ、炭治郎達と会うために毎日毎日辛く厳しい修行をサボらずにやり遂げ続けてきた。
刀を手に呼吸をする。シィイ……という普段の呼吸とは違う呼吸音。

ドクンッ、と刀が波打った。


「藤の呼吸 壱ノ型 八重藤花やえとうか


いつも岩の硬さに阻まれ弾かれていた刀が、するりと通っていた。


この日、私は初めて藤の呼吸を使えたと同時に、あの大きな岩を斬ったのだ。

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