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「じゃあまたね、炭治郎」
「あぁ!またな、納豆」


言いたいことを全て言い合った私達は二年前のあの日のようにお互い手を振り、別れを告げてそれぞれの帰路についた。








支給された隊服が想像以上に重く、ただでさえ遠い師範の家までの道のりが更に遠く感じる。それでも家では師範が私の帰りを待っているのだと思うと、止まりたくなる足も自然と前へ前へと進んでいた。
……師範に早く報告したい。炭治郎との話でかなり時間を使ってしまったからその分速く足を動かさないと夜までに家に辿り着けなくなっちゃう。
途中で走ったりなど、出来る限り早く着けるようにと頑張った結果夜になるギリギリ手前ぐらいに師範の待つ家まで帰ってくることができた。そしてクタクタになった足を半ば引きずる形で家の戸を開き、「ただいま帰りましたー……」と言いながら中に足を踏み入れた。


「納豆か……?」


家の奥から師範の声が聞こえる。


「はぃ……そうです……。あなたの弟子で最終選別に行っていた納豆ですよぉー……」


師範の声を聞き、改めて帰ってきたのだと自覚した途端、足に限界が来たようでバタッとその場で崩れ落ちてしまう。起き上がる気力もないのでそのままの状態でいると、師範が慌ただしく部屋の奥から出てきた。


「大丈夫か……って、大丈夫じゃねぇよな」
「かなり、クタクタです……」
「仕方ねえ。起こすの手伝ってやるよ」
「ありがとうございます……」


師範が私の上半身を起こすと、肩に手を回して私を立たせてくれた。なんだかもうバタバタだ。お腹も空いたし、足は痛いし、地味に肩も痛いし。
はぁ……とため息をついたとき、不意に師範の大きな暖かい手が私の頭にポンと置かれた。


「よく帰ってきた、納豆。……さすが俺の弟子だな」


ようやく私の一年と半年の頑張りが認められたような気がして、気付けば頬を大粒の涙が伝っていた。

「……はいっ!」

……今日は何回泣かされたんだろう。











「──……そうか、その会いたかった奴には会えたのか。良かったな」
「はい!向こうも元気そうで安心しました」
「まあ、それはそうと。これで晴れて納豆は鬼殺隊に入った訳だが……大丈夫か?」
「大丈夫か、とは?」
「この最終選別でお前の目的はもう果たされた。つまり今は何の目的も無いことになる。その状態で鬼に立ち向かえるのか?」
「『目的』……」


最終選別を通過した祝いだと、普段より豪勢な食事を師範が振る舞ってくれた。そのご飯を師範と食べながら『私のこれからの在り方』について話していた。
師範の言う『目的』。それが私に無ければ鬼との交戦で私はあっという間に負けてしまうのかもしれない。私が辛く厳しい修行に耐えられたのは炭治郎や禰豆子ちゃんと会うため。最終選別で生き残ろうと踏ん張れたのも善逸が側にいて「死にたくない」「助けてくれ」と言ってきたり、炭治郎と「またね」と約束して別れたからというのが大きな要因。
師範は言う。「藤の呼吸の使い手は、成し遂げたいことがある時にこそ本来の力・・・・を出すことができる」と。
それ藤の呼吸関係あるのか?と思ったけど、師範曰く「関係大有り」らしい。
そして師範が何故藤の呼吸を作ったのか、という話を話し始める。



「俺は元々、『水の呼吸』を修得しようとしていた。でもいくら鍛練を積み重ねても水の呼吸を使えるようになら無くてよ。根本的に『俺には水の呼吸は合わない』と当時の師範に言われて凹んでたんだけどな。その師範に自分で呼吸を作ってみたら良いんじゃないかって言われて、俺はこの藤の呼吸を編み出した。……まあ、ここまでは誰でも何となく想像できる話だ」


師範は米を口に含み、咀嚼して飲み込むとお茶を啜って再び話し出す。


「俺は幼い頃に親に捨てられた子供だった。色んな家族の元を転々としては店の商売道具に使われたり、日頃の鬱憤を晴らすための道具になったり。俺からしたら『親』は全く良いものじゃ無かった」

「ぁ……」


思い出したのは、私が師範と初めて会った時のこと。私が師範に親を置いて家を出たことを伝えたとき、師範はボーッとしていて、それ以来も親関連の話題が出たときはいつもどこか遠いところを見ているようだった。
今までのそれは、師範に親に関しての良い記憶が無かったからなのか。だから私の家を出た行為に対しても無関心だったし、何も言ってこなかったんだ。
疑問に思っていた事が解消された事によって私の胸の中でモヤモヤとしていたものが無くなっていく。


「ある日、何となく『もう死んでもいい』って思ってお世話になってた家を夜中に飛び出した。大人達には見つからねぇように。夜中だっていうのに二年前の納豆みたいに山の中に入って、俺は鬼と遭遇した」

「えっ」

「俺もお前と完全に同じ体験をしたんだよ。鬼に襲われていたときに当時の師範に助けてもらった。事情を話して師範と一緒に暮らすことになって、俺の我儘で呼吸を教えてもらったな〜。『俺も師範みたいに鬼殺隊に入りたいんです』とか言って。結局水の呼吸は修得できなかったから師範には申し訳なかったけどな。でも師範は俺が自ら藤の呼吸を編み出したとき、俺よりも遥かに喜んでた。自分のことみてぇに」

「……良い師範ですね」

「嗚呼。……本当に良い師範だった」



そう言った師範の表情があからさまに曇る。その表情に私は嫌な予感が頭を過った。



「……今、その師範はどちらに?」

「────だ」




「十二鬼月の上弦の鬼に襲われて、死んだ」


師範が強く拳を握り締めた。爪が掌に食い込んだのか、師範の手から微量の血が滴り落ちる。師範のその金色に輝く瞳には、底知れぬ憎悪の感情が宿っていた。初めて見る感情的な師範の姿。その憎悪の大半は殺意で占められており、その『十二鬼月』とやらにかなりの恨みがあるのは一目瞭然だった。
「師範が殺された」。もしも、その立場が私だったら私はどうしていただろうか。師範のように憎悪に満ちた状態で鬼を狩っていくのか。それは分からないけど、多分私もその鬼を絶対に許せないんだろうな。
師範からしたら、その師範の師範はある意味『親代わり』のようなものだったはず。当時の師範が例えいくら親が良いものと思えていなかったとしても、師範の師範は、彼にとって良い親だった筈なんだ。そんな『家族』を殺されたとなったら……。こうなってしまうのも頷ける。


「俺は必ず師範の仇を討とうと鍛練に励んだ。師範を殺した『上弦の鬼』に会うときまでに『柱』並の実力をつけようとして。……でも、駄目だったんだ」

「駄目だったって……」

「任務中にその上弦の鬼と出くわした。満を持して俺は挑んだ。当時の階級は『甲』で柱にはまだ及ばなかったが。それでも実力は柱に劣るに劣らなかったと思う。けど、……俺は負けた。完敗だった」


師範は当時のことを思い返しているのか、これでもかというほど眉間に皺を寄せ、手に爪を立てて怒りを抑えようとしている。


「そのときの交戦で俺は右手と右足が使い物にならなくなった。今はもう大分良くなって山に侵入してくる雑魚の鬼は普通に倒せるまで回復したが、甲の鬼狩りとしては致命的な怪我だった。だから俺は鬼殺隊を引退して今じゃ一応・・育手ってことになってる」

「……そうだったんですね。でも一応・・って何でですか?」

「前にも言ったが、藤の呼吸は第六感が優れてなければ使えない呼吸だ。だから俺以外に使いこなせる奴なんていないと思ってたんだよ。……それがまさか、昔の俺と似た馬鹿な事をした小娘が使いこなせるようになるなんてな?」

「馬鹿なって余計じゃないですか!?」


私がそう反論すると、今まで顔をしかめていた師範がようやくいつものように豪快に口を開けて笑った。その姿に内心ホッとしてしまう。やっぱり師範はいつもの師範の方が良いな……。
師範には師範なりの後悔があって、今でも死ぬほど悔しい思いに駆られているんだろうけどあんなに怖い顔をする師範は師範らしくない。いつものように豪快に笑ってくれないと私が苦しくなるんだ。
師範はもう、私にとって家族のようなものだから。


「……なぁ、納豆」
「はい。なんですか?」
「お前はきっとこれからもっと強くなるだろう。そしてその分困難な壁にも沢山ぶつかることになる。でも決して忘れるな。お前には揺るぎない『才能』がある。心が折れてしまいそうになっても、己の可能性を信じて突き進め。そして…………死ぬな」
「……!」
「納豆に会うまでもう何年も独りだった。俺は師範と死別してから『家族』という暖かさをすっかり忘れてしまっていたらしい。だがそれを納豆は俺に思い出させてくれた。心からお前に感謝している。……ありがとう、納豆」


違うんです、師範。
私だってすっかり忘れていたんです。
……『家族』の暖かさを。


辛い鍛練の後に師範が家に居ることがどれほど私の中で救いになっていたか、あなたは知らないですよね。自分から家を出たといっても、やっぱり家族の暖かさは欲しくなってしまうんです。寂しくて、寂しくて、折れてしまいそうになった私を支えてくれたのは師範だったじゃないですか。炭治郎と再会できたのも、あなたのお陰です。感謝すべきは私の方なんですよ、師範。


「私の方こそ、ありがとうございました」


言いたいことがありすぎたせいで、私の口から出た言葉はたったその一言だけだった。
それでも師範は幸せそうに目を細め、一気に残りのご飯を口の中に掻き込んだ。









「師範。これはこれから私が鬼殺隊に身を置く上での新たな目的です」








「私が師範の分まで上弦の鬼の仇を討ちます」











反対されても可笑しくなかった。

でも師範は驚いたように目を見開くと、直ぐに優しい表情になって「ありがとな」とか細い声で言った。











「託したぞ、納豆」








「お前が倒すべき鬼は……──







────……『上弦の 』だ」










それから十五日後、届けられた私の日輪刀は澄んだ藤紫ふじむらさき色に変化した。

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