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初戦を突破した烏野の次の対戦相手は、一年で身長が2メートルもある選手のいる角川学園。東峰先輩や日向くんがその2メートルという高さに怯えて震えている。でも、そんなのはコートに入ったら関係無くなると私達は知っているから。だからこんな状態の日向くん達を笑いながら見ることができるんだ。


「に、にめーとる…でかい……」
「日向くん大丈夫?顔面蒼白だけど……」
「朝霧先輩……だ、大丈夫ですっ!俺、頑張りますからァッ!」
「うん、頑張って。応援してるから」


ポンッと肩に手を置いて励ましてあげるとボンッという爆発音と共に日向くんが顔を真っ赤にしてショートしてしまう。

「なぁ大地、この光景どっかで見たことある」
「奇遇だな菅、俺もだ」

澤村先輩と菅原先輩が遠い目をしながら私達を見ている。デジャヴでも感じているのだろうか。
こういう姿がやっぱり烏野らしいと思ってしまうのは私がこのチームを好きだからなのだろうか。烏合の集のようにも見えるがそれが逆に烏っぽくてなんか、すき。
最近、年寄りのように今自分が置かれている環境がどれほど恵まれたものなのかを改めて考えてしまうのだ。そしてその度に「あぁ、恵まれてるな」としみじみとしてしまう。


「おーい納豆!なにぼーっとしてんだ?」
「え!?……あ、なんだ夕か」
「なんだとはなんだ!」


また自分の世界に入っていた私の意識を呼び戻したのは夕だった。だが、私の言葉が気に触ったのかぷくっと頬を膨らませて私をジトッと見つめてくる。


「あはは、ごめんね。ただちょっと幸せだなーって思って」
「お?なにが幸せなんだよ」
「今の環境がだよ。こんなにも良い仲間に恵まれて私は幸せ者だなって。なんだかバチが当たりそう……」


怖い怖い、とおちゃらけたように言えば夕がよく分からないとでも言いたげな顔でキョトンとしていた。


「俺にはよくわかんねーけど、納豆が言うんだったらそうなんだよな……?」
「うんうん!」
「なら俺は、納豆に会えて良かったぜ!」
「…………へ?」


そして、ニカッと眩しい笑顔で笑った夕はそれだけ言うと龍の方に走って行ってしまった。


「え、まってまって」
それはどういう意図で言ったのかを教えてよ。

慌てふためく私を見つめるのは暖かい目をした三年生達だった。





「朝霧、ちょっとこっち来い」


第二試合が始まる少し前、私は烏養さんに手招きで呼ばれ困惑しながらも頷き小走りで烏養さんのもとに向かう。そこには、烏養さんだけでなく澤村先輩と潔子先輩のお二人も揃っていた。一体なんだろう、私に……。
不思議に思いつつ用件を尋ねると烏養さんが何やら言いにくそうに話し出す。


「この試合のベンチに入るマネージャーは朝霧、お前でいこうと思う」


烏養さん、澤村先輩、潔子先輩の三人の視線が私に集まるなか、私は烏養さんが言いにくそうにしていた理由が分かった。


「あの、なんで私なんですか?」
「次の試合、相手は2メートルだ。まず高さでは敵わない。その分重要になるのがいかに2メートルの奴のスパイクをレシーブできるかが今回の試合の鍵になると俺は思っている。勿論、レシーブだけに頼るって訳でもねーが」

烏養さんが頭を掻きながら次々と話していく。


「朝霧、お前レシーブ得意だったよな」
「…………」


なぜか思い出したのは牛島さんのスパイクをレシーブした瞬間の時だった。


「どうレシーブすれば取れるかなんて試合してみなきゃ分からねぇ。だから今回、お前をベンチに入れて2メートルを観察して貰う。小さなことでも良い。小さなことでも発見してそれをレシーブに生かす。──これは朝霧だから頼めることなんだ」


正直に言うと複雑だった。皆の役に立ちたいと思って磨こうとしていたレシーブという武器がこのような形で役に立とうとしていることは嬉しいんだ。だけど私がベンチに入るってことは潔子先輩が出るってことになる……。もしかしたらこれが三年生最後の試合になる可能性だって────「納豆ちゃん」


「きよこ、せんぱい…」


潔子先輩は悪戯っ子のような笑みを浮かべて私の頭を撫でる。


「大丈夫」
「……!」


その言葉が指しているのは私が不安に思っていたことに対してだろう。潔子先輩は澤村先輩の方にも向き直り「頼んだ」と一言だけ言った。


「おう、任せろ!」


潔子先輩と澤村先輩の心配しないで、と言いたげなその目と言葉に思わず視界が潤む。
私は次に繋げるためにココを精一杯頑張らなきゃならない。烏野の為にも、潔子先輩の為にも。

「──分かりました」

意思の籠った私の目に烏養さんがニヤリと笑った。


「やっぱり納豆がベンチに来たか!」
「おお、ノヤっさんの言った通りだな……」
「……夕、龍。うん、潔子先輩じゃなくてごめんね。私は私で頑張るから」


私の言葉に夕と龍は顔を見合わせる。恐らくいつもより塩らしい私の態度に驚いたのだろうか。でも残念ながら今の私にはテンションをぶち上げして夕や龍と接するよりも相手の2メートルの分析に集中したい。こんな私を潔子先輩は咎めるのだろうか。


「朝霧、あんまり緊張しすぎるなよ!」
「菅原先輩……はい、頑張ります……」
「……う〜ん。朝霧も割りと日向タイプの人間なのかぁ」


マネージャーの仕事の一つのスコアをつける紙をぐしゃり、と握り締めながら唇を噛む。昔から緊張したり自分に責任を感じたりすると唇を噛んでしまうのは私の悪い癖だ。
すると、目の前を通っていた日向くんがピタリと足を止め、目を真ん丸とさせながら私に向かって話しだした。


「あれ、もしかして朝霧先輩も緊張してるんですか!?」
「ひ、日向くん……。うん、ちょっとね……。私なんかに潔子先輩の代わりが務まるのかなって思ったら自信無くなってきて。マネージャーとしての役割を果たせるのかなって……」


私が胸のなかで渦巻いている不安を素直に口にだす。そうするとさっきよりも何だか楽になれるような気がしたから。ちなみに聞いてくれている日向くんはまるで自分のことのように聞いてくれていて、うんうんと頷きながら表情をコロコロと変えている。

「それ、なんとなく分かります。俺も最初そんな感じでしたから……。上手くできなかったらどうしようって思ってました。俺のせいで試合に負けたらどうしよう、とか…」

なんとなく、なんとなくだが私にも分かるように思えた。


「でも、今は違うんです。田中さんが最初の頃俺に言ってくれたんです。"ネットのこっち側はもれなく味方なんだ"って!」

「だから……朝霧先輩にも不安になることもあると思うんですけど、もっと俺達を信用して欲しいです。俺達はチームで仲間なんですから!」


後輩の心からの説得に私は自分の過ちと愚かさを痛感させられた。
……私は、皆を信用しきれていなかったようだ。


「……そっか、そうだよね」

私は思わずははっ、と笑みを溢す。


私は潔子先輩の代わりにマネージャーとしてベンチに入ることに罪悪感を抱きすぎていたんだよね。もしも負けたらこれが三年生達の最後の試合になっちゃう、なんて……何を当たり前のことを言っていたんだろう。
それは他の学校だって同じことで、マネージャーだけじゃなくて選手だって同じ。高校バレーはきっとそういうもので、そんな時間の中でいかに選手達の絆を深めていくのかというのが部活動の狙いだと思う。
けど、そんなことはどうだってよくて、この人達は試合に勝って東京体育館に行くことしか見えていないんだ。そのためだったら先輩も後輩も関係なくて。
次に進むために、次の試合をするために強い人をコートに入れるのは当たり前。今回はそれが私だったということ。2メートルの対策を考えることができるのはマネージャーの中では私だったから、私が選ばれた。潔子先輩もそれを分かっているからあの時私に託したんだよね。それは潔子先輩が私を信頼してくれていたから。
何を不安に思っていたんだろうか。
不安に思うことも、自分を疑うことも何一つ無かった。なにより、……仲間の勝利を疑うことも無かったのに。


「ありがとう日向くん。もう大丈夫だよ」


自分にできることを精一杯するって決めたんだから。今の私がそれ以外をすることも考えることも無いんだ。烏野が勝つために、全国に行くために、私だって────負けないんだから!!





一羽の雛鳥が、殻を破る音がした。