優しい世界であってほしい

物心ついた時から私の耳には花札のような耳飾りがしてあった。5歳の頃に両親に聞いてみたらこの耳飾りは私が2歳の時にお父さんが私の耳に付けたらしい。なんでそんなに小さい時に付けさせたのとお父さんに問いかけたら、お父さんはその大きくて温かい手で私の頭を撫でながら「もう少し大きくなったら教えてあげるよ」と言って肝心なことは教えてくれなかった。あのときはまだ子供扱いされてばかりだったからどうせ教えても大きくなったら忘れてしまうだろうと思われていたのかもしれない。
それから私は少しずつ歳を重ねていって小学校4年生になった時のこと。私は再びお父さんに問いかけた。この耳飾りのことを。
学校は耳飾りなんてしていっちゃ駄目な所なのに、先生達は私を見ても全く叱ってこない。だから友達からは「なんで納豆ちゃんは怒られないの?」とよく聞かれるんだけど、私自身もよく分からなかったからその質問には答えられなかった。
ある時、一人の男の子が先生に私を指さしながら「あの子いけないんだー!」と言ってきたことがある。どういう反応をしたら良いか分からなくて、ついに先生に怒られるのかもしれないと思ったら怖くて言葉も出なかった。だけど怯える私を傍らに先生が言ったのは「上倉かみくらさんの付けている“あの耳飾り”は良いんだよ」という言葉。ますますこの耳飾りの正体が気になった。
お父さんは「う〜ん…」と唸り、私にこの耳飾りについて教えるのを戸惑っている様子。最初の質問の時から5年近くもお預けを食らっていた私はどうしても答えが知りたくて、お父さんに「お願い!」と何度もお強請りをした。そうしたらお父さんは私のしつこさに根負けしたのか「分かった分かった」と言って諦めたように笑った。
フローリングの床の上で二人で正座。私はもう聞く気満々。お父さんはそんな私に苦笑いをする。


「その耳飾りはな、もうずーっと前から受け継がれてきた大事な耳飾りなんだよ。その耳飾りを持った家系が途絶えそうになったら別の家系に渡されてまた継承されていき、親から子へと渡っていく」
「なら前はお父さんがこの耳飾りをしていたの?」
「あぁそうだ。でももっっと前からあるんだぞ」
「じゃあどのくらい前からあるの?」
「何百年も前からだ!」
「え、すごーい!!そんなに前からあるんだね!」


先生や大人たちがこの耳飾りを容認していたのも、この耳飾り自体がこの地域に代々伝わる歴史ある物だから。だから私に子供が出来てその子に渡すまでは決して手放してはいけないよ、とお父さんは念を押してきた。私は何度も頷いて耳飾りに触れる。
この耳飾りはそんなに凄いものだったんだ!
そんな凄いものを身につけていることがとても誇らしくて、その話を聞いた次の日からはいつもより偉くなった気分で登校した。

その出来事から更に1年後。今度はお父さんの方から私にこんな話を持ち出してきた。


「納豆、お前に“ヒノカミ神楽”を継承しようと思っているんだ」


“ヒノカミ神楽”とはお父さんが毎年、この地域で行われる年越しと合わせた冬の祭りで12月31日の23時30分から1月1日の0時30分までの間、神様に捧げている舞のこと。綺麗な衣装を着て、土の上で裸足になり、あの寒い中1時間もの間、お父さんは舞い続ける。お父さんは私にそれを“継承する”と言い出したのだ。
あの綺麗な衣装を着られるのはいつもいつも羨ましかったけど、あんなに寒い中で舞うのは正直嫌だった。


「以前、その耳飾りについて話しただろう。実はなこのヒノカミ神楽もその耳飾りと共に受け継がれてきたものの1つなんだ。だから納豆にも、ヒノカミ神楽の12の舞を全て覚えて欲しい。そして耳飾り同様に継いでいって貰いたいんだ」
「……私にできるかなぁ」
「できるさ。なんてったって納豆は――――――――























「――――納豆は、何だったっけ…お父さん。もう忘れちゃったよ」


仏壇に飾られた両親の遺影を見ても、あの時のお父さんの言葉は思い出せなかった。
中学校1年生の冬。私の両親は二人で行った買い物の帰りに、居眠り運転のトラックに轢かれて帰らぬ人となった。

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