最後に笑うのは




「陛下、その任務、私にお任せください。このアモール、必ずや果たしてみせます」





最後に笑うのは




あれから3年、ようやく准将にまで上り詰めることができた。
ここはニフルハイム帝国、帝都グラレア。
初めて来たときは王都と違い、冷たい雰囲気に緊張が走った。だが、重大な任務、失敗するわけにはいかなかった。
レギス陛下から請け負ったそれは、スパイ。いや、正確には、自分から申し出たのだ。年々老いていく陛下、魔導兵の量産で力を得ていく帝国。その現状を打破するために少しでも力になりたかった。

ここに来て最初は兵力として力があることを示し、傭兵部隊へと参入した。暫くはそこに落ち着いていたが、グラウカ将軍に実力を認められ、この間准将として兵を纏める役に就いた。
帝国では時々召集があり、そこで伝えられる計画を王都へ流している。だが、簡単に帰ることはできないため、伝達機器を使用している。

慎重に、絶対に誰の目にも止まってはならない。



「アモール准将ー」

召集が終わり、廊下を歩いていると後ろから愉しげな声が聞こえてきた。
立ち止まり、首を少しだけ動かす。

「何か、宰相」
「いやぁ昨日のシガイ討伐、手早かったねー。予想より1時間も早く帰ってくるからさぁ、びっくりしたよ」

隣まで来るとこちらに向いて話し出した。
この宰相は常に笑みを浮かべ、芝居がかった動作をする。掴み所のない人間だ。

「そうですか。お褒めの言葉と受け取ります。それでは」
「ちょっと待ってよ」

足早に去ろうとすると腕を捕まれ、突然のことに眉間にシワを寄せ睨み付けてしまった。

「うわぁ、怖い怖い。そんなに怒らなくても良いじゃない?」
「怒っていません」
「んーアモール准将表情固くてさぁ、常に怒ってる風にしか見えないんだよねえ」
「で、なんですか」
「皇帝が話してるときも凄い睨んでるようにしか見えないからね、あれ」
「用がないならもういいですか」

呼び止めたくせに中々本題に入らない宰相に苛立ちを覚える。この男はよく話し掛けてくるが一方的に話して去っていく。
だから、今日もいつものように「またねアモール」と、最後だけ肩書きを付けずに名前を呼んでどこかへ去ると思っていた。
しかし

「ん?ダメだよ。待ってって言ったでしょ、オレ」

今日に限って本当に話があるようだった。
召集され伝えられたこと、それは停戦協定について。そしてそれが王都を襲う罠だということだった。
急いで報告をしたいというのに。

「そうだなぁ、ここだとアレだから…」

表情には出さないように、内心構えた。
アーデン・イズニアは鋭い。
この3年間勘づかれていないことが奇跡なのではないかと思っていたくらいだ。

「うん、そうだ。オレの部屋で話そう、ね?」

目を細め、第三者からしたらアクのない笑みを向けてきた。
だが、何も言わせないどこか厳かな雰囲気を感じさせた。
万が一正体がバレた時のことを考えると逃げ場のない所へ行くのは躊躇われたが、何を言ってもこの男は提案を曲げないだろう。

「5分で」
「はは、それは君次第かなぁ」

愉しそうに笑う宰相に僅かな恐怖を覚えた自分に驚いた。
私は弱くない。巨大なシガイが襲ってきても冷静に処理できる自信がある。
その私がここまで緊張している。
だがある意味ではまだ冷静に自分を分析できているのだから安心できた。

「さぁ、どうぞ」

宰相はドアを開け、中へ入るよう私の背に軽く触れた。

「…」
「ん?どうしたの?」
「用件だけ、ここでお聞かせ願いたい」

視線が交差する。
緊張を悟られないように、あくまで普段通り冷静に、じっと見つめた。
できれば中に入っても逃げ場を塞がれないようにドアの前に立っていたい。
だがそれを悟られてもいけない。
せめて用件を聞ければその後の行動の取り方を何通りか考えられる。

「良いけど、オレが言ったそれ、信じてくれるの?」
「…どういう」
「だってさぁ、用件なんて何とでも言えると思わない?…例えば王都のクリスタルの在処について君に聞こうかなと思ったとして、用件は君が聞きたくなるような言い方をすればいいんだから。そうだなぁ…帝国のこれからについて、とかね…?どう?これなら聞きたいと思うでしょ?」

相変わらず笑っているにも関わらず、男の見下ろす目は鋭い。
やはりこの男が気がついてないわけがなかったのだ。
腰に手をやりナイフの感触を確かめた。
心臓の音がうるさいくらい自分の耳に響いた。

「意味のわからない例え、です、ね…っ!」

素早く抜き相手へ向けた。
負傷させ逃げる隙さえ得られればなんでもよかった。だが

「な…」

ナイフを持った手は意図も簡単に捕らえられた。

「ああ、全く酷いなぁ…。危ないからこれも貸して?預かっておくよ、一応ね」

そう言うと反対側の腰にあった刀を取り上げられてしまった。
手からなんとか逃れようと対抗してみる。しかし

「っ」

骨が軋むような強さで握り返されあまりの痛みに声が漏れた。

「おとなしくしててくれたら何もしないからさ」

そう言うと引っ張られて部屋の中へ放り込まれた。
バタンとドアの閉まる音とガチャリと施錠される音が響き渡った。

「適当に座りなよ」

男はいかにも高そうなソファーに腰掛ける。
私は立ったままその場を動かずドアを横目で見た。

「立ちっぱでも良いけどそのドア内側からもこの鍵必要だからどうせ開かないよ」

全ての言動が見透かされている。私は人生で初めて打つ手を奪われた気がした。

「だから、ね?座りなよ」

机を挟んだ向かいのソファーを指される。有無を言わせないそれに従う他なかった。

「やっと落ち着いて話ができるね、アモール」
「…」
「いつも忙しそうだったでしょ?まぁそうだよね、情報はなまものだから新しい内に報告しないと意味ないもんねぇ」
「…」
「いやオレもね、これでも気が付くの遅かったんだよ?人の隠し事とか絶対にすぐわかるんだけどね、1年くらいわからなかったよ、ほんとほんと。いやぁ、さすがだよねえ」
「その勘に障る話し方を止めろ」

大袈裟なジェスチャーに煽りのような物言い、わざとなのはわかっているが耐えるにキツかった。

「へぇ、これは驚いた。武器もなくて敵地だっていうのに態度変わらないどころか酷くなるとはねぇ…ははっ」

そう言うと男は立ち上がり近付いてきた。
本当はすぐにでも距離を取りたかったが逃げられない部屋の中で恐怖の鬼ごっこをやる気にはなれなかった。

「んー本当のアモールが見れるなら別に良いんだけど…一応今オレの方が随分優位だと思うんだよね。だからやっぱりさ?そこはちゃんとしないとよくないと思うんだよねー」

すぐ隣に腰を下ろし私の肩を掴み寄せ、「どう思う?」と言ってきた。

「…」
「ねえ…?」
「…」

ここで下に出てはいけない。男を視界に入れないようにただ真っ直ぐ前を見つめていた。

「何か言いなよ」

怒りを含んだ声色に、初めて、恐怖に体がビクッとした。

「なーんて、ご要望にお答えして話し方変えてみたけど、やっぱりこっちの方がオレ楽なんだよねー。あ、でもアモールがどうしてもって言うなら変えるよ?ん?どうする?」

肩に腕を回されている状態なのだから私の体が震えたのは確実にわかっているはずだ。
それなのにこの聞き方をするというのは余程性格が歪んでいると言えるだろう。

「…勘に障る話し方のままでいい」
「はは、やっぱ君ほんと面白いね。何その言い方」

腕は肩から外れ、私の後ろの背もたれに置かれた。
多分この男を前から見たらふんぞり返っているような体勢をしているのだろう。

「1年くらいしてさ、ある召集の時にね、殺気を感じたんだ。それもかなりの。出所探したら君からで。その時の内容が『このままいけばレギスは魔法障壁の領土をもっと狭めることになるだろう』的なことだったんだよ。それでピンときたってわけ。その後は様子を伺っていればね、情報を流す瞬間を見て確信へ繋がったよ」

嬉しそうに話す男にもはや隠さず殺意を向ける。

「ほんと怖いなぁ」
「思ってもないことをよく言えるものだ」
「これでもちょっとは思ってるんだけどなぁ」

クックッと喉を鳴らし笑う。
隙を伺ってはいるが、全く見当たらない。

「それで、私をどうする。悪いが何も答える気はない」

先程の例えからしてインソムニア内部について聞かれると考え、先に私の意思の固さを言っておこうと思った。

「んーじゃあキツ目に問いただそうかな?勿論苦痛に耐えきれなくて自殺なんてことはさせないようにしてね?」

顎を掴まれ、強制的に目を合わせられる。相手はこの状況が面白くて仕方ないという目をしていた。

「冗談冗談。拷問なんて時間も労力も勿体ないからしないよ」
「…」

もはやどれが本気でどれが冗談だかわからない。

「君は殺さないし帰さない」

不意に真面目なトーンでそう言い放った。

「…意味がわからない」
「当たり前だけど今後王都に連絡も入れさせない」
「どういう」

言ってる意味を整理できず、疑問が頭を巡る。

「このままこっち側になって?」
「…は?」
「帝国の人間になろう?」

表情は笑みを絶やさないが、本気で言っていることがわかった。

「…呆れを通り越して笑えるな。なると思うか?」
「思うよ。だってオレがさせるからね」
「帝国に協力するはずがないだろう」

ふざけるな、と小さく呟き嫌悪を表した。

「まぁ言ってなよ。これから君にはオレの言うことだけを聞いてもらうよ」
「断る」
「うんうん、そうだよね。でも聞くと思うよ」

声色から明らかに何かを企んでいることが感じられた。

「…何をするつもりだ」
「オレさ、魔導兵やシガイについて詳しいんだよね。先駆者だし」
「それがなんだ」
「軍隊と違って指示とかオレ自由に出せるわけ。まぁ軍だってどうにかしようと思えばどうにでもなるけどさ」

言いたいことが、わかった。

「名ばかりの停戦協定とは言っても被害狭めたいでしょ?」

停戦協定は罠。インソムニアは襲われる。
つまり、その被害の範囲を広めたくなければ…

「アモールがオレの言うこと聞いてくれるなら考えてあげなくもないかなぁ」

言うことを聞けと言うことだ。

「どうする?」

私にはもう逃げ場もない。
生きるなら、この手を取るしかないということだ。

ならば、せめて。

「ひとつ聞く」
「ん?なに?」
「私を殺す気はないのか?」
「ないよ」
「何があってもか?」
「んー武器持たせないし部屋から一人で出させないし。それにオレ、君を気に入ってるからさぁ」

首筋に指を這わせてきた。気持ち悪い。

「…なら殺したくなるような要素を作ってやろうか」
「?」
「勿論私だって殺されたいわけではない。だがお前に主導権全てを握られて生きるなんて地獄のような日々は過ごしたくもない」
「気になるね。なに?」

生きられるなら、それは生きたい。
死んでいった仲間のためにも、生きる手段があるならその道を選ぶべきだ。
例え地獄のような日々だとしても。
けれど希望のない、光のない毎日など生きているとは言えないのではないだろうか。
だから、私は光を掴んでやる。



「私はお前のくらーい秘密を知っている」



鎖骨を滑らかになぞる指が止まった。
男の瞳の奥に、鋭い憎悪を抱いたのを見た。

「…へぇ?」
「ふふ…初めて動揺したな?」

今までの立場が逆転したかのように、優越感に浸った。

「…で?」

早く言えと言わんばかりの圧力。しかしもうそれは私を脅かさない。

「仕返しだ。少しくらいいいだろう。そうだ、逆に問おうか。なんだと思う?」
「あんまりオレを怒らせないで?」
「あぁ、怒ったんだ?」

口角を上げて煽るように言い放った。
その瞬間、左手で腰を、右手で肩を掴まれ、押し倒された。

「表情に余裕がないよ?『アーデン』」

片手が首を捕らえた。決して強くはないが、その手には怒りを感じた。

「殺さないんだろう?」
「殺さないよ。だから言いなよ」
「まぁ楽しめたしもういいか。これはね、本当は持って帰って伝えようと思ってたことだった。だから誰にも伝えてない。もう手段のない私には誰にも伝えられなくなった。つまり、価値がなくなった。けれど、今、まさにいま、価値を見出だした」

それは希望の光。

「御託はいいよ」
「宰相殿の真似してるんだ」
「オレ、気長い方だけど、なかなかイラつかせるね」
「取引だよ、シガイの王様」
「!」

初めて、アーデンは本当に驚いた顔をした。

「宰相殿の目的まではわからない。だが邪魔をすることはできそうだと思わないか?水面下で何かしようと企んでるのはわかってる。邪魔をするか、どうにかして広めるか。どう?殺したくなった?」

少しの沈黙のあと、私の髪を弄りながら冷たい目で見下ろし薄く笑う。

「結構驚いてるよ。聞いてもいいかな」
「いいよ」
「どうやって知ったの」

この質問は想定の範囲内。

「信じないと思うけど、感覚だ」
「感覚?」

無言でうなずく。

「正確には、シガイには触れられたもんじゃないんだ、私は」
「なにそれ」
「言ってしまえば今もお前に触れられてるところは違和感だらけだ」

そう言うとアーデンは肩に触れていた手を離し、そこを見つめた。

「幼い頃シガイに襲われて両親を亡くした。その時死んでもおかしくないくらい濃密にシガイと関わった。重症だったんだ。そして普通はあり得ないことが起こった。シガイの元、寄生虫が微量だが入ってしまったんだ。ちなみにそれは大人になって気が付いた。ハンター擬きのことをやっていた頃、シガイ駆除の時だけやたら体の内側が苦しかった。過去を思い出してシガイと関わったのは幼い頃のあの時だけで、何かあったとしたらその時しかないと。それで調べた。ルシスに伝わる書物もかなり探した。そこに一つ、寄生虫のことが書かれていた。流行り病で、王が治めたと」

アーデンの表情が一瞬、変わった気がした。

「寄生虫は本来シガイになるらしいが…微量だったためか、私に変化はなかった。ただ唯一、ほんの少しだけ日の光が眩しく感じた。更にシガイと対峙する度に入り込んだ寄生虫が共鳴したがった、もっと仲間が欲しかったのか。その苦しさが、アーデン、お前と会ったときにも感じたんだ。話す度に。さっき、情報はなまものだから早く報告しにいっていたと言っていたが、少し違ったんだよ。それも勿論あったけど、本当に宰相殿の前からすぐに去りたかったんだ、あまりに苦しくて」

今も、ね。と付け足した。

「君はシガイ化しないんだ」
「さぁ?微量だったお陰で抗体でもできたのかもしれないな」

こんなにしゃべったのは凄く久しぶりだった。
堅苦しい話し方に疲れていたのか、今はとても楽だ。

「ますます君を離せなくなっちゃったなぁ」
「せいぜい爆弾抱えて生きなよ。もしくはその爆弾を処分するかさ」
「処分ねえ…。面白そうだからやっぱりそれは止めておこうかなぁ」
「相変わらず変態のような男だな」
「あれ、なんか物凄く貶されてる?」
「帝国には、いてやるよ。いつか王都へ帰るために。いつか帝国を倒すために」
「いいよ。やれるものなら」
「皇帝を暗殺するかも」

アーデンはその言葉に吹き出すように笑う。

「させないよ、オレが」
「やはり変人だ。そんなこと言う輩は殺すだろう普通は」

私がそう言い放つと口尻をつり上げて

「何で殺さないんだと思う?」

と嫌味ったらしく言ってきた。

「知るか。己の楽しさ第一なんだろ」
「そうだね。その通り。でも1つとっても大事な理由があってね」
「なんだ…っ!」

気が付いた時には唇が触れていた。反射的に押し返すがびくともしない。

「ん…っ」

力を込めて叩くが逆に抱きしめられるように密着させられた。
ようやく離れると、真意不明の男を睨み付ける。

「君を気に入ってるって言ったけど、結構あれ本気でさ。欲しくなっちゃった」

あぁ、本当にこの男はわけがわからない。

「私は嫌いだ」
「ははっ。うん、知ってる。だからオレのこと好きになってね?」

まるで慈しむかのように頬をなぞってくる。そして一つ、キスを落とした。
アーデンは立ち上がり、内鍵を開けた。

「どうぞ?戻りなよ。この帝都にいる間は自由にしてあげる。でもオレが呼んだら来るんだよ?」
「このままどこかへ消えてやる」

そう言い放ち、開けられたドアから出て行く。
廊下へ出ると窓から日の光が指して眩しかった。
そう言えば、アーデンの部屋は窓はカーテンで閉じられていた。

「シガイの王様。少しだけは…」

同情してあげる、そう言いかけた言葉を飲み込む。この身ですら強く感じる日差し。しかしそれでも私にとっては光だ。
それが光にならず、闇でしか生きられないアーデン・イズニア。
彼の本心はどこにあるのだろう。

あぁ、そんなことは、どうでもいい。私は光に生きるのだから。
止めていた足を動かし、自室へ向かう。
その後ろ姿をまだ見ている人がいたとは知らずに。


「アモール。オレから逃げられると思わないでね?」




最後に笑うのは

(光か、闇か)