Moon Fragrance

あの夢と同じに



 小さな頃から同じ夢を見るの。王子様と森の中を楽しく話しながらお散歩する夢。時には歌いながら、時には手を繋ぎながら、時には白い馬に乗りながら。
 私とは違う、宝石のような澄んだ青い瞳。その王子様はいつも私だけを見てくれる。私だけを愛してくれると信じてやまなかった。
 でもそれを話すと皆に笑われてしまう。絵本の読み過ぎだ、王子様なんているわけないでしょ、って。だから誰にも話さなくなった、いつしか夢も見なくなった。
 夢はまぼろしなのだと現実を見始めたとき、またあの夢を見たの。

 ここは神羅学園。ミッドガル1の進学校であり、随一のお金持ち学校である。学園内の時計塔では、想い人同士で自分の名前が裏に小さく彫られた学年章のピンズを交換すると、その想いは永遠になるとかならないとか……。そんな噂が出来上がってしまう由緒正しい学校なのだ。
 私はこの場所に去年、2年生の春にいろいろあって転校してきた。
 もうすぐ梅雨に入りそうな、じめっとした空気が包み始めた季節。外は晴れ。既に日差しは夏のよう。空調は効いているはずなのに最近の気温が高いせいか、いまいち熱の逃げない教室で1人涼しげに教壇に立って司会を進める彼がいた。
 宝石のように澄んだ青い瞳のその人に、私は忘れかけていた夢を思い出してそれを頭から追い出した。
 神羅学園の生徒会長で、ここの学園長の息子であるルーファウス・神羅くん。学級委員まで兼任している彼は、頭よし運動よし、見た目もよしと非の打ち所が1つもない。なお、学園にはファンクラブまで出来上がっている。
 そんな彼は今、先日決まった今年の学園祭の出し物、劇の役決めを行っている。だけど思った以上に皆乗り気じゃない。私たちは3年生なので今年で最後。進学校であるため受験勉強に忙しく、本音を言うと構っていられないと言う人間が多い。しかも、劇の内容が眠り姫なんて。
 誰が言い出したのかは覚えてない。なんでもいいじゃん、言うだけ言えよの雰囲気で出された案がそのまま決まってしまったのだ。
 お姫様役になるのも地獄だし、王子様役が誰でも地獄じゃない? だって眠り姫って最後に王子様のキスがあるじゃん。いや、確かに寸止めかもしれないけどさ、一気にあることないこと噂が広がるよね?
 もう後ろで立ってる木でいいよなんて思いながら、あまりにもお姫様役と王子様役が決まらないので回ってきた箱に自分の名前の書いた紙の切れ端を入れる。
 当たりませんようになんて祈るとどうせ回ってくるのだ。ほら案の定。

「眠り姫の役はなまえ・苗字だな」
「え?」
「王子役は俺がやろう」
「えぇっ?」

 私だけじゃない。クラス中が阿鼻叫喚である。女子はそれなら私がやればよかったなんて言ってるし、男子はまさか会長職や実行委員で忙しい神羅くんがやるなんて思ってなかったと口々に言っている。
 あと私を睨むのやめて。運だよ運。私もみんなも運がなかっただけなんだよ。私だってまさか自分が選出されるなんて思ってないし、しかも相手役は神羅くんだよ!? 講堂で話す彼は何度も見ているけれど、会話をしたことなど1度もない。そんな相手がわざわざ立候補した!? くじ引き用の箱まで作ったのに!? わけがわからない私には出来ないよ、なんて針のむしろ状態でこの日を終えたのだ。
 クラスの文芸部員が1週間で仕上げてきた台本。ごく普通の、なんの代わり映えのない眠り姫の台本。
 ペラペラと流し読みしながら、最後らへんのページに目がとまる。やっぱりあるよねキスシーン。
 クラス全員に渡された台本は、ここでもやっぱり阿鼻叫喚を呼んだ。私に役を代わってくれという者までいたし出来ることなら代わってほしかったけれど、お姫様役はくじで決まったことだと神羅くんがねじ伏せた。
 その日の放課後から読み合わせが始まる。教室の机や椅子を後ろへとずらし、大きなスペースを作る。セリフのある者達は椅子を円に組み、座ってそれぞれのセリフを順に口にした。
 ナレーションから始まる。

ナレ:森の奥深く、木々が茂り、可愛らしい花が咲き乱れる場所に小さなお家がありました。3人の妖精と暮らすのは、16歳の誕生日を明日に控えた美しい女性。彼女は今日も森の中で軽やかな声で歌いながら散歩をしているのです。
姫:『私、子供の頃から夢を見るの。とても素敵な人なのよ。あの人の美しい瞳はいつだって懐かしく感じるわ。』
――森にいる沢山の動物たちに語りかけながら散歩する。
姫:『おばさまたちに夢はまぼろしなのよとよく言い聞かせられるの。でもわかるのよ。きっとあの人が私を愛してくれる人なの。』
――そして森の中で1人の男の人に出会う。この時は王子様だなんて気づきもしない。
王子:『私と以前どこかで会ったことは? いつもキミを夢に見るんだ。』
――1度手を触れられるが、なにも答えられずに森の奥の小さな家へと逃げていく。
王子:『待ってくれ。キミの名前を教えてほしい。』

 セリフを口にしただけで息苦しいほどに恥ずかしい。隣に座っている神羅くんが、そのままこの台本から出てきたような王子様そのものなのだ。この人と子供の頃から夢の中で出会っていたら、本当に恋に落ちているだろう。女の子なら誰でも、そんな彼は自分を愛してくれる人なのだろうと夢見るはずだ。でもその夢はまぼろしなのだ。
 何度も言うけど、なんの変哲もない眠り姫の台本。子供の頃、誰でも1度は読み聞かせてもらったと思うおとぎ話。夢で会ったことを疑わず、ただただそれを真実の愛だと信じて、悪い魔女の魔法で永遠の眠りについてしまったお姫様を助けるお話。私もそのお話を信じていた。
 これ、本番までに心臓いくついるの?
 謎に最後まで何度もドキドキさせられっぱなしだったけど、なんとか今日の読み合わせを終えて解散になった。
 机と椅子を元に戻してさあ帰ろうとしたところで呼び止められる。

「苗字」
「は、はい」
「なかなか上手いじゃないか」

 いきなり褒められて顔に熱が上る。上手い? 私、上手かった? セリフ読んでいただけなのに……。でもなんだか嬉しい。神羅くんに褒められたからかな。
 
「そ、そんな、神羅くんの方がほんとの……」
「ルーファウス」
「へ?」

 王子様みたいだったよと言いたかったのを遮られた。真っ直ぐな青い目で見つめられ、唐突に紡がれる彼のファーストネーム。戸惑っていると続きを言われる。

「ルーファウスでいい。なまえでいいか?」
「う、うん……しん、ルーファウスくんは劇やったことあるの? ルーファウスくんの方が凄く上手だったよ」
「いや、やっていなかった。相手がよかったみたいだな」

 透き通った流し目でそう言われて一瞬、心臓が止まった。固まって目をパチパチとさせていると、じゃあまた明日と言ってルーファウスくんは早足で教室を出て行ってしまった。相手が、よかったって言った……? どういう意味? どういう意味なの?
 しかも名前の呼び方までスマートで……。そういえば私、神羅くん、違う。ルーファウスくんとまともに話したのって今回が初めてだ。熱くなった顔をどう冷まそうかと考えていると、学園の時計塔が下校の時間を告げて我に返った。
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