Moon Fragrance

足りないもの(前編)
01



「ねぇ、ルー」

 リクの作業部屋のドアが開く音がした。もう昼か。リビングのソファーに腰掛けて本を読んでいたオレの後ろからリクの腕が回された。オレはそれをするりと抜けた。

「どうした?」

 触れて引き寄せたくなるのをグッと堪えて、平然を装って聞く。ここ最近、リクに触れていない。
 エッジへと引っ越してきて半年ほど。リクの店が少しずつ修理屋として街に浸透してきたころだった。リクは最近、忙しい。客と修理するものが増えてきて1日の大半を仕事に費やし、疲れも溜まり始めていた。夜になり、ベッドに横になればすぐに寝入ってしまう。また無理をしていると思えば、寝かしてやるしかなかった。新生活に、慣れは必要なのだ。

「……なんでも、ないよ」

 リクの目尻が悲しげに下がったのが分かった。これはどうにかフォローを入れなければならない。

「リク、今日は――」
「あ、私、まだやらないといけないこと思い出しちゃった」

 今日は少し仕事を抑えて、あいつらも早々に帰らせて夜はゆっくりと過ごそうと言いかけて取った手は解かれた。
 リクはごめんねと言い残し、階下へと下りて行った。1階にある店のカウンターの奥の部屋は大型電気製品の作業部屋だ。きっとそこに籠もるつもりなのだろう。
 リクは決してオレを責めようとはしない。そこらの女のように感情的に喚くこともない。自分で全て抱え込んでしまう。だからこそ、大切にしたいと思う反面、扱いが難しい。
 今日は、リクの気持ちが落ち着いたころに話をしに行こうという考えは、手遅れになるのだと学んだ日だ。リクは行動が早い。
 その数分後か、買い物を済ませて戻ってきたイリーナに声を掛けられるまで気付かなかった。

「社長、もう間も無くお昼ご飯にしようかと思うんですけど、リクさんはどこかに出掛けられたんですか?」
「いや、下の作業部屋に……、いないのか?」
「ええ。作業中の札が掛かっていたのでご飯にしましょうと声を掛けるのに覗いたんですけど、いませ……社長?」

 オレはすくっと立ち上がると驚いた声を上げるイリーナを置いて階下へと向かう。普段は驚かせないようにノックをするが、それも省いて作業部屋のドアを開ければ言われた通りもぬけの殻だ。溜め息をついて中へと足を踏み入れると、机の上に走り書きがあった。
 ――夜には戻ります。ご飯はいりません。リク
 また大きな溜め息が出る。喧嘩と言われるほどの喧嘩にはならないが、夫婦喧嘩は犬も食わない。これはあいつらに任せる案件ではない。さすがに妻は自分の足で探さなければならない。

「悪い、イリーナ。少し出てくる。飯は、いい」
「しゃ、社長? 護衛を!」
「いらん」

 再び二階へと戻って少し顔を出しただけでイリーナに告げると、いつも掻き上げている髪を乱雑に下ろして、ジャケットも黒へと変えて家を出た。護衛を付けられないとなれば、せめてもの見た目は変えなければならない。
 彼女ならまず、どこへ行くだろうか。夜には戻ると書いてあった以上、遠くへは行かないだろう。まずは、あそこか。


  ―――※―――※―――


 最近、私は多くなってきた仕事に疲れてすぐに寝てしまう。ルーがなにか言いかけようとするし、抱きしめてくれる腕もどうしたいのか分かっていたけれど、応えてあげられなかった。正直言って、今もちょっと眠い。
 避けられた、んだよね。あれ、たぶん。
 私はとぼとぼと街を歩きながらさっきの自宅でのことを思い出した。するりと抜け出された腕は行き場が分からなかった。嫌われちゃった、のかな……。

「あれ? メイシンさんとこの女店主さんじゃないかい」
「こんにちは」

 エッジでは、お客さんや近所の人たちはその場所に馴染んできたお店を屋号で呼ぶらしいということに最近気付いた。個人の名前を知らなくても屋号で大体誰か分かってしまう。自分の旧姓の読み替え、実家の工場の名前をそのまま修理屋メイシンと名付けた。今はまだ、神羅とは出さないほうがいいことは理解しているからちょうどいいと思っている。

「この前、修理してもらった冷蔵庫だけどね。なんだか買ったときより調子がいい気がするんだよ。ありがとうねぇ」
「それはよかったです。またなにか壊れたら言ってください」

 最近は街を歩けば誰かがこうやってありがとうって話しかけてくれる。それは素直に嬉しかった。

「ああ。本当に助かるよ。でも今日はどうしたんだい? いつもハンサムな旦那さんと一緒なのに」
「今日はちょっと仕事の気分転換に出てきただけなんです」

 そう。今日は気分転換なんだ。大体、外に出掛けるときは軽く変装したルーが一緒だ。そして少し離れた所に護衛としてタークスの誰かがいる。それでも、ちょっとしたデート。いつも手を繋いで歩いている。でも今日はその誰もいない。お客さんに言われたことによって、手が少し寂しく感じた。
 お客さんはなにかをいろいろと話して、去って行ってしまった。ポツンと1人取り残されたように立ち尽くす私。いつも繋がれているはずの右手を見て、溜め息が出た。
 私はまたとぼとぼと歩きだす。気が付けば、エッジの中心にある記念碑まで来ていた。これは2年くらい前に召喚獣に1度壊されてしまった。それを再建造したのだ。ここまで来ると、家からは随分と遠い。それこそ、すぐに帰るには億劫になる距離だ。来た道と記念碑を見て、また溜め息が出た。

「おや、リクさんではありませんか」

 名前を呼ばれて振り返ると、久しぶりに会った男性が立っていた。


―――※―――※―――


「いらっしゃい。あれ? ルーファウスじゃない。ひとり? リクさんは一緒じゃないんだ」

 通りを2本ほど横切れば、見えてくるのは一軒の酒場だ。セブンス・ヘブンと書かれた看板。店のドアを開ければ女店主が笑顔と挨拶をこちらへ向ける。かつては相対したグループの1人。今はリクの友人だ。確か、ティファと言ったか。彼女はオレに視線を向けたまま不思議そうな顔をしていた。

「その反応ということはリクは来ていないのか」
「うん。今日は来てないわよ」

 当てが外れたか。リクの交友関係はこの付近ではここだけのはずだが、それならばどこへ行った。

「待ち合わせ、じゃなさそうだね。もしここに来そうなら、なにか食べて待つ?」

 リクも昼食を取っていない。彼女の食事量は少なく、気を配っておかなければ栄養補助食品で済ませたり、平気で食事を抜こうとする。外へ出て、もしなにか食べるならここへ来るかもしれない。そうさせてもらうか。
 オレはカウンター席へと腰掛けて、テーブルの上で緩く手を組んだ。

「軽いものを頼む」
「分かった。待ってて」

 そう言いながら彼女は背を向けたものの、チラリと振り返ってオレを見た。

「リクさんを探してるってことは、喧嘩でもした?」
「……女というのは、分からんものだな」

 自分ですら思う曖昧な言い回しはただの肯定だ。分かりやすく泣き喚いてほしいとは思わないが、リクはまだオレに遠慮している節がある。オレのなにがそうさせているのか。

「リクさんだけ、でしょ」

 目の前の女店主はできあがったのか、オレの目の前にホットサンドとサラダのプレートを置いた。真っすぐとこちらを見据えてくる目には、少しばかりの気の強さが窺えた。

「人ってみんなそう。大切にしたいものほど、分からないのよ」
「それは、お前もか?」
「そうね。でも大切にしたいから言葉でちゃんと言って、態度で示さないといけないことがある」

 言いたいことは分かる。ここ数ヶ月、できることならそうしたかったが……。いや、リクの忙しさを理由に言葉を飲み込んできた。先ほども、オレの欲など後回しでいいのだ。あんな悲しい顔をさせるなら、受け入れてやるべきだった。
 プレートの葉物にフォークを通して、緩慢に口へと運んだ。

「ねえ、あなた最近リクさんに似てきた?」
「どこがだ」
「どこがって、そうやって考えだしちゃうとこ」

 もう少し強引だと思ってたんだけど、と言って女店主は下を向いてグラスを磨き始めた。オレはふぅと一息ついて、プレートの残りへと手をつけた。気持ちのせいか、フォークが重い気がする。悪くないはずなのだが、久しぶりにリクのいない食事は味気なく感じた。
 考えだすもなにも、欲塗れだ。好きな女には触れていたいだろう。だがそうも言っていられないこともある。リクからのスキンシップは少ない。誘うのはほぼオレからで、彼女は求めるのを恥ずかしいことだと思っている。嫌がられているわけじゃないことは理解しているが、強引に行こうにも過剰になれば彼女だって嫌気がさすこともあるだろう。現に今は、忙しいのだ。
 そこまで考えて今日何度目かの溜め息が再び出た。言われた通り、オレはまた考えだしている。綺麗になったプレートを少し前へとやって立ち上がった。きっとリクはここへは来ないだろう。当てのない行動は好まないが、時間を無駄に使うわけにもいかない。メニュー表の値段をざっと見て、それなりの金額を多めにカウンターへと置いた。

「今日はお金はいいわよ」
「商売をするならその判断は賢くないな。リクはまだしも、私は友人ではない。受け取っておけ。世話になった」
「わかった」

 店を出ようと背を向ければ後ろから、ねえ! と大きめの声で呼びかけられて立ち止まった。

「あなたが思ってるより、リクさんあなたのこと大好きだよ」

 オレはその呼びかけに振り向きもしないで応えず、歩き出して店の外へと出る。リクはこの女店主になにをどう話しているのか、口元が綻びそうになるのをなんとか抑えた。
 さて、もう少し先まで歩いてみるか。このまま進めば、記念碑がある。早いところ見つけなければ。空を分厚い雲が覆いつつあった。
 広場へ出ると狭い道は完全に開け、ボランティアが再建造させた記念碑が見えた。とりあえずその近くへと行き、辺りを見渡すと新しくできたというカフェのテラスに見慣れた小さな背中があった。テーブルを挟んだその前には、また見慣れた顔もある。その相手の、リーブの表情は仕事の話ではなさそうだ。きっと彼女からの相談を受けているのかもしれない。リクの話を真っ先に聞いてやれなかった己を情けなく思った。
 少し様子を見ていると、先にリーブが気付いてオレのほうを見た。そしてそれに釣られたのか、振り返ったリクと目が合った。今は溜め息しか出ないが、迎えに行くか。
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