Moon Fragrance

足りないもの(前編)
02



―――※―――※―――


「おや、リクさんではありませんか」

 そう呼び掛けられて振り返ったそこには、WROの局長であるリーブさんが立っていた。久しぶりに会ったその人は、いつ会っても柔和な笑みを浮かべている。リーブさんのその顔は、いつも引っ張られるように落ち着いた。

「リーブさん。お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりです。なにか、ありましたか?」
「え?」

 リーブさんの問い掛けはとても穏やかなものだった。それでも私が困惑したような声を上げると、これも以前通りに困ったような笑みを浮かべた。

「なんだかそう見えてしまったのです。もし話せないようなことでしたら、そうですね……。時間も時間ですし、一時の気分転換にでも少し昼食に付き合っていただけませんか?」

 あそこのお店などどうでしょうとリーブさんが振り向いた先には、賑わい始めたエッジの街に新しくオープンしたカフェだった。店内席だけと静かなお店が多い中、珍しくテラス席の設置されたお店だ。
 私は静かに頷くとリーブさんの後ろをついて店へと入って、店員に促されて店内を通りテラスへと出る。そこからは先程の再建された記念碑が正面に見えていた。それを横目に私たちはテーブル席へと座った。空は曇り始めていたけれど、屋根はあるから雨くらいなら大丈夫だろう。辺りは少し湿った匂いがしていた。
 差し出されたメニューに私はミートパスタを注文し、リーブさんはデミグラスソースのオムライスを頼んだ。先に出されたレモン水に口をつければ、氷がグラスに当たってカランと音を立てた。そう言えば作業中から今まで何も水分を取っていなかったと思い出したときには、グラスの中身を飲み干していた。それを変わらず微笑みながら、どうぞと小さなピッチャーを傾けて新しくレモン水を注いでくれる。お礼を言うと、リーブさんが静かに口を開いた。

「お元気でしたか?」
「はい。仕事をするには元気でないと」
「ええ。いいことです」
「リーブさんのほうは……?」
「私も元気でしたよ。お互い忙しい身ですね。リクさんのほうも最近はお客さんが増えているようで」

 ありがたいことに本当にその通りで、個人で仕事をするのは初めてのことで仕事人間の自覚はあるけれどその反面、セーブの仕方がまだ分かっていない。

「私もあなたのおかげで大助かりしました。飛空艇のためにあれだけの人数の斡旋をして頂いて感謝しています」
「彼らも大きな仕事のほうが燃えると言っている人たちですから」

 数ヶ月前、まだエッジに越してくる前のことだけれど、WROの飛空艇士団のために多くの飛空艇建造に私の実家だった元鉄工所の従業員たちをリーブさんに紹介したのだ。彼らは今でもWROで飛空艇の整備やその他機材の整備を行なって職を得ている。そして私もたまにリーブさんに相談を受けながら手伝いに行くこともあった。言ってしまえば目の前にいる彼も、私のお客さんなのだ。

「お疲れなのでしょう」

 曖昧にはにかむ私にリーブさんがそう続けた。

「3年前、リクさんに初めてお会いしたときから思っていましたが、あなたはとても仕事熱心な方です。少し、息抜きがしたくなったのですよね」

 キョトンとする私にリーブさんはまた続ける。

「そういう時は気分が落ち込んでしまうものです。普段は思わないことでも、心配に思ってしまう。ほんの少し気分を変えれば、すぐにいいことがあるものですよ」

 注文した料理が目の前に置かれ、リーブさんは空気を切り替えるように明るい声で頂きましょうかと言った。リーブさんは丁寧に手を合わせてオムライスをひと掬いする。味わうように咀嚼して飲み込み、美味しいですよと微笑むリーブさんに釣られて笑ってしまった。
 私も手を合わせて置かれたミートソースパスタに手を付ける。ここの料理のソースはお店で仕込んでいるようで、トマトの酸味とひき肉の脂の甘さが合わさり、パスタにもよく絡んで本当に美味しい。
 最近はあまりゆっくりとご飯も食べてないな、今度はルーを誘って来てみようと思うと自然と顔が綻んだ。それを見ていたリーブさんが優しく笑っていることに気づかずに、私はパスタを口へと運んだ。

「ごちそうさまでした」

 綺麗に食べ終わったお皿を前にリーブさんと手を合わせる。

「楽しみを見つけられたようですね」
「はい」
「それはよかった」
「お恥ずかしながら、最近ちょっと忙しくて、彼となかなか話せなくて嫌われちゃったんじゃないかなって思ってたんです」
「そんなことはないと思いますよ」

 首を傾げると、ほらと言われた方向を見て驚いた。すぐそこまで来ていたルーと目が合ったのだ。彼も私を見つけたらしく、真っすぐにこちらへと向かって来る。さっきの誘ってみようという気持ちはどこへやら、緊張しだしてしまった。ルーの姿はカフェの中へと消える。

「大丈夫ですよ」

 私の緊張をよそにリーブさんが穏やかな声でそう言ったとき、ルーがテラス席に姿を見せた。その表情は固くも口元はうっすらと笑っていて、少し身構えてしまう。怒ってる気がする。

「妻が世話になった」

 ルーがそう言って、テーブルに2人分にするにも多い金額を置いた。

「お代は結構ですよ。私がお誘いしたのです。それと、奥様を迎えに来る顔ではありませんね」

 そう言われたルーは分かりにくくも居心地の悪そうな顔をした。

「ではリクさん。近々、お店にお伺いしますね」
「もしかして今日……! すみません」
「いえ、急ぎではないので。それではまた」

 リーブさんはそのまま伝票だけを持ってレジのほうへと行ってしまった。

「あ、お礼言ってない……」

 そうポツリと呟いて立ち上がり、リーブさんの後を追いかけようとするとルーに二の腕を掴まれてぐいと引き寄せられた。そのまま腰に腕が回って抱きしめられる。

「帰ろう」

 私のこめかみに当てられた唇が低く優しい声で囁いた。私はそれに躊躇いながら頷く。ルーは一度体を離してそんな私をなにか言いたげにじっと見つめると、彼らしくもなくテーブルに置いたお金を乱雑にスラックスのポケットへと突っ込んで私の手を取った。そしてそのまま、無言で私の手を引いて歩き出した。
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