01
研修でゴールドソーサーへとやって来た。研修というのは名ばかりで、アトラクションではなく細かい機器の定期点検のようなものだ。毎年数名が選ばれる中に、今年は入ってしまった。
就業時間は規定通りだから、仕事が終われば少しは遊ぶことができると喜んでいる同僚が多い。私もゴールドソーサーに来るのは初めてで、少しは楽しもうと考えた。だけど空から見たときの余りの煌びやかさに、1人で回るには萎縮してしまった。
恋人となった彼はここにはいないし、女友達は存在しない。今回は同期のミンスもいない。もうホテルの部屋で静かに過ごそうかなと決めたところで、ヘリが着陸体勢へと入った。
コスタからゴールドソーサーへと定期便のカラフルなヘリが飛ぶ中、遊園地に相応しくない社の黒いヘリが着陸する。課長や同僚たちに続いて、ヘリの妙な高さに、階段を下りるというよりピョンと飛び降りた。
「やあやあ、ようこそおいでくださった。私は園長のディオ。今年も我が楽園をよろしく頼む」
体格がいいというより、鍛えに鍛えた筋肉で大きな体の男の人が、筋肉を見せつけるようにポージングしたあと、腕を広げながら私たち整備士を迎え入れた。よろしくお願いしますと握手をした課長がなぜか顔を歪めている。
「今年は女性もいるのだね。仕事が終わればぜひ楽しんでいってほしい。バトルスクエアに来ていただければ、勇ましい姿もお見せできよう」
「はぁ……。ありがとう、ございます?」
ディオ園長の申し出に、私は気のない返事をしながら礼を言う。人が闘っている姿を見るのは、痛そうであまり得意じゃない。それに、恋人がいるから、かっこよかったとしても他の男の人にも興味ないかも……。
口元に笑みをたたえたディオ園長から視線をそっと外す。頭の中で、今日の仕事は監視カメラのモニタールームだったなと考えた。明日は同僚たちとチョコボスクエアのゲートをレースのない時間帯に点検だ。乗り物などはちゃんと専属のスタッフがいる。ここに配属されない限りは、メンテナンスで来ていても研修として扱われた。
同僚たちとは、それぞれ担当を任された場所へとエントランスゲートをくぐってから別れた。私もモニタールームへと向かい、指示をされた通りに黙々と仕事を進めた。特に難しいことも不具合もなく、今日の仕事を終えることができた。
夕食は自由だけど、その前に宿泊するホテルにチェックインを指示されていた。終業時間になってゴーストスクエアにあるホーンテッドホテルへと向かった。名前からして嫌な予感しかしない。
オートスロープを降りると、もう既に雰囲気がすごい。薄闇の林。朽ちそうな木に、荒れたお墓。3Dホログラムで映し出されたゴーストは、その辺りを歩き回っている。
ここ、通るの? 私はオートスロープの出口から動けなくなってしまった。同僚の誰か、来ないかな……。この際、課長でもいい。
「マックハインじゃん。おつかれ」
向こうに見える廃墟のような見た目のホテルを数分見つめていると、後ろから仕事を終えて戻って来たらしい同僚に声を掛けられた。飛び上がりそうになったけど、なんとか抑えて返事をした。
「お、おつかれ……」
「なにやってんの。行こうぜ」
「そう、だね……」
ちょうどいいことに、同僚の後ろをついて行かせてもらうことにする。離れないように小走りになりながら、歩き出した背中を追いかけた。これはプログラムされたもの。これはプログラム、プログラム!! 神羅のぎじゅ……!
その途中で荒れた墓石の前から、包帯がグルグル巻きにされた手がズボッと出てきて飛び上がった。後退りながら悲鳴をなんとか飲み込んで、同僚に気付かれていないかと見ると、飛び出してきた手を見てケラケラと笑っていた。
「おもしれーなこれ」
「はは……」
乾いた笑いを返して、明日もこの道を通らないといけないのかと思うと絶望した。仕事に行くのに1回、チェックアウトに1回、チェックアウトの帰りに1回? 計3回。ご飯、どうしよ……。心臓もつかな。
再び歩き始めた同僚についてホテルに入る。ロビーのフロントで同僚がベルを鳴らすと、天井から人が真っ逆さまに落ちてきた。
「ヒッ……!」
「いらっしゃいませ」
いきなりの思わぬ登場の仕方と、ホテルマンの人の包帯男のような姿、ひひひという笑い声に、流石に私は詰まった悲鳴を上げた。驚かすことができたからか、ホテルマンの人はなんだか嬉しそうだ。
同僚もビックリしたようだけど、すぐにまたケラケラと笑っている。そして固まってる私を見て、もっと笑った。
「大丈夫かよお前。珍しい反応すんじゃんか」
「ちょっと、驚いただけ」
そう。驚いただけだよ。こわ、くなんか……。というか私、珍しいって言われるんだ。
同僚が本社から研修に来た整備士だと名乗る。ホテルマンの人が逆さまのままで端末を操作し、私を4階、同僚を5階だと案内した。頭に血、上らないのかな?
「お出かけになる際は鍵をお預けください」
「は、はい……」
ということは、落ちてくるのも毎回見ないといけないのか。そう考えていると同僚が行こうぜと促した。エレベーターを呼ぶと、開かれたドアの前にいたボーイさんにも驚いた。
「地獄行きのエレベーターにようこそ」
「んぐ……」
同僚の前で悲鳴を上げたくないと、慌てて口を覆った。エレベーターの案内をしてくれているボーイさんは、ヴァンパイア?
しかもエレベーターの中は悲鳴やエレベーターをドンドンと叩く音まで聞こえる。流石に絶叫アトラクションのように落ちたりはしないよね?
「俺5階、こっち4階です」
「かしこまりました」
階数を告げる同僚は半笑いになっていた。
「俺さ、去年の休み彼女と来たんだけどよ。彼女すっげービビってて。腕に抱きついてくるから頼られるっていいよなーって思ったんだ」
同僚が私の様子を見てノロケ話を始めた。しかも半笑いは消えて、それどころか私を見ながら満面の笑みだ。
「彼氏作ればいいじゃん。そしたらそんな隠さなくていいかもよ? ミンスには黙っといてやるから誘ってやれよ」
「ちが……!」
「4階です」
「あ、はい……」
ボーイさんの言葉に、私はフロアに取り残されるようにエレベーターを降りた。明日なと同僚が言うと、エレベーターのドアが閉まった。
ミンスには悪いけれど、同僚はなにか勘違いをしている。それに、彼氏……と言えるような雰囲気の相手ではなく、恋人はいるけれど、彼はこの落ち着かないホテルに泊まるだろうか。
ぼーっと考えながら、私は自分の部屋のほうへと向かった。流石に部屋でくらいは落ち着きたい。そんな願いも虚しく、ドアを開けた瞬間にピョンピョンと跳ねて後ろへ下がる羽目になった。
「……っ! 加湿、器?」
ヘヤ ヲ カシツ シマスなんて言いながら、頭から霧を出し、喋るトンベリ型の加湿器が部屋の中をゆっくりと歩き回っていた。だって、誰もいないと思ってる部屋で、子供くらいの大きさのものが動き回ってたら驚くよ!
「もう……、もう!」
言葉が出てこなくて怒り気味に呟きながら、とりあえずトンベリ加湿器には充電ドックへと戻ってもらうことにした。そして突然、隣のドアのノブがガチャガチャと鳴ったから急いで離れた。
それからも部屋の奥に設置された、広いベッドに辿り着くまでに私は事あるごとに悲鳴を上げた。
私は怖がりすぎて疲れ、荷物を手の届くすぐ近くへ置くと、着替えもシャワーもほっぽり出してベッドに潜り込んだ。
「疲れたよ、このホテル……。落ち着かない……」
部屋の中にある本棚の本は勝手に落ちるし、窓に近付けばたくさんの手形がバンバンと凄まじい音とともに現れる。この広いベッドじゃなくて、こじんまりとしたベッドへ腰掛けようとしたらおもちゃの蜘蛛がたくさん落ちてきて悲鳴とともに飛び上がった。部屋の壁には動物かモンスターか分からないけれど、角のついた頭骨が飾られているし……。
余りの恐怖に、止められませんかとフロントに電話を掛けたら、部屋の灯りを落とせばギミックは止まると言われた。だけどこんな部屋じゃ真っ暗になれば余計に怖い。
「これじゃあ、寝られないよ……」
このまま眠れてしまえばこっちのものだとは思った。だけど夕食も入浴もまだだ。だからと言ってどこで部屋のギミックが作動するか分からず、もう部屋の中を歩きたくない。
でも寝るには時間が早すぎて、夜中に起きてしまうだろう。それはそれで困る。寝起きに部屋のギミックを見たら、叫び声を上げるどころじゃ済まなくなるはずだ。
軽食をリュックに詰め込んでくるんだった。こうなるって分かってたら、この安全なベッドの上で朝まで籠城できたのに。
どうすればいいか分からなくなっていると、部屋のドアがノックされる音がした。もう本物の音なのか、ギミックの音なのか判断がつかない。
悩んでいると、もう1度ドアがノックされた。たぶん、本物、かな? 私は意を決してベッドから抜け出ると、恐る恐るドアを開けにいった。
「はい……。ヒッ!」
ドアを開けると、私はここでも声にならない悲鳴を上げた。だって目の前に、本社で忙しくしているはずの彼が。神羅カンパニーの社長で、恋人になったばかりのルーファウス社長がいた。
私の小さな叫び声を聞いて、普段はルーと呼んでいる彼が、不満そうな顔をしていた。
「キミに怖がられるのは久しぶりだな」
あー、本社で再会した日のこと言っている。
「しゃちょ……、ほんもの、ですよね?」
「ああ。もちろん幽霊ではないし、替え玉もいない。今のところは」
今の、ところ? ってことは、いつかは現れる可能性もある? そんなどうでもいいことを考えてぼーっとしだすと、ルーが今度は笑い始めた。そして廊下を軽く見回すと、入れてくれと言って部屋の中へと身を滑り込ませた。
「あの、社長、今日はどうしたんですか?」
「経営に関して、ちょうどよく視察が重なっただけだ」
あ、そうか。ディオ園長は社員だし、ゴールドソーサーも神羅カンパニーの管理下なんだもんね。だから私たちも研修という名のメンテナンスに呼ばれるわけで。
それと役職ではなく名前を呼べと注意されて頷いた。
「今日の仕事は終わったんだろう? 私とデートしてくれ」
「で……、視察……」
「まぁそうだが……。いいタイミングでリクがいるのに、遊園地のゴンドラで男と顔を突き合わせたくはない。仕事終わりで悪いが、少し歩き回ることになる。構わないか?」
この部屋から少しでも外に出られるならと思うと、私は大きな声で、はい! と答えた。この部屋と、ルーを見たときに怖がっていた私の様子で返事の意図を理解したらしい彼は、不服そうに口の片端を吊り上げた。嬉しいけれど、デートに喜べなくてごめんなさい。だけどすぐに息を吐いて、綺麗にセットしていた髪を乱雑に下ろした。
「髪、下ろしちゃうんですか?」
「リクといるのに騒がれると面倒だからな。さっきのほうがよかったか?」
「いえ。その髪型も好きです」
そう言うと、ルーが微かに笑顔になった。
前にもルーのお屋敷で言ったことがあるけど、どっちの髪型も好き。普段見られない姿を見られるのは嬉しい。さて、私も用意しないと。ずっとツナギのままだもんね。
「着替えてきてもいいですか?」
「ああ」
「あの……」
「近くにいてほしいが、見るな、か?」
思っていることを的確に答えてくれて、私は頷いた。まぁいいだろうと言ってくれた彼に、私は振り返ってベッドのほうへと行こうとした。そして2、3歩ほど歩いた所で、ルーがいるから気が緩んだのか、今度こそ大きな悲鳴を上げた。
「ひゃあっ……!」
ルーが来たことで忘れてた。窓の手形のギミック……。大きなベッド周りは安全だから荷物も近くに置いてるんだけど、下手に歩くとセンサーが反応してこれだもん……。飛び上がった私を、ルーが喉を鳴らして笑っていた。
「なんて部屋だ」
心臓がバクバクと音を立てていて、あまりの驚きに呼吸も荒くなる。そんな私を大丈夫だと抱きしめながらルーが宥めてくれた。
「意外と怖がりなんだな」
「雰囲気があるのもそうですけど、いきなり驚かされるのは……。まだセンサーの場所とタイミングが分かれば」
ルーに寄り添ってもらって荷物を置いている大きなベッドへ来た。体を寄せてくれるだけで、随分と怖さがマシになる。
既に布団を被った跡と、荷物の配置を見てルーがクスクスと笑った。だけど、たまたま作動していないだけのセンサーはないかと、天井と壁の確認もしてくれた。
「ここは安全のようだ」
「ありがとうございます。最初、あっちのベッドで寝ようと思ったんです。腰掛けた瞬間、上から蜘蛛のおもちゃが降ってきて……」
それを聞くと、ルーが可笑しそうに笑った。
「さぁ、待っていよう」
まだ笑いながらも、約束通りルーは私に背を向けてくれた。そのあいだに、疲れて着替えすら放棄していた私はツナギを脱ぐ。そしてカバンから引っ張り出したTシャツとジーンズを着た。ルーが来るって分かってたらこんな服、選ばなかったのに。
「終わりました」
「ああ」
「すみません、いつもの服装で」
「構わない。少しそこで待っていてくれ」
「ルー?」
私を認めたあと、そう言ってルーは部屋を1度見渡した。ギミックを見たいのか、ジャケットを脱いでネクタイを外し、スラックスの装飾のベルトを外しながら歩き回り始めた。
窓のギミックももう1度作動させたし、本棚に近寄ると前触れなく勝手に落ちた本を拾って元の場所へと戻した。私のようにいちいち驚くことなく、平然としている。さっきの同僚もそうだったけど、男の人ってこういうの怖くないのかな。
「ルーは怖くないんですか?」
「ああ。ある程度は予測が立てられるからな」
「私、あんなに怖いのに……」
「雰囲気に呑まれているんだ。そのための薄暗さや音声、ホログラムだ。怖いと思うのは仕方のないことだが、成功と言っていいだろう。だがこの部屋では落ち着かんな。客がコンセプトを気に入っているなら言うことはないが」
売り上げも悪くないと言ってひとつひとつ脱いだ服を腕に掛けたまま、件のベッドへ近付いて腰を下ろす。そして私が言った通り、上から降ってきた蜘蛛のおもちゃになるほどと呟いた。そのあとすぐに立ち上がって、ドアノブがガチャガチャと鳴るドアへと近寄った。
ルーがドアノブを握って静かに開くと、ドアの向こうには部屋ではなく、迫力のあるトンベリの絵が描かれた壁があった。
「そのドア、部屋じゃなかったんですね」
「そのようだ。開けておくか?」
「いえ、開いてるのも、ちょっとした隙間も怖いです」
「分かった。近寄らなければノブは作動しない」
私を見て言うルーに頷いて了承した。近寄らなければ、いい。あのベッドも。
あとは壁に沿って歩き、ルーが大きめの木箱の前へと立ち止まった。少し考えたのち、手を伸ばして箱を開けた。
「わぁっ!」
「なにか出てくるだろうとは思ったが、目玉は予想外だったな」
離れているのにもかかわらず、ルーが箱を開けた瞬間に飛び出してきた2つの目玉に私は驚いた。ルーは可笑しそうに笑っているけれど、あれ、ビックリ箱だったのか。開けなくてよかった……。
「ギミックよりもリクの声に驚きそうだ」
「ごめんなさい……」
「だが、このホテルにとってはおどかし冥利に尽きるな。上客だ」
なおも笑いながらルーは部屋の中を移動する。最後にテーブルに近寄って、ふかふかそうな1人掛けソファーの背もたれに脱いだものを掛けた。そしておもむろにテーブルの上の装飾品に手を伸ばした。
それはオイルランプで、ルーが触れると火をつけるための注ぎ口のような部分からふわりと煙を纏った光が出てきた。それがくるくると宙を舞ってランプに戻っていった。
「あ、魔法のランプ!」
「これは怖くないな」
「はい!」
「おいで。このテーブルの付近なら、通っても窓の手形は出てこない」
私は言われた通り、ベッドから真っ直ぐにテーブルへと向かった。近くに行くと、ルーが私の腰を優しく抱き寄せた。そしてルーがオイルランプを私に差し出した。私が触れると、またふわりと煙を纏った光が舞った。
「きれい!」
「よかったな」
ここに来てやっと笑うことができた。何度かオイルランプに触れて舞う光を楽しむと、自然とルーの顔を見上げて笑いかける。ルーもそれにふっと笑い返してくれた。
そろそろ行こうかと促すルーに頷いて、私たちは部屋を出る。廊下は平気。だけどエレベーターは……。
エレベーターを呼ぶと、怖いボーイさんがいる。これがお仕事だから当たり前なんだけど、躊躇う。しかもドアが開いた瞬間にちょうどよく悲鳴の音声が流れて、エレベーターに乗ろうとした足が止まった。エレベーターが嫌いになったらどうしよう。整備場まで本社の階段は上れないよ。
「乗るぞ」
「はい……」
「1階へ頼む」
「かしこまりました」
「私がいるんだ。怖がることはない」
私の腰を抱く腕に力が込められた。耳の近くに唇を寄せて、低い声が優しく言った。だけど頷いて乗ると、今度はドンドンとエレベーターを叩く音が聞こえてビクッと跳ねた。ルーが笑っているのが伝わってくるけれど、私は彼のワイシャツの脇腹辺りを握りしめて、隠れるように顔をルーの胸へ寄せた。まだ怖くても、体温に安心はできる。
同僚が言っていた。彼女に頼られるのっていいよなって。頼れる人がいるのもいいことだ。もしかしたら最初にルーの前で悲鳴を上げていなかったら、隠しきれもしないのに今でも隠そうとしていたかもしれない。
でも、部屋でギミックを見ながら確かめてくれた。近付かなければいいと教えてくれ、怖くて悲鳴は上げても抱きつこうとしなかった私を、大丈夫だとルーから寄せてくれた。そうしてくれたから、こうやって自然と頼ろうとすることができるんだ。
「1階です」
少し顔を上げると、ルーがお礼を言うようにボーイさんに手を軽く上げた。
エレベーターを降り、階段を下って薄暗いロビーへと辿り着く。部屋の鍵を預けないといけない。
「あの、部屋の鍵をフロントに預けないといけないんですけど……」
「行っておいで」
ルーがそう言って私を抱く腕を解いた。違う。離れてほしいわけじゃなくて、その逆。私はもっとルーのワイシャツを握りしめて顔を見上げた。
「来て、ください……」
ルーが訝しげな顔をしたけれど、静かに頷いた。
私がワイシャツを握ったまま歩き出すと、ルーもついて来てくれた。一緒に並んでカウンターの前に立つと、ベルを鳴らして私はすぐにルーのほうへと顔を背けた。
そして数秒ほど待ったあと、落ちてくる紐の衣擦れの音とともにひひひという笑い声が聞こえた。さっきのチェックインのときを思い出して、ピッタリとくっつくように、ルーに体を寄せた。ベルを鳴らしてから、間を開けていきなり落ちてくるからビックリするんだよね。
まさかの登場の仕方にも、ルーはピクリともしなかった。だけど溜め息をついて、すぐに私の背中に手を置くと宥めるように撫でてくれた。
「……そういうことか。彼女の部屋の鍵を預けに来た」
「……!」
私の後ろ、カウンターから息を呑む音が聞こえた。振り返ってホテルマンの人を見ると、ホテルマンの人も一瞬だけ驚いたように目を見開いていた。たぶん神羅カンパニーの社長だって気付いたんだよね。だけどすぐににこやかな笑顔を浮かべた。社長が来たと慌てないところはプロだ。私もここで働けば、慣れて怖いものなくなるかな……。
「あの、鍵です……。お願いします」
「承りました。どうぞ楽しんで」
私が部屋の鍵を差し出すと、まるで歌うようなリズムをつけてホテルマンの人がそう言った。行こうと促してきたルーの手に従って、私たちはロビーを出る。まだ最後の関門が残っていた。もうここはセンサー云々ではない。ゴーストは常にホログラムで徘徊しているし、少し先を歩いていたお客さんはそのホログラムのゴーストにおどかされていた。
じっとオートスロープまでの道を見つめる私を、ルーが見下ろす。その気配に私も彼の顔を見上げた。するとふっと仕方なさげに笑った。
「その様子で、どうやってここを通った?」
「ちょうどよく同僚が来たので、叫ぶのを我慢してついていきました……」
「それなら、まぁいいか」
「なにが、ですか?」
「いや、なんでもない。光栄を享受するとしよう。行こうか」
いまいち話の内容が掴めずに首を傾げるけれど、ルーはククッと笑って私を引き寄せ直しただけだった。それに甘えて、私もルーのワイシャツを握り直す。
いつ驚くか分からない恐怖と緊張で手汗はかいてるし、もうルーのワイシャツは私が握り込むせいで脇腹の辺りにクッキリと皺が出来上がっていた。いつもカッチリと着こなしているのに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
歩き始めて、ついさっき違うお客さんを驚かせていたゴーストは、また徘徊を始めている。ルーも物珍しそうに辺りを見回しながら歩いていると、そのゴーストがふっと消えた。嫌な予感がする。
ルーも歩きづらいだろうに、それでも抱き寄せてくれるままにグッと顔を背けて、彼の胸に顔を押し付けるようにして歩いた。だけど、チラッと片目を開けたときだった。
「〜〜っ!!」
私たちの目の前にホログラムのゴーストがパッと現れた。顔は部屋に飾られていた、動物かモンスターか分からない角のついた骨の頭。それを見て、喉の奥から変な声が出た。今じゃ……! 今じゃなくても!!
ルーが声を上げて笑っている。もう音だけで怖がることができた。なんなら後ろから、行きでも見た手がズボッと出てくる音で完全にルーの腰に抱きついた。
目を開けるのをやめた私は、ルーが歩くままに足を動かした。これたぶん、ルーがいることで気が緩みすぎてるんだ。
結果的には気付かれていたものの、同僚に気付かれたくなくて我慢していたけれど、ルー相手だとそれができない。ルーが帰ったあと、明日はどうしよう。また同僚が通りかかるのを待つなんて、非効率すぎる。
「リク、オートスロープまで来たぞ」
「はい。ご迷惑を……!?」
オートスロープまで着いたならルーに迷惑だろうし、そろそろ離れたほうがいいと思って腕を解こうとすると、顔を上げられて唇に柔らかいものが触れた。そのまま1歩踏み出したルーに足が釣られて、腰に抱きついたままオートスロープに乗り込んだ。
「んっ……」
私の顔を上げさせている手の親指が、微かに下唇を開くように触れた。その指の動きに素直に唇が動く。オートスロープに乗っているというのに、頭の中に水音が響いた。腰がふわふわとして恐怖はどこへやら、幸せな気持ちがいっぱいになった。
オートスロープの出口で、様子を窺うようにルーがそっと離れた。じっと私を覗き込んでいる気配がして、私は恐る恐る目を開ける。その瞬間に、ルーが優しげに微笑んだ。あ、怖いのと申し訳なさを取り除こうとしてくれたんだ。
「ルー、ここ、そとです……」
「ゴールドソーサーでそんなことを気にする者はいない。腰に抱きつかれてるんだ。こんな機会、またとないからな」
またとないなんて言われるとは思わなくて、驚きはしたけれど私も笑いが漏れる。ルーらしくて、完全に和んでしまった。
「もう……。ありがとうございます」
「楽しもう」
「はい!」
私はルーの優しい声に頷いて、今度は差し出された手を取る。指を絡めるように繋いで揃って歩き出した。
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