02


旅順攻囲戦は苛烈を極めていた。
銃の弾はもう無い。殺した数も、覚えていない。折り重なった死体の隅にロシア兵がもぞもぞと動いている。息を潜めて近づき、飛びかかった。死体の物色をしていたのであろう兵士はそれに気づき、すんでのところで銃剣を回避、組み合いになる。向こうはナイフを出して、それをグンと突いてきた。カッと熱い感覚が迸る。おそらく胸を刺された。しかし苦しみはあまり感じず、勢いに任せて目の前のロシア兵の頭を銃床で割った。目の前の巨体が力を失って動かなくなる。銃はいつもより重くずっしりと感じられ、それが手から滑り落ちたと同時に自らの身体も均衡を崩して倒れ落ちた。興奮状態で麻痺していた身体はだんだんと冷静さを取り戻し、灼熱地獄が襲う。
前線は遠くに進み、この辺り一帯は静けさを増してくる。やはり、胸を深く刺されていた。血がドクドクと溢れて止まらない。息を吐こうとしたらそのまま咽から血が出てきた。瞼が落ちそうになる。看取る人もいないまま死ぬのだろうか。まあ、そんな兵士はたくさんいるか。と思考を巡らせていたら、足音がした。

「みょうじ!」

呼び捨てとは。まだ意識を失っちゃいないぞ。きっと後方から敵を狙撃していたために、この位置に気付いたのだろう。

「尾形……」
「掴まってください」
「ああ……」

朦朧とする。意識を手放させて欲しい。身体の力を抜こうとすると、尾形は顔を近づけてきた。もう死ぬのなら、最後くらいは彼の好きにさせてもいいだろう。

「ずっと拒絶してすまなかった」

今回は拒まなかった。はあ、物好きな奴だな、本当に。血に濡れた唇に柔い感触が触れる。死ぬ前に見る光景としては良い方だろう、他に看取る者のいなかった数多の同胞に比べれば。ここで記憶が途切れた。



ぐらぐらと揺れる。天国か地獄かわからないが、きっとそこへ行く列車に揺られているかのような。いや、己の行く先は地獄だ。人をあれだけ殺したのだから。閃光が走って、螺旋の虹が渦を描く。宇宙の創造、生命の誕生、そのようなものが現れては消える。無限の図形が数多に折り重なり、形容できないほど広がる。夢なのか、幻覚なのか。身体が重くなり始めて、それに伴って灼熱の鋭痛が身体を襲う。やめてくれ、やめてくれ!もう解放して欲しい。己の、手があった。それを知覚すると同時に胴、脚も認識できてくる。

「ん、ん……」

綺麗な模様はすっかりなりを潜め、ぼんやりとした薄ら寒いほどの無彩色が視界を占める。そこに浮かぶ2つの黒点。目にようやっと光が帰って来た。これは……いや、この人は。

「尾形」
「……」

彼は私を確認するや否や、そそくさと部屋を出てしまった。ここは天国でも地獄でもなかった。

「私は、死ななかったのか」

その後、医師らしき男が入ってきて、己の肉体についての経過を話して呉れた。

「かなり血を失っていましたが、すんでのところで死を免れました。あと少し発見が遅ければどうなっていたことか。」

肺を刺されていたらしい。心臓ではなかったのか。
白いシーツと、己の患者衣を見てぼうとしていたら、再び尾形が入ってきた。

「死に損なった気分はどうですか。」
「ああ、悪くない。一遍死んで蘇ったみたいだ。」

そうしていたら、はたと戦場でのことを思い出した。そういえば接吻したなあ。いや、待て、死ぬつもりだったのに、そんな、まさか!
顔を赤くした私に尾形は気付いたらしく。

「お忘れでは無かった様で。」
「……」

憎たらしい顔だ。その微笑みのまま顔を近付けてきて、もう拒む事は到底できなかった。


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