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※男やもめ(そして一児のパパ)な軍曹主です



なにをしているんだったか。兵舎の外の、人気のない壁際で、会話をしていたかもしれない。会話が途切れた瞬間かもしれない。尾形の呼吸が感じられるほど、顔と顔が近づく。私ははっとして、顔の間に手を滑り込ませた。

「や、やめてくれ。解るだろう、お前と……そういう関係になる気は、ない」
「……」

尾形は無言で離れた。黒い眼がちらと向く。いつでも、一言だめだと言えば彼は従ってくれる。解っている。尾形はずっと待っているのだ、私が堕ちるのを。
妻と子を失って、もう1年は過ぎた。親同士が決めた見合い婚だったし、当事者である私、そして妻はそれぞれ結婚に積極的だったわけでもない。それでも、触れ合ううちに情は湧いて。子供が生まれた時は、ああこれがヒトの人生というものか。と感慨深く思ったりもしたが、失うのは一瞬だった。

「みょうじ軍曹殿。」

友人だった尾形は、私が妻子を失ってから友人以上のなにかに変わろうとしていた。彼の意図はあまりわからない。葬儀帰りに食事に誘われたこと、墓参りの後、宿前に彼が立っていたこと。本当に、なんなのだろうか。



みょうじ。貴方が亡き妻や子に向ける想い。それの一切れでも俺の父親にあったのなら。そう思うということは、みょうじの柔い感情が、欲しくて堪らなくなる、ということだった。失ってなお妻子に向けるその感情はいっとう清く、正しく、美しいのだろう。俺がいつか見ていたかもしれない祝福を、彼は亡き人へ送り続ける。あまりに滑稽、痛ましい。その静かな、痛烈な思いの一片を、どうか。



「頂けませんか。」
「ん、煙草切らしたのか?そら。」

紫煙がゆらゆらと漂う。酒保に売っている中で一番の高級な煙草だが、惜しいという気持ちもなく尾形に1本与えてやった。吸う頻度は高くなく、長く楽しむ方なので1本減ろうが減るまいがあまり変わらないのだ。
隙を見てそういう関係に迫らんとする尾形に最初は驚きこそすれ、嫌悪感を抱くようなことはあまり無かった。
尾形が入営した当初からたまたま知り合って、親しかったのもある。そして、考え方の波長が合っている。例えば、銃に関する考え方など。しかし尾形は、私を色の篭った目で見る。男色が兵営にてそれなりにある事実は知っているものの、妻と子の顔がちらついて(お見合いだったにも関わらず!)それを己が許容する気には未だなれなかった。

「今日の夜風はなかなか丁度いい」
「近頃は暑い日が続いていましたから、そう感じるんでしょう」

尾形の独特な眉と目は、花沢中将を思い出させる。それ以外の彼の家族についてはあまり詳しく聞いたことが無い。ただ、正式な息子でなく、妾子であることは噂で耳にしていた。

「尾形、お前。小さい頃はどんなだった。」
「曖昧な問いですね。ごく普通の子供かと思いますが」
「もっと親しい者との思い出、とか」
「……バアちゃんと一緒に山菜を取りに行ったり、鳥を撃ったり……いや、鳥を撃つのは1人でか」

記憶を探るように眼を細める尾形。そうか、家族と言ったらバアちゃんか。父や母ではなく。それ以上問うのはやめた。
家族、とはなんなのだろう。血の繋がりとは。生物の本能が、種を残せと囁いてくる。それでも人間は、地球にこんなに沢山いるじゃないか。己と似通った血筋のひとを作らずとも、心を通い合わせられる人はきっと大勢いる。それなのに、同じ血の父や母を求めてしまうのは。子を求めてしまうのは。なんなのだろうか。

「尾形、もう部屋に戻ろう。あまり遅くなると明日に響いてしまう」

わかりました、と彼は気だるげに煙草を潰した。その背中がなんだか寂しげで、無性に抱きしめたくなる気持ちに駆られた。きっと抱きしめて貰った経験なんてあまり無いんだろう。繋がっていたいという気持ちが人を引き寄せ、生きる活力を与えてくれる。そして孤独は、人を悪い方向に強くしてしまう。そうなれば残すのは、暴走馬のような死だけだ。尾形はどうしようもなく独りだ。私も今は、独りだ。


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